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ただいまに込められた「さみしい」が、愛おしい。『ゆるキャン△ SEASON2』

 春が来て、『ゆるキャン△ SEASON2』が終わった。

 大げさに聞こえるかもしれないが、毎週『ゆるキャン△』の最新話が観られるというのは、それだけで人生を生きるのが少し楽になった。このアニメを観ている間だけはどんな嫌なことも忘れられるし、鑑賞後にじんわりと流れる涙は、ささくれ立った心をゆっくりと解きほぐしてくれるようだった。以前もこの表現を使ったが、焚き火のように暖かく、寒空の下で飲むスープのように心を落ち着かせてくれる、そんなかけがえのない全十三話。今ではもう、「ありがとう」の言葉しか浮かんでこない。

 『ゆるキャン△ SEASON2』を観ていて一番嬉しかったことは、「前作から足されもせず、引かれてもいない」という点にあった。地続きの続編でありながら、スケールが大きくなったり、キャラクターに重大な変化も起こったりはしない。その代わり、前作『ゆるキャン△』に惚れ込んだ要素は余す所なく受け継がれ、「野クルにまた会えた」という実感を強く抱かせる、そんな安心感があった。

 前作では鳥羽先生も含めて6人でのクリキャンを行った野クルとリンたち。恵那もキャンプに興味を示すようになり、道具を買うためにそれぞれバイトに勤しむようになる。一方、ソロキャンパーのリンはなでしこや野クルメンバーとの“ゆるい”繋がりを維持しながら、一人でのんびり過ごすソロキャンを楽しんでいる。細部まで美麗に描かれた景色、食欲をそそるキャンプ飯、アウトドアでの一期一会、大塚明夫のナレーション。これらが織りなす多幸感とわびさびこそ『ゆるキャン△』の醍醐味であり、丁寧に創られたアニメーションの映像・音・動きの豊かさは作り手から作品への多大なる愛を感じさせてくれる。

 そう、『ゆるキャン△』は頭から尻尾まで、何もかもが優しい。出会う人は皆親身で思いやりがあり、誰かを貶めたり、蹴落とそうとする悪意は存在しない。他の作品であれば「嘘くさい」「リアリティがない」と受け取られてもおかしくはないくらいに摩擦係数が排除されている『ゆるキャン△』世界のトゲの無さは、やはり今作でも描かれる人間関係に押し付けがないという点に支えられている。ひとりとみんな、その二つが等価値に描かれているからこそ、『ゆるキャン△』は心地よくて暖かい。

 けれども、『ゆるキャン△』は繰り返しの中にも成長や変化を描く、繊細なアニメであることもお伝えしなければならない。リンの心からグルキャンへの苦手意識が無くなっていたり、キャンプ飯は回を重ねるごとに次第に豪華になっていく。前作からの積み重ねがあってこそ、人間関係もキャンプ技能も進歩し、過ごす時間が豊かになっていく。さらに本作では、リンの影響を受けなでしこがソロキャンに挑戦する、という見せ場が用意されている。

 なでしこのソロキャンと言えば、自ずと前作最終話のエンドロール後のシーンを思い出さずにはいられない。そもそも本作は「なでしこが惚れ込んだランプを買うためにバイトをする」ところから始まり、やがてあの結末に辿り着くことが示されている。富士山が見える景色を、なでしことリンが「ソロとソロとして」共有する、『ゆるキャン△』の精神そのものを象徴するあのエモーションに向けて進んでいく物語。そこで大切なのは、意外にも「さみしい」という気持ちであった。

 2種同時に発表されたティザービジュアルには、「さみしいも、たのしい。」「たのしいも、さみしい。」というコピーが添えられている。そして作中、リンは「ソロキャンはさみしさも楽しむもの」という言葉を口にする。どうして「さみしい」が重要なのか、キャッチコピーに沿って思い出していこう。

 まず、「さみしいも、たのしい」は主にソロキャンのイメージ。一人夜を過ごしていると、ふいに感じる人恋しさ。望んで一人になったはずなのに、友達が今何してるのかな、連絡してみようかな、なんて思ったりしちゃう、そんなひと時。つい誰かと繋がりたくなってSNSに手を伸ばしてしまったり、気に入った風景や食べ物の写真をシェアしてしまう気持ちは、本作でも頻繁に描かれている。一人だからこそ得られる自分だけの時間と、より浮き彫りになる繋がりへの渇望を、本作はポジティブに描いていく。

 そして「たのしいも、さみしい」には、大いに心を揺さぶられてしまった。気心知れた友人たちと遠出して、時間が経つのを忘れて遊び、最終日を迎えた朝の「終わっちゃうんだ」と感じた時のチクリとした痛み。あるいは、帰りの車内で一人だけ寝つけなかったり、思い出を反芻したくて帰ってすぐ写真を眺めたり。楽しいことが終わってしまうんだと実感した時の、巨大な喪失感。この時が永遠に続いてほしいのに、時間は巻き戻せない、だからさみしい。

 けれども、やはりさみしいはたのしいのだ。あなたが「さみしい」と感じたのなら、その時間があなたにとって楽しかった、大切にしたいと想っていることの裏返しであると、肯定してくれているのである。楽しいことが終わって家に近づき、思わず泣きだしそうになってしまう、帰り道にふと感じる心の揺れ動きを微細に描き出す最終話Bパートは、幼い頃の思い出が蘇り涙腺を刺激された。旅行が終わる日の朝と夜って、見慣れた地元の風景を見た瞬間って、なんであんなにさみしいんだろう。そんな涙の理由にそっと寄り添ってくれた『ゆるキャン△ SEASON2』が、今では愛おしくてたまらないのだ。

 ところで、『ゆるキャン△ SEASON2』が終わって今、無性に「さみしい」のだ。それもこれも、本作が心に刺さって大切なものになってしまった証左なのだろう。この世界はやはり離れがたい魅力に満ちていて、生きることに疲れた時にふと立ち返りたくなる、それこそ“実家”のような安心感さえたたえた作品なのだ。今一度同じ言葉で締めさせてもらえるのなら、『ゆるキャン△』は、混迷の時代を生きなければならないあなたを救うかもしれないアニメだ。心のベースキャンプにそっと置いておきたい『ゆるキャン△ SEASON2』、冬を超えて暖かい春の訪れを感じる今、リラックスした気持ちで触れてみてほしいのである。

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