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頼むからリマスターしてくれ!PSPの名作ハクスラ『煉獄弐』で、終わりのない闘いにその身を焦がす。

 先日、次世代ハード「PS5」が発表された。驚きの高性能と、それに似つかわしくない低価格、ビッグタイトルのリリースが同時に告知され、思わず財布の紐を緩めてしまいそうになる。その一方で、活躍を終えた旧世代のハードは、ひっそりと市場から消えていく定め。『モンスターハンターポータブル』シリーズの特大ヒットと共に販売数を拡大していった「PSP」も、もはや携帯ゲーム機がスマートフォンに取って代わる時代を見守りながら、後続機の「PSVita」と共にその役目を終えていった。

 「全力で推したいゲーム」と言われると様々なタイトルが思い浮かぶ。すでに単独で記事を書いた『ワンダと巨像』『エヴァ2』の他にも、『ガメラ2000』『デビルメイクライ3』『仮面ライダーカブト』『クレイジータクシー』などなど、恋人もいやしなかった灰色の中学時代を支えてくれた名作たちのことは、数千字費やして語りたい。その中でも、叶うはずもないと承知の上でリメイク/リマスターでの復活を待ち望んでいる名作ソフト『煉獄弐 The Stairway to H.E.A.V.E.N.』の話をしたい。クラスメイトがモンハンでレア素材を求め集まる中、それとは正反対の凄惨で終わりのない闘争の日々に身をやつし、ダークな世界観の虜になってしまった、隠れた名作のことを。

 『煉獄弐 The Stairway to H.E.A.V.E.N』は、2006年に発売されたPSP専用のアクションゲーム。一応前作が存在するシリーズ2作目にあたるものの、設定と世界観だけを共有した単独の物語が展開されるため、ゲームシステムとグラフィックがより洗練された『弐』を、推していきたい。

 本作は「A.D.A.M.」と呼ばれる人工知能を搭載した人型の戦闘兵器を操作し、迫りくる同型のA.D.A.M.と闘い全8階層の塔の頂上を目指すアクションゲーム。本作はいわゆるハクスラゲーで、倒した敵が落とした武装を拾い自機を強化し、さらなる強敵に挑んでいくというシンプルな構成。自機の成長にはレベルの概念がなく、自身を強くするためには強力な武装を手に入れるか、プレイヤー自身のプレイヤースキルを磨くしかない、というストイックさが、当時のゲームの中でも一際浮いた存在だった。

 公式のPVやプレイ動画等がないためこうしてネットの海から拝借するしかないのだが、この動画の冒頭だけでも観ていただければ、その奇怪な魅力が伝わるはずだ。人型の人造兵器が突如目覚め、何の説明も得られないまま同族と殺し合うことに。自機を含め、A.D.A.M.の動きは妙に生々しく、やや違和感を覚えるほどにヌルヌルと動き、重みのある格闘技や剣術を繰り出してくる。敵が落とした武装を装備し、また次の敵へ。階層に存在するすべての敵を倒すまでその繰り返し。一体なぜ主人公は同族と闘うのか。目指すべき塔の頂上には何が待ち構えているのか。それすらわからないまま、ただひたすらに目の前の敵を殺す。武装が揃い戦い方にバラエティーが生まれたところで、階層のボスと対峙する。「七つの大罪」モチーフが込められた各階層のボスたちは、死に際に主人公に関する記憶を語り、死を迎える。長尺なムービーなどはなく、少ない台詞から断片的に伝わってくる、人類の黙示録と闘いの輪廻に囚われたA.D.A.M.の悲哀。「みんなが知らないようなコンテンツに触れることで優位に立ちたい」などという不可思議な自意識に苛まれていた中学生の心に、深く突き刺さった。

 『煉獄弐』の魅力の一つとして、ハクスラというゲームジャンルにストイックすぎるほどに特化した作風そのものが挙げられる。ストーリーを語るためのムービーやカットシーンは最小限に、ミニゲームのような箸休めの要素も一切なく、ただひたすらに戦闘を繰り返し、武装を収集する。その自由度たるやすさまじく、武器種としてはハンマーや日本刀、パイルバンカーなどの近接武器、ハンドガンやショットガンのような火器兵装、レールガンやビームライフルといった電子武器に対空ミサイルに代表される重火器、果ては量子砲に反物質砲といったヤバめのものがどんどん登場し、その全てを網羅するのは至難の業。泥臭く一体ずつ制圧するための闘い方もあれば、超兵器でフロアの敵を一掃という闘い方もできる。

