宝生永夢という空白を埋めるPiece『仮面ライダーエグゼイド〜マイティノベルX〜』
講談社には「キャラクター文庫」なるレーベルが存在し、仮面ライダーやスーパー戦隊、プリキュアなどのいわゆるニチアサ(日曜朝)番組を題材とした小説を定期的に出版している。全ての作品を読破しているわけではないので保証は出来ないが、基本的に原作のスタッフが執筆・監修を施しており、原典のリメイクや再構成、あるいは後日談としての物語を楽しむことが出来る、作品のファン垂涎の作品群なのだ。
そのレーベルの最新作は、2016年放送の『仮面ライダーエグゼイド』を題材とした『マイティノベルX』。放送終了後も追加エンディングとしてVシネマが3本連続リリースされる大判振る舞いだったが、その更に後の出来事を描くのが本作であり、事実上のエグゼイド完結篇と言うべき一冊である。執筆を務めたのは、TVシリーズから劇場版、挿入歌の歌詞に至るまでを創造した、エグゼイドを最も深く知る男こと、高橋悠也氏である。これ以上の品質保障はないだろう。
ゲームマスター・檀黎斗から突如送られた謎のゲーム。それが罠だと知りつつも、真意を究明するためにゲームを起動するのだが、永夢とパラドは新種のゲーム病に感染。「マイティノベルX」は正しい選択肢を選ぶことでエンディングを目指すノベルゲームなのだが、第一のゲームで選択肢を誤った永夢は、ゲームの世界に閉じ込められてしまう。永夢を救うべく集まったゲームドクターたちもゲームの攻略に挑むのだが、その攻略のヒントは、永夢自身の秘められた過去に隠されていた……。
舞台は前述のVシネマ『アナザーエンディング』から3年後。語り尽くされたように思えた『エグゼイド』にまだ残された物語が、意外にも主人公の永夢自身である、というアプローチには驚かされた。天才ゲーマーであり、自分を救ったドクターをヒーローと仰ぎ自身もドクターとして患者の笑顔を取り戻すために闘う永夢。どこに出しても恥ずかしくないほどにヒーローなこの男がいかにして出来上がったのかを、じっくりと解き明かしていくのがこの一冊なのだ。
永夢の消滅後は、飛彩・大我・貴利矢・ポッピー・パラド・ニコらがゲームの攻略に尽力していくのだが、その様子が各人の一人称視点で語られ、各々の患者との向き合い方や性格が見事に文章に落とし込まれていて、読み進めて行く手が止まらない。ポッピーは地の文でも人名がカタカナ表記だったり、何でも抱え込みがちな性格の大我だったりと、キャラクターの個性や台詞が違和感なく小説化されており、ファンなら容易にフルボイスで脳内再生可能だろう。そして、彼らが「宝生永夢」のパーソナリティを知った衝撃を、読者も同じく味わうことになるのが本作の面白さである。
※以下、作品のネタバレが含まれます。
未読の方はご注意ください。
「宝生永夢ゥ!君が世界で初めて…バグスターウイルスに感染した男だからだぁぁぁぁ!!」の台詞にある通り、バグスターウイルスを巡る一連の事件の発端は、他ならぬ永夢自身であった。黎斗によってウイルスに感染させられていた永夢は財前美智彦のオペを受け、世界初のバグスター「パラド」を産みだしてしまう。TV本編では、幼少期の永夢がゲンムコーポレーションに送った新作ゲームのアイデアが黎斗に衝撃を与え、その嫉妬ゆえに永夢は世界初のバグスターウイルス感染者に選ばれた。そしてその裏には、永夢の父親が深く関係していた。
初めて明かされる、永夢の家族。幼くして母を亡くした永夢にとっての唯一の家族である父・清長は、最大手の医療器具メーカーの開発責任者で、目前に迫った「2000年問題」への対応に追われていた。多忙ゆえに転勤が多く、永夢は人付き合いを避け、ゲームを遊ぶことにのめり込んでゆく。清長はその研究の最中、偶然から生まれたバグスターウイルスを発見するも、そのことを公表せず、事態の収束を祈った。そこに付け込んだのが、あの檀正宗であった。
「究極のゲームを作る」という檀親子の思想に翻弄される宝生の親子。そこで語られる永夢の過去は、決して日曜朝には放送できない、小説という媒体だからこそ描ける生々しさで紡がれてゆく。
父親からの愛を受けられず、ネグレクトな家庭でゲームだけを心の拠り所にして生きていた永夢。そして「誰かとゲームを遊びたい」という心が、パラドの存在を形作ってゆく。しかし、ゲーム以外に人生に意味を持たなくなった若き永夢は、黎斗が送り付けたゲームをクリアできず、そのうち人生をリセットしようと考え、学校へ行かずに車道へと踏み出した。
