もう会えなくなってしまった「テネットおじさん」は元気にしているだろうか。

 ありがたいことに「コンテンツ語り」以外の文章も読んでみたい、というお題を頂戴したので、noterもすなる雑記といふものを我もしてみむとするなり。日常の何気ない出来事、ニュースについて思うこと、食べたもの。そうした☆キラキラ☆したものでいっぱいのマガジンにできたらいいなって、私そう思います。よろしくお願いいたします。

 そんな出だしに反する前フリで恐縮なんですけど、みなさんは『TENET』という映画はご覧になっただろうか。巨匠クリストファー・ノーランの最新作にして、新作映画の公開延期が続く混迷の世に突如舞い降りた映画ファンのためのオアシス。この映画の重要なギミックとして「時間」が挙げられるんですけど、我々が知覚する一方通行の時間の進み方を「順行」とした場合、それに逆らった(遡った)時間の進み方をする「逆行」という概念が登場します。そうすると、順行の私にとっては逆行の私が、逆行の私にとっては順行の私が、それぞれ逆再生されているように見える、というのが面白味なんですね。具体的には以下の映像でイメージを掴んでいただくとして、読み進めていってくれると嬉しいです。

担架を運ぶ主人公らと周囲の消防団はそれぞれ異なる時間の流れを歩んでいるため、主人公らには消防団が逆再生しているように見えるの図

 みなさんは通勤、楽しんでいるだろうか。私は家と職場が徒歩20分圏内にあって、日ごろの運動不足を解消する細やかな努力として、基本的に徒歩通勤をしている。好きなラジオや音楽を聴きながら歩く時間は、これから職場に向かう私の気持ちを高めていくのに必要な時間なのだ。

 それともう一つ、徒歩通勤をするのはやむを得ない事情があって、交通機関が動いていないから、というのがあった。今となっては信じられないことだけれど、2020年の私は早朝4:30に起床し、日の出の前に仕事を始め、20時にようやく退社する、という日々を送っていた。我ながら狂っているというか、「真面目」も突き詰めれば病と変わらんなということを痛感した。感染症対策と部署移動という二つの大きな出来事がいっぺんに降りかかってきて、思考能力が麻痺していたとしか思えない。

 そんなわけで4時半にスマホのアラームで目覚めた私は顔を洗い必要最低限の栄養摂取をして、身支度(所要時間3分)して玄関を出る。日の出前なので当然寒く、太陽を浴びていないからか身体も寝ぼけている。イヤホンからはお気に入りのラジオのアーカイブが流れてくるが、実際は半分以上頭に入っていない。ただ脳を覚醒させるために流していたに過ぎないのだから、内容なんて覚えているはずもなかった。

 とにかく寒い。そんな時間に街を歩いているのは主におじいちゃんおばあちゃんで、後は名前も知らない犬種を散歩させているお金持ちのマダム。若い頃の努力で手に入れたであろう余暇の時間を思い思いに過ごす人と、労働で一日の半分以上を費やし疲弊していく自分。若い頃の苦労は買ってでもしろと偉い人は言うもんだが、いくら何でも度が過ぎていやしないか。心に余裕がないと、些細なことでネガティブになってしまう。

 そんな時、私の目は信じられないものを視た。一人の老人が、道の向こうからこっちに向かって走ってきた。早朝のジョギングが日課のおじいちゃんだろうか、使い慣れたスニーカーとウェアに身を包んだ、氷柱のように細く肉付きのない足が、その効果を物語っている。やせ型で長身の推定60代後半のおじいちゃん、ただ一つだけ異様なのは、後ろ向きに走っているのである。

 初めて視た時は、驚きを隠せず声が出た。老人が、後ろ向きに、全力疾走している!!!!!気でも狂ったのかとも思ったが、きっと見間違えだ、疲れているんだと(実際ハチャメチャに疲れてた)自分に言い聞かせた。が、翌日もまたその次の日も、決まって同じ時間に逆行おじいちゃんが現れ、こちらと目を合わせることなく後ろ向きに歩道を走っていった。その速さからは迷いが感じられず、道を完全に頭にインプットし人通りが少ないことを熟知しているがゆえの自信さえ感じさせた。