 さらにそれらの武装は頭部/右腕部/左腕部/胸部/脚部の計五か所に装備(設定上「生やす」)ことが可能となっている。つまり、頭から拳銃や日本刀を生やし、その癖両腕は素手で、なぜか胸部からドリルがそそり立っている、みたいな悪夢めいたターミネーターを造ることが可能なのだ。武装の数も膨大なら、装備箇所によってモーションも変わるため、組み合わせは無限大。手持ちの武装と相談しながらプレイヤーの数だけ多種多様なプレイスタイルが生まれるその様子は、実況動画が当たり前のものとなった現代でこそ映えるはずだったもの。生まれる時代が早すぎたのだ。

 ストーリーを語る手段は最小限とは言ったものの、物語が「薄い」ということを意味するわけではない。むしろ、ダンテの「神曲」や北欧神話から引用されたキャラクターの名称や辿る運命、タイトルにある「煉獄」の意味を知った時の衝撃は、未だに忘れられない。

 人口知能搭載自立型戦争兵器A.D.A.M.とは、戦争の道具として人類が開発し、やがて戦争が終わった後はショービジネスの「演者」として扱われていった、意思なき生命。終戦後、人類は全てのA.D.A.M.を塔の中に閉じ込め、彼らが他のA.D.A.M.と闘い塔の頂上を目指すよう命令することで、A.D.A.M.達は戦闘本能のままに同族と闘い、負けば全ての兵装を奪われ最下層に舞い戻る。彼らには死が存在せず、終わりのない闘いに永遠に囚われることとなり、A.D.A.M.たちの戦場であり墓場でもあるその塔は「煉獄」と呼ばれたー。
 そんな中、プレイヤーが操作することになる一体のA.D.A.M.は、なぜかGRAMという「固有名詞」を持ち、各階層のボスたちは自らを「隊長」と呼ぶではないか。ただの兵器に過ぎないA.D.A.M.の中で、たった一人自由意志と個性に目覚めた特異点。その裏に隠された哀しき物語が、徐々に明かされていく。

 これ以降の物語を語るのは憚られるのだが、本作の物語を表するならまさに「地獄」の一言。文明が崩壊した人類の末路と、終わりなき戦いを宿命づけられた戦争の道具たち。それらが折り重なり、かすかな希望とは裏腹にその背後には数えきれないほどの屍が転がってる、この末恐ろしさ。

 エンディングを迎えても、そのダークな後味に魅了され、世界の真相を知ってもなお私はGRAMを開放することなく、またしても煉獄の塔の最下層に引きずり込んでいった。敵を倒し、より強い武器を収集するという「ハクスラ」というゲームジャンルを「終わりのない闘い=煉獄」に例えるという秀逸な意味づけを行った本作だが、私はすでに殺戮と奪取の輪廻に心奪われ、数えきれないほどの時間を本作に費やした覚えがある。

 それこそ寝る間を惜しんで、前転で高速移動しながらマップを疾走し、視界に入った敵をチェーンソーと火炎放射器でスクラップにして、ドロップした武器を見ては一喜一憂した。強力な武器が揃えば無双を、そうでなければ無慈悲に武装を奪われ最下層へ逆戻り。硬派な難易度と爽快な操作感が尋常ではない中毒性を放ち、積み重なっていくプレイ時間に伴って学業は疎かになっていったが、輝かしい青春を硝煙の香りに染めてくれたこのソフトのことを悪く言うつもりはない。むしろバッドエンド好きという性癖を育てていったのは本作との出会いがきっかけなんじゃないかと、アラサーになった今しみじみと思い返すに至った。

 現在でもダウンロード版が安価で配信されているため、PSPやPSVitaが現役であれば手軽に遊べる名作ハクスラ。ただそれでも、オンライン対戦を実装したリマスター版や、贅沢を言えば新作を心の奥底では待ち望んでいる。だが、発売元のハドソンが事実上消失しているため、その復活も絶望的。それでも諦めきれない気持ちが本noteを書き起こすに至ったため、何かしらの奇跡が起きたら学生時代よりも短くなった睡眠時間を捧げて煉獄に乗り込む所存であります。煉獄、マジで面白いので騙されたと思って買ってください。現場からは以上です。

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