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ほら生きたいと叫んでるから『Fate/EXTRA Last Encore』

 誰に頼まれたわけでもなく興味本位から始めたFateマラソンと不定期連載。初めて触れた作品はPSP専用ソフト『Fate/EXTRA』だったのですが、そのアニメ版がちょうど放送終了したばかりとのことで、Netflixで視聴。アニメーション製作はあのシャフトとのことで、想い入れの深いキャラクターたちがどのように躍動するのかを楽しみにしていましたが、よもや別物だとは思わないじゃないですか

原作ゲーム『Fate/EXTRA』についてはコチラをお読みください。
それは、忘れ去られた月で 開演( ひら)かれる"EXTRA"の物語。

月に存在するあらゆる願いを叶える力を持った霊子コンピュータ
「ムーンセル・オートマトン」。
ムーンセル内につくられた霊子虚構世界「SE.RA.PH」。
"聖杯"をかけた、
魔術師 (ウィザード)と 英霊( サーヴァント)による、
新たな月の聖杯戦争、開演。
(引用元)

感想

(本作、及び原作ゲーム『EXTRA』のネタバレ含む)

 『Fate/EXTRA』は、記憶を失い願いも持たぬまま聖杯戦争に巻き込まれた主人公が、数多の死線を潜り抜けサーヴァントとの絆を育み、自身の生の意味を見定め闘う物語であった。同時に、各々がそれぞれの願いを秘め参加した、敵対するマスターとサーヴァントたちの物語が並行して描かれ、その死と向き合う道程でもあった。様々な形のマスターとサーヴァントとの関係性の在り様も、『EXTRA』を遊び進める上での大きな推進力になっていた。

 そのアニメ化である本作『Last Encore』は、1話から予想だにしない展開を見せる。うっかり真名を言えないヤバいラスボスとセイバーが闘いを繰り広げ、その傍らで女主人公が血を流す。メインビジュアルを見れば本作が(原作における)男主人公&セイバーのコンビによるアニメ化になるものという事前の予想を、大きく裏切るアバンだ。

 その後は、男主人公「岸浪ハクノ」が学園生活を送る日常が描かれるが、当然それは聖杯戦争の予選そのもの。とはいえ、ここでも原作との差異が見受けられる。学園そのものの外装や3層の幻覚を垣間見る「焼却炉」、原作にはいなかったキャラクター「尼里ミサオ」の存在に「129名」選ばれたマスターなどなど、原作プレイ済みですら混乱する有様。

 何でも、本作は脚本執筆の段階から、原作『EXTRA』をなぞったアニメ化をするつもりなどなかった、とのこと。原作者であり本作のシリーズ構成・脚本を務めた奈須きのこ氏(今回初めて知ったのだが、『Fate』シリーズの始まりから現在までの物語を手掛けたスゴイ人だった。覚えました)のブログでは、以下のように述べられている。

『Last Encore』は前提を知っているかいないかで感触が変わるものを目指しました。
『EXTRA』はアニメが初めて、という人も見て原作ゲームやコミックス版(Fate/EXTRA全6巻、角川さんから発売中!)に興味を持ってもらえるように。
原作ゲームを知っている人はその違いに「なん……だと……?」と刮目してもらえるように。
アニメの後に無印EXTRAに触れても楽しく、ゲームの後にアニメを見ても楽しい。
そんな二度美味しいものになっていてくれれば幸いです。

 このように、原作を踏まえつつ別物、というのが今回のアニメ版らしい。なんとも大胆なことをする…。というわけで、すでにアニメを観たけれどゲーム未プレイの方がおられたら、ぜひ購入し命がけのムシキングで数多の屍を築いていただきたい。

 さて、別物と割り切って鑑賞する『Last Encore』は、それこそ世界観からして原作とは全く異なっていた。『EXTRA』は128組のマスターとサーヴァントが聖杯を巡って争う命懸けのトーナメントだったのに対し、『Last Encore』ではSE.RA.PH崩壊と聖杯戦争の形骸化から約1,000年が経過した西暦3020年が舞台となっていることが判明。すでに地上に人類の生息圏は無く、電脳空間に生きるマスターが最後の人類となってしまった絶望的な未来が、全てのマスターの動機の根底に横たわっている。