 一切の淀みなく、決まったコースを後ろ向きに走るご老人、私は御大を「テネットおじさん」と名付けた。自分とは正反対の時間を歩む者、そう思わないと説明がつかないくらいに綺麗な逆再生だったから。とぼとぼ職場に向かっておぼつか無い足取りの私と、後ろ向きにすれ違うテネットおじさん。その瞬間だけ私は映画が自分の認知を侵食するような感覚を得ることに興奮し、同時に恐怖した。後ろ向きに走る人を実際に肉眼で視ると、めっちゃ怖いんですよ。

 後になって調べたのだが、この走法は「バック走」と呼ばれ、一種の健康法として認知されているらしい。老境に差し掛かり、早寝早起きが習慣になったテネットおじさんも、健康に気遣うようになったのだろう。かつては会社でグイグイ言わせて、課長や部長も務めあげたかもしれない。息子も一人立ちし、妻と慎ましやかに生きる日々の中、残された人生の目標は、孫の顔を見ることかもしれない。そのためには、自分が健康で、長生きする必要があることに、気づいたかもしれない。そんなある日、彼は思いついたのだ。後ろ向きにジョギングしたら長生きすんじゃね????と―。

 世の中には未知の健康法があるものだ。そんなことを学んだ私がテネットおじさんに感じたのは「嫌悪」、その一点のみでした。思い返せば、テネおじ(略称)がバック走をしている中、彼の走行コースにいた人たちは急いで避けていたし、犬の散歩をしていたマダムは犬につないだリードがテネおじに引っかからないようワンちゃんを抱きかかえてあげていた。そんな人々の気遣いと暖かさによって成り立っている、テネおじたった一人の健康維持。前方確認もおろそかに、後ろ向きに全力疾走する老人がいたとして、自分が車を運転していたらこんなに恐ろしいことはないでしょう。そんな人が急に曲がり角から現れても、接触すれば車側に責任が負わされる。そんな理不尽を振りまきながら、自分だけが我が物顔で後ろ向きランニングをしているこの老人に、日々モヤモヤが募っていく。この頃の私、人生で最も心が狭い期間でした。

その時期のことを反省して書いた小学6年生の女の子を礼賛する文章です。

 とはいえ、正義を振りかざして声掛けする勇気も、その資格も無かったし、何より後ろ向きに走る老人、シンプルに怖かった。だからこそ静観していたし律儀に道を譲っていて、頼むから車とだけは接触するなとお祈りするしかなかった。テネおじではなく、そのドライバーの人生を想えば、そう願いたくもなってしまう。そんな願いが通じたのか、師走に差し掛かったある日を境に、テネットおじさんが姿を見せなくなった。

 いつも同じ時間に通勤していた私は、テネットおじさんの不在が気になっていた。あれだけ嫌悪し、危ないから止めてくれと願っておきながら、会えないとめちゃくちゃ不安になってしまうのである。一日二日ならたまの休みだと思えたけれど、かれこれ二週間、テネおじの走る姿を見ていない。ついに何かしら事故やケガをしたのか、あるいはもっと大きな出来事があったのではないか。よくない想像だけが頭を埋め尽くして、その責任の一端を勝手に感じては落ち込んだ日もあった。どうしちゃったんだテネおじよ、お願いだから最後にもう一度、その軽快すぎるバック走を見せてくれ。そんな身勝手な願いを持ち越したまま、年が明けた。

 2021年。晴れて私の労働基準法違反にも程がある無茶な体制も解体され今では7時起床の生活へと戻り、『TENET』は家庭用ソフトが発売された。真の健康とは労働と食事と余暇の充実に基づくものであると改めて実感するし、あんな働き方はもう出来ない。ただの寝床でしかなかった自宅も、今日は久しぶりに布団を干してみたり、埃を掃ったりして、少しずつ人間味を取り戻そうとしている。

 日の出前に起きて、活動する。それは気力と体力がいるし、モチベーションや義務感がなければ続かない。そう思えばテネおじにも何かしらの想いがあって、バック走をしていたのだろう。そういえば、TENETとは"主義・信念”を表す言葉らしい。後ろ向きに走るという不可解な行動にも、彼なりの強い信念あってのものだったに違いない。

 テネおじ、元気でねット。私の心の中のクリストファー・ノーランも、そう言っています。

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