「自殺未遂」という壮絶な体験。世界に、人生に、命に意味を見いだせなかった少年が、ゲームのライフのように自分の命を扱ったこと。誰の命も諦めず、常に患者の笑顔のために闘ってきた男の、まるで想像もできなかった心の闇に、本作は深く入り込んでゆく。
この時救いであったのは、永夢を救ったドクター・日向恭太郎の存在であった。永夢の命を救うだけでなく、心も救ったドクター。永夢の中で「ドクター=ヒーロー」の図式を作り上げた恭太郎先生がいなければ、後のヒーロー=エグゼイドは生まれなかった。
しかし、それだけでは終わらないのが本作。偶然からバグスターウイルスを生み出してしまった清長は、その事実の公表を盾に正宗からの強迫を受けゲーマドライバーの開発に協力。二人の父親は自分の目的に、そして後ろめたさに駆られながら、大切な息子のことを蔑ろにしてしまう。その結果、永夢の才能に嫉妬した黎斗の暴走は誰にも止められず、悲劇は加速していく。その際の永夢の誘拐を、清長自身が黙認していた、という事実に、作中のキャラクター同様、「知りたくない」という恐怖が芽生え始める。
家族との絆も破綻し、自分の運命を選ぶことさえ出来ない。そんな過去を誰にも打ち明けられなかった永夢自身の闇を、ゲームという形で強引に晒されてしまう。こんな辛い目に合される永夢本人が心配になってしまう。
それでも、心の闇と向かい合い命を投げ捨てなかった今の永夢を知っているからこそ、後の展開にも納得がいく。自分の運命を黎斗に絡め取られたものの、「なにもなかった」という彼の人生に「ドクター」という目標が生まれた時、永夢は初めて自分の人生を選び取った。そして、さながらノベルゲームのように何度も迷いながら一つの答えを選び、どんな闇も乗り越えていった。「患者の運命は、俺が変える!」とは永夢のドクターとしての闘う使命そのものであり、同時に自分にも言い聞かせていた心の声なのだと、本作を読んだ後では大きく印象が塗り替えられる。
本来戦闘用ではなかったガシャット「マイティノベルX」そのものを書き換えてしまう永夢の強い心。人生そのものがゲームであり、エンディングは永夢自身が描く結末。運命は自分で切り開く、という彼の信念から産まれた新フォーム・ノベルゲーマー レベルXは、永夢の言葉を現実にするというムテキゲーマーさんもビックリの仕様で、黎斗Ⅱと対峙する。
そして神=黎斗Ⅱにかけた永夢の言葉が、『エグゼイド』という作品の終着駅として本当に素晴らしい。自らの才能に限りないほどの自信を持つ黎斗は、時に人の命を、人生をも操るゲームマスター=神として存在し、そしてこれらかもそうあり続ける。それに対し永夢は、自分で運命を掴み取る生き方を選び、神の挑戦にも屈することなく闘い続けてきた。患者の命を救い運命を変え、そして最後に自らの運命も切り開いた。その姿は、ヒーロー=英雄と呼ぶに相応しい。
『仮面ライダーエグゼイド』は、ゲームと医療という題材をデザインや物語に落とし込み、その結節点として「命」を描き続けた作品であった。命を救うドクターの使命がライダーと怪人の闘いであり、その怪人の命そのものにまで触れ込むほどに、命と向き合い続けた。その先にある教訓として、命ある限り運命を切り開いていくために闘うことが「人生」である、という実にシンプルかつ胸を打つメッセージを伝えんとするのが本作『マイティノベルX』の役目であったのかもしれない。困難な壁を乗り越えるのがゲームならば、人生もまた然り。トリッキーな題材ながら普遍的な命の賛歌を謳い上げる本作の巧みさ奥深さに心底感動し、高橋悠也氏への信頼度は高まり続ける一方だ。
自らの過去と向き合い、それを打ち明けたことで真に結束しあった永夢とドクターたちの微笑ましい打ち上げ風景で、『エグゼイド』は真の完結を迎える。どこか物寂しさを覚えつつ、読了後の満足感にしみじみと浸りたくなる一冊であった。こうして放送終了後も良質なストーリーを楽しみ、キャラクターたちのその後を垣間見ることが出来る平成ライダーの土壌に感謝する他ない。また誰かに『エグゼイド』を薦めたくなってしまった。
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