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今こそ立ち上がる時―。『ガンパウダー・ミルクシェイク』

 旨い。今、モスバーガーで買ったミルクシェイクを飲んでいる。普段はあまり甘い飲み物を買わないのだけれど、今日だけは特別だ。あの糖尿病不可避な特盛ビジュアルのミルクシェイクが飲みたくて、映画館を出てからウズウズしていた。そして今、ストローを介して優しい甘みが舌に伝わり、先ほど観たばかりのスクリーンの光景が頭の中で再生される。

 80年代を思わせるネオンの眩しいこの街には、「ファーム」と呼ばれる暗殺組織が存在している。そこに所属する女殺し屋のサムは、組織の金を持ち逃げした会計士からブツを取り返す指令を受けるのだが、誤って会計士を殺してしまい、しかも会計士には身寄りのいない娘がいることを知る。その少女エミリーを守りながら逃避行をするサムだが、直前の任務で街の大物の息子を殺していたことが明らかになり、彼女はマフィアと組織の両方から追われる羽目になる。

 この映画、何と言っても冒頭からたまらないシーンの連続だ。暗殺仕事を終えたサムが向かったのは、目に優しくないネオンがギラつくダイナー。店に入るなりウェイターが手持ちの武器を預けるよう指示する。店内の様子や佇まいこそアメリカ映画で見慣れたはずのダイナーだが、どうやらこの店は「表」の世界に属していないらしいことがわかる。

 そしてテーブルに置かれたのは、パフェグラスにたんまり盛られたミルクシェイク生クリーム付き。そのポップな見た目と胸やけしそうなボリュームは、先ほどまで傷口を自分で縫っていたハードなサムの人生とは似つかわしい。……とここで、時間軸は一旦15年前に遡る。同じく殺し屋だった母との哀しい記憶、飲みかけのミルクシェイク。二本刺さったストローが、かつての喪失とリンクする。

 本作は、ポスターや予告編から受ける印象を一切裏切らない、正統派のシスターフッド・ムービーだ。カレン・ギラン演じるサムは、その長身を活かしての素早いアクションで敵を翻弄し、幼い少女を護るために男共と闘う。そんな彼女が身を寄せる「図書館」の実態は武器庫であり、裏稼業と重火器に精通した司書官(もちろん女性だ)たちがサポートしてくれる。そこで手渡される書物もフェミニズム文学、あるいは批評本であるらしく、彼女たちは知識と気骨を兼ね備えた強い女性として描かれる。

 何せ、本作の男共ときたら高級スーツに身を包み高層ビルでふんぞり返るか、チンピラまがいの戦闘員くらいで、ちっとも格好良くないし、気高くない。その癖、暗殺だの掃除だの、汚い裏稼業を担うのは女性ばかりだ。そうした搾取の中でサムは母親を失い、自らも裏の世界に身を置くしかなかった。そんな社会で生きてきた女性たちの前に、今まさに肉親を失い涙する少女がいるとすれば、放っておくわけにはいかないのが人情だ。失ったものは取り返せないが、もうこれ以上奪われないために闘う。そういう物語だ。

 何より眩しかったのは、サムとエイミーを追う男たちが図書館を訪れた際に、規則に則り撤退するはずだった司書官のお姉さま方が、最前線へと向かうシーン。普段の彼女たちの仕事は武器の斡旋であり、おそらくは自らが現場で闘うことはないのであろう。そんな彼女たちに火が点いたのは、神聖なる図書館に無礼を働く男共の蛮行が目に入ったからだ。このおクソ共に痛目見せてやる―。そこから始まる大バトルシークエンスは、殺しのアイデアもさることながら、彼女たちのイキイキした表情がどれもこれも「最高」の一言だ。

 彼女たちは自らの仕事に誇りを持っており、サムも司書官サイドの女性たちもみな「カタをつける」ために銃を手にする。サムが少女を護るのも、自らの失態の後始末をするためだ。決して「母性」による動機として描かれ、性役割を強制することもない。辱めを受けたり、肌を晒すようなシーンさえもない。己の力、そして職人同士のプライドを武器に闘うからこそ、『ガンパウダー・ミルクシェイク』の女性たちはどこまでも格好良くて、血だらけでも美しい。

 タフな女性たちが心の中で中指立てながら、重火器をぶっ放す。痛快、痛快すぎて思わず声を出して笑ってしまった。ビジュアルもアクションもストーリーも、その全てが彼女たちの佇まいや生き方を描くために力を注ぎ込まれているようで、その思い切りの良ささえも笑顔を誘う。暴力とその犠牲、あるいは責任をテーマにしており甘口とは言い難いが、お腹いっぱいにさせてくれることだけは間違いない。オススメです。

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