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恐怖の二世代COOPプレイ!NPCとは何かから教えよう『ジュマンジ/ネクスト・レベル』

 私事ですが、最近 Nintendo Switch Lite を買いまして、久しぶりにゲームに没頭しております。中でも、広大な世界を冒険するオープンワールドのアクションゲーム『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』にドハマり中でして、現実ではしがない会社員の私も、電子の世界の中では伝説の勇者リンクとなって、世界を襲う厄災と戦う日々を送っています。

 このゲームの特徴は何と言っても「死にやすい」ことでしょうか。魔物との戦闘では一撃喰らえばHPは半壊or一撃死もあり得るし、崖からの落下死や溺れ死には日常茶飯事で、私のおぼつかない操作のせいでリンクは何度も何度も死に続ける。もし彼が画面からこちらの世界に這い出て来れば、恨みで殺されそうなものですが、ゲームで死ぬ度に自分の命が削られるようなことがあったら…と思うとゾッとしますね。しかも「3回死んだら現実世界には戻れないゲーム」だったらなおさら…というわけで、ボードゲームからTVゲームに進化したアイツが帰ってきました。キャラ・難易度選択不可というとてつもないバグを引っ提げてのカムバックです。

TVゲーム「ジュマンジ」の冒険をクリアしてから2年。スペンサー、マーサ、フリッジ、ベサニーはそれぞれの進路を歩み、いまは大学生になっていた。しかし、ブレイブストーン博士として活躍した万能感が忘れられないスペンサーは、破壊したはずのゲーム「ジュマンジ」をこっそり修理し、再びゲームの中に吸い込まれてしまう。スペンサーを救出するため、残った3人も「ジュマンジ」にログインするが、壊れたゲームのバグによりキャラは入れ替えられ、スペンサーのおじいちゃんエディとその旧友マイロまで吸い込まれてしまう。

 ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント歴代1位の興行記録を打ち立てた『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』の続編。現実に影響を及ぼすボードゲームをTVゲームに改変する大胆さ、アドベンチャーゲームを遊ぶ感覚を映画にトレースし、ティーンの友情と成長の物語を上手く調合したことで、とても愛おしい一作に仕上がっていた前作。そのメンバーが成長した姿で集結するとあっては、もうそれだけで嬉しくなってしまう。

 ただし、その再会に引け目を感じていたスペンサーは、あろうことかジュマンジを再起動し、ゲームの世界に閉じ込められてしまう。残された三人はスペンサーの救出のためジュマンジに挑むが、ゲームの故障によりキャラ選択はぐちゃぐちゃでベサニーは取り残され、しかもおじいちゃん二人がログインという緊急事態。TVゲームに関する知識のないシニア世代に、ジュマンジがゲーム世界であることを説明するのも一苦労。ジュマンジ経験者のマーサとフリッジには、ゲーム未経験者二人のお守りが課され、難易度は前作よりも数段アップしている模様。

 ゲームの世界観を説明する役どころのナイジェル、砂漠や氷山といった新しいステージ、動物との追いかけっこ等々、ゲームクリアまでの流れは前作同様でジュマンジらしい動物パニックも織り込まれつつ、舞台が様変わりすることでよりゲームらしい自由度を得た本作。衣装変更や各々のスキルを活かした窮地の脱し方など、ゲームを攻略する上での「あるある」も描かれている。また、現実世界で抱えている問題をゲームの世界で解決するというドラマの基本骨子も受け継がれており、焼き直しと言われようとも前作の良い所、評価された所を繰り返すことで新たな名作が生まれる。そのような勝算があったのではないかと邪推してしまう。…それが上手くいっているかは受け取り方が大きく分かれるだろう。

以下、ネタバレを含むため鑑賞前の閲覧は推奨いたしません。

 率直なことを言えば、本作に用意された新たな設定である「スペンサーの鬱屈」の描き込み不足と、「シニア世代」の参戦によって、前作の面白さがことごとく阻害されてしまっているのではないか、という風に感じられた。

 前作ファンにとって、スペンサーが日々抱える鬱屈は切実なものに感じられたはずだ。高校を卒業してそれぞれの場所で活躍しキラキラしていく仲間たち。それに反して、自分は病気持ちで大学でも冴えない立ち位置で、彼女にも負い目を感じつつある。そんな時、マッチョで頑丈なブレイブストーンとして活躍できた万能感が恋しくなる。ゲームを再起動したことは許されないものの、この心情には深く同情する。世界を救って彼女を手に入れたあの瞬間が人生のピークなのか、あれ以上の体験はもう得られないのだろうか。現実でのままならなさを埋めるためにゲーム世界に突入してしまうスペンサーの弱さを、仲間たちはどう受け止めるのか。

 しかしその回収はとてもあっけなく、スペンサーとマーサが疎遠になった理由も単に「コミュニケーション不足」としか描かれず、雪山での会話であっさり仲直りと悩みの解消が果たされる。前作では、学内ヒエラルキーが逆転したキャラクターバランスを基本としつつ、全員が力を合わせなければ攻略できなかったかけがえのない経験を通し、4人の絆が深まっていった。それに比べ本作はゲームを攻略する行為と人間ドラマがリンクせず、キャラクターの切実な悩み事は全て会話で解決してしまう。結果として、何の感動も得られなくなってしまった。

 悩める若者スペンサーの今回の冒険には、おじいちゃんも同行している。人生経験豊富なシニア世代が若者を導く、といった展開もできたはずだ。なのにそれもない。ではおじいちゃんたちがなぜ参戦しているのかと言われれば、「ゲームを理解できない世代ならではのギャグ」を取り入れたかったから。もはやエディ&マイロはそのためにしか機能していない。

元がゲームオタクであるスペンサーが即座にゲームのルールを習得し、各々のスキルを活かして難問を解き明かしていく様は爽快でストレスが無く、各アバターに設定された「弱点」が想わぬ打開策になったりと手抜きが無い。(前作感想より引用)

 ゲームに無理解なおじいちゃんの参戦によって、前作にはあった「ゲームをサクサク解いていく快感」は目減りし、かといってゲームに無知であるからこその何かが攻略に活きる、といった意外性もない。その上、マイロが下した最後の決断も、良きこととして受け止められていく。残されたマイロの親族や友人はどうなる?突然戻らなくなって死体もない、間違いなく「失踪」である。そんな唐突すぎる別れを、事情を知る者だけで無邪気に肯定してよいのだろうか。倫理的・感情的なノイズが生まれ、心地よくない後味の悪さが残る。これがクリスマス映画の結末で良いのだろうか。

 愛すべきキャラクターたちとの再会と、新たな要素の合流。それが上手く調理されていれば、前作に匹敵する名作が誕生したはずだった。惜しい、とにかく惜しいのだ。後半からキャラクターの入れ替えが前作に戻ってからのテンポ感や前作の演出のリフレインが巧みだっただけに、もっと良くなったはず!という印象が拭えないのだ。キャラクターの成長を描くドラマの深みは失われ、残ったのは奇想天外なゲームの仕掛けのみ。おそらく製作されるであろう続編では、1作目級の傑作に出会えることを夢見ながら、首を長くして待つことにしよう。

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