 ある者は闘いを放棄して生きられる安寧の楽園を築き、ある者は生き方そのものを捻じ曲げ狩人に堕ちる。この絶望的な世界において、己の願いではなく人類の滅亡とどう向き合うか、という観点でただ電脳世界を揺蕩うマスターたち。聖杯戦争が無くなったことで、原作と同じ名前と容姿であっても、動機や行動が変化したキャラクターたちを観て、さぞ放送当時の視聴者は戸惑ったに違いない…。

 とはいえ、一切原作ゲームの要素がオミットされたわけではなく、それが第1話の冒頭で描かれた女主人公「岸波白野」とセイバーの闘い、1,000年前に行われたかつての聖杯戦争のこと。断片的な描写を踏まえるに、原作同様に聖杯戦争を勝ち進んだものの、最後の闘いに敗れてしまったものと思われる。すなわち、本作は原作ゲームから派生したifの物語でもある(ということでいいのだろうか…?)。

【本作の時系列】
①岸波白野が第7層まで勝ち上がるも、対戦相手・レオが戦闘を放棄したことで、熾天の檻に到達。
②トワイスの理想に協調せず対立しセイヴァーと戦闘になるも敗北。
↓1,000年経過↓
③西暦3020年。デッドフェイスである岸浪ハクノがセイバーと契約し、マスターに選ばれ第一階層に到着
~以下、本編~

 そもそも『EXTRA』における聖杯戦争とは、戦争による無残な死と、そこから生き残ろうともがく人間の命の強靭さを垣間見たトワイスが、行き詰った人類をあえて戦争状態に突入させることで停滞した世界を再び変えようとする思想から生まれたものである。戦争で生じた「欠落」を埋めようとする人間の成長に「希望」を見出したのである。しかし、NPCである彼は聖杯を得ることは叶わず、自らの理想を継ぐ者を求めたがゆえのバトルロワイアルこそが、全ての始まりであった。

 そして幾千の繰り返しを経て、最弱の者が最上階へと這い上がってきた。岸波白野である。記憶も願いも無い存在でありながら勝ち上がってきたイレギュラーに希望を見たトワイスだが、白野はその理想を拒絶する。その結果、白野は覚者の攻撃に敗れ、トワイスは人類への希望を捨てた。

 それから1,000年の時を経て、人類という種は滅亡の危機に瀕していた。聖杯戦争の在り方さえ変えたトワイスは、SE.RA.PH崩壊をもって人類史に幕引きを図る。それを覆したのは、同じデッドフェイスである「岸浪ハクノ」だった。岸波白野の要素を受け継いだ、生者への憎しみだけで構成された死の総体でしかなかったそれは、自らが死者であることを受け入れ、数多の他者の人生と終わりを学ぶことで「生きる」ことを知り、死者であるトワイスには触れられないほどの「」を獲得することができた。ただ延命を続けるだけのどうしようもない世界で、他者の無念の寄せ集めで作られたものだったとしても、ハクノは生きる意味を見つけ、そのために死ぬことができたのだから、確かに命が宿ったといえるだろう。

 このように、キャクター像も物語もまるで別物と冒頭で断言したものの、『EXTRA』と本作『Last Encore』は「命無き者が生きる意味を見出し、死ぬまでの物語」を描き切ったものとして根底では共通していた。初めこそ面食らったものの、その生き様に万雷の喝采を送るネロの笑顔で、全てが報われたような爽やかさを感じ、我ながらチョロいもんだと痛感するに至った。

 かくして、初めて触れた『Fate』のアニメ版を完走したものの、Netflixのオススメ作品が他のFateアニメで埋まっていく様子を横目に、まだまだ底の見えない深い深い沼の浅瀬に立っていることを知る。
 オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな このはてしなく遠いFate坂をよ… (先生の次回作にご期待ください)

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