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ビールかけ、楽しいっすか?

 ビールかけって、あるじゃないですか。野球で優勝した選手にバーッってかけられるやつ。あれってアメリカのメジャーリーグで優勝したチームの選手同士がシャンパンをかけ合ったという習慣が元になっているようでして。

 子どものころ、我が地元のホークス(“ダイエー”のホークスだ)が優勝した際、ビールかけの場面がTVで放送されていた。優勝し、歓喜に沸く選手に降りかかる、麦サワーの大雨。かける側もかけられる側もニッコニコだったこともあり、子どもながらに「ビールとはかけられると嬉しいものなんだ」と刷り込まれてしまい、何となく憧れてはいた。

 ところがまぁ、noteなんぞを長年やっている者の宿命か、野球とは無縁の文科系かつ“陰”の者として成長した私にビールをかけられる機会はおろか、身体を動かして誰かに褒められるといったこともないまま年を重ね、ビールとはかけるものではなく「飲むもの」とインプットされるという、ありていでつまらない人間になってしまった。

 いやまぁ、この歳になればそりゃあ、あの笑みは優勝に対してのものであり、「ビールをかけられると……嬉しい!!」という異常性癖の持ち主がプロ野球の世界に迷い込まない限り、あの行為は互いの健闘を祝うセレモニー以上の意味はないことは承知している。なので、今となっては私もビールをかけられたいなどという屈折した願望は存在しない。ビールは飲むに限るし、他人にぶっかけるなどもっての外である。とくに最近は猛暑が続くので、キンキンに冷えたグラスに注がれた黄金色の液体を、喉がどうしようもなく求めてしまうのである。

 ここから本題。先日、会社の施設を使っての懇親会が執り行われ、私は裏方として清掃を行っていた。生ごみや燃えるゴミを事業用ゴミ袋にまとめ、ペットボトルや缶はその他の袋にイン。業者が翌日に回収に来てくれる段取りをつけているので、今日は分別だけをしっかりしていればいい。疲れた身体に鞭を打ち、なるべく素早く祭りの痕跡をゴミ袋に放り投げていく。

 会場のゴミをあらかたまとめたら、明日の回収に備えて施設の玄関口に取り揃えておく。ゴミを一夜放置するのは衛生上の観点から抵抗があるが、今日はこれでやり過ごすしかない。本棚のような形のゴミ捨て場に赴き、下の段に燃えるゴミを、上の段にペットボトルと缶をまとめた袋を置く。……置くつもりで持ち上げたら、私の顔に、身体に、ビールが降り注いだのである。

 どうやら、缶をまとめていた袋に、いつしか穴が開いていたらしい。その穴を伝って私に降り注ぐ、ビールの雨。私は幼少期にブラウン管を通じて見た光景を思い出し、生まれて初めて訪れた祝福の追体験に、簡潔なる一言が感想として脳に浮かんだ。



しんどい。



 読者の皆々様におかれましても、ぜひ想像してみてほしい。ビールかけに用いられるビールとは、それはもうキンキンに冷えており、優勝の熱気で火照る身体にちょうどよい清涼を与えてくれるだろう。一方、私に降り注いだそれは、“冷え”からほど遠くぬるくなったものである。各飲料メーカーの不断の努力に対して申し訳ないが、ぬるくなったビールほど不味いものはないし、私が身体に受けたそれはゴミ由来、すなわち誰かの「飲み残し」なので、不快指数もMAXだ。

 加えて、ビールというものはその匂いが残りやすい。飲み残しのビールを全身に浴びた当時の私の身体は、全身からアルコール臭を発しており、体内には一切のアルコールが検出されない状態にもかかわらず「飲み会の後に歯磨きをしなかった翌朝の口内環境」を思わせるバイオハザードを発生させていた。仮にこの状態で車を運転しようものなら、一切のアルコールを摂取していないにも関わらず検問にひっかかり、酒気帯び運転の現行犯で警察のお世話になっていただろう。

 そしてトドメは、精神面のダメージだ。時間はすでに21時。突発のイレギュラー案件ゆえにルーティンワークは遅れに遅れ、土日のどちらか休日出勤しなければ到底間に合わないであろう量の仕事を抱え、それを見て見ぬふりしながらの清掃作業中に、この有様だ。洗い立てのワイシャツとスラックスは人前に出せない色彩と臭いを放ち、ベタつく身体を綺麗にしたくてもシャワーを浴びることさえままならない。5月下旬にもかかわらず高温多湿という人類には厳しすぎる気温の我が町において、私の身体はもはや「スメハラ」そのものだ。誰とも会えず、誰にもこの苦しみを分かち合えない。そして、誰にも仕事を代わってはもらえない(そもそもこの仕事が、コロナで休んでいる人間の穴埋めなのだ)。

 泣いた。

 今年30の成人男性が、ひとり慟哭している姿が、そこにはあった。なぜこの男は他人の仕事を肩代わりしているのか。なぜ空き缶をまとめた袋に穴が開いていたのか。なぜ重力というものが存在し、液体は地面へと吸い寄せられるのか。ありとあらゆる巡り合わせが、自然現象までもが憎たらしく、その怒りは神へとぶつけられた。おぉ神よ、私がそんなに憎いのか!なぜこのような仕打ちをなさるのか!!

 ただただ虚しくて、涙が止まらない。仕事の帰りは深夜まで開いているお気に入りのラーメン屋に行く予定だったが、それもキャンセルだ。一分一秒でも早く帰宅し、洗濯機を回し、身体を清めなければならないからだ。そんな状況でも明日の業者の回収を見越して、破けた袋の上から袋を被せ二重にする、という心遣いを発揮できたのは、親の育て方がよかったのだろう。それくらいは誇っても、バチは当たるまい。

 かくして、私のビールかけバージンは、ただただ不快という所感と共に終わりを迎えた。学びとしては大きなものがあったが、幼少期の無邪気な憧れが涙で締めくくられるのは、悲しいにも程がある。

 そして今、思うのだ。ビールかけ、楽しいっすか?と。

 かけられた瞬間こそ楽しいかもしれないが、その後の自分の衣服と身体に染み付いた臭いに耐えられますか?ビールをぶちまけられた衣類を洗濯する人や、床の掃除をする人の気持ちを考えたことはありますか?と。

 何も、ビールを扱う飲料メーカー各位様に恨みはない。いつも美味しい商品をありがとうございます。ただ、どうっすかね?今後はかけるとかよりも、やっぱり「飲む」ってのはどうですかね??何ならお客さんに配布とかして、優勝した野球チームはそれを買い取る。選手も観客も、冷えたビールでのど越しスッキリ!清掃と洗濯の負担も減ってスタッフもニッコリ!これで手打ちで、どうですかねぇエヘヘ。

 ……という提案を知人に持ち掛けたところ、「観客の帰宅時の飲酒運転を助長する可能性がある」とのことで、この案は見送られてしまった。全人類が平和で幸せになりますようにと願い考えたのだが、どうりでこの世から戦争が無くならないわけだ。

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