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『仮面ライダーW』の風は、11年経ってもやっぱり心地いい。

 オタクなので、他人の好き語りは何よりの御馳走だ。作品でもキャラクターでもいい、それとの出会いや思い出話、練りに練られた考察でもアンオフィシャルな妄想だって構わない。その人なりの熱のこもった好き語りを取り入れて、自分の思考とすり合わせて知見をアップデートしたり、全く未知のコンテンツに飛び込んでいく楽しみは、私の人生にとって欠かせないものである。

 そんな折、開設当初から追っていた「リモコンラジオ」の第6回が『仮面ライダーW』を語る回だったので、缶ビール片手に金曜日の夜拝聴したのだが、これが最高だった。公式ではないファン側から観た『W』の魅力って、風都という世界観とそこに生きるキャラクターたちへの愛着に根付いていること、「仮面ライダー」という名称へのこだわりが名作『運命のガイアメモリ』に繋がっている点など、作品の構成がいかに巧みであったかを短い時間で振り返る。何より、放送から10年以上経つコンテンツが未だに作品展開が進行中で、ファンの間で愛され続けていることを再確認できたことが、何よりも嬉しい出来事だった。

 あれから11年。年号の移り変わりと共にライダーも平成から令和にアップデートされ、数多のライダー、数多の物語が生まれた。それらをズラりと並べて、自分にとっての至高の一品を選べと言われたら、『W』を手に取る自信がある。全ライダー中でも最愛のフォームは未だにサイクロンジョーカーだし、数えきれないほどに繰り返し視聴したのは『運命のガイアメモリ』だ。そんな『W』の世界にいかにしてハマっていったか、振り返ってみたいと思った。なぜ『W』が好きなのか、ちゃんと文章に起こしてみたかっただけの、ただの自己満足なのだけれど。

 ここまで長い前置きをしておきながら、実は『W』を放送当時、リアルタイムで視聴してはいなかった。『剣』辺りで一度ライダーを卒業し、『ディケイド』で舞い戻ってきた高校生の大きいおともだちだった私は、それはもう盛大に「ロス」を発症しており、ディケイドを卒業できていなかった。悪名高き「続きは劇場で!」に完全に心を奪われてしまい、まだ見ぬ完結編に向けて録画した『ディケイド』を繰り返し観たり、響鬼~キバの穴埋めをしながら、年末の『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』を心待ちにしていたのである。

 そして迎えた公開日。ディケイドの真の完結編を求め意気揚々と劇場を訪れた私は、全くの予備知識もない丸腰の状態で、あの『ビギンズナイト』を喰らってしまった。衝撃だった。初見時はあれだけ面食らった緑と黒の半分こ怪人がスタイリッシュに闘う様に、吉川晃司がまとう特撮ヒーロー映画らしからぬ重厚さと渋さに、鑑賞後は上手く感想を言語化できないほどのショックを受けた。『W』、面白いのかもしれない。それでもまだ、当時は『ディケイド』を咀嚼しようと懸命に試みるあまり、『W』のことは頭の片隅に追いやってしまっていた。

 それから再び『W』を意識したのは、番組があと2回で完結するという夏のこと。すでに『オーズ』が発表されその色彩に驚きつつも、どうも『W』を観ていた周りの大きいおともだちが騒がしい。「来週がヤバい」「ぜったい観たほうがいい」と熱くWのことを話してくれた彼は、大人になってコンセレのベルトを買うほどのWファンになった。そんな彼の熱量に根負けして、ついに『W』との出会いを果たすことになる。そのヤバいクライマックスまで間に合うはずも無かったが、そこまで言うなら観てやろうじゃないかと、ライダーを観ていることに引け目を感じる高校生特有の自意識を抑え、帰宅したことを鮮明に覚えている。

 なお、後にDVDを購入し、今では正規の配信などで視聴しており、10年以上前のことなので「時効」にしてほしいのだが、当時はインターネット上の違法アップロード動画が初見であったことを、告解ということで告白しておきたい。まだレンタルDVDも出揃っておらず、録画もうっかり削除してしまっており、このような形でしか当時『W』を観ることが叶わなかった。罪の意識もないまま、字幕職人によって加工された動画を観て、『W』の世界観にどっぷり浸かっていたのである。恥ずべき過去、若気の至りということで、どうか許してほしい。

 ネットの海に転がる、画質の悪い動画での出会いになってしまったものの、『W』との出会いはそれこそ鮮明な思い出である。風の街・風都を舞台に、人を怪人に変える「ガイアメモリ」を広める謎の秘密組織と、街を守るヒーローとして都市伝説的に語られる仮面ライダーとの闘い。私立探偵、左翔太郎の元に舞い込んでくる不可思議な事件を、相棒のフィリップ、所長である亜樹子と共に解き明かしていく物語が、2話完結のエピソードとして語られていく。

 平成ライダーで時折揶揄されるのが、怪人がらみの事件が主人公の周辺だけで多発したり、世界規模の事件が起きていても描かれるのは都内近郊ばかり、というのがある。とくに『カブト』あたりで指摘されていた問題を、まず『W』は作品コンセプトを利用しクレバーに解決してみせた。主人公が探偵であるため、ドーパントにまつわる事件が主人公の元に集中するのも従来の作品に比べて違和感がないし、敵組織が風都を実験都市としてガイアメモリを限定的にバラまいていることも、上記の違和感への上手いアンサーと言えよう。そしてそれ以上に、「風都」という箱庭を創造しその中で時系列やキャラクターの関係性を緻密に組み上げることで、『W』の世界観は拡張性とファンからの愛着を手に入れたことが平成ライダー史における「発明」だったのだと、今になって思うのである。

 当初は事件の関係者として登場したキャラクターが、後の話数では和菓子屋で働いていたり、翔太郎の行きつけのラーメン屋や床屋が度々再登場することで、キャラクターたちが確かにそこに生きて、生活しているのだという実感。極めつけはあの「風都タワー」の存在で、他作品でも一たびあの風車が映ればたちまちそこは風都なんだと認識してしまうほどに、ファンの心に深く印象に残るランドマークに成長していったことも忘れてはならない。

 その集大成として、風都とそこに生きるキャラクターたちが再登場し、街のヒーロー・ダブルを救うという奇跡でファンの心を熱くしたのが劇場版『運命のガイアメモリ』だ。ヒーローに救われた人々が逆にヒーローを窮地から救うという構図、「仮面ライダー!」という祈りに似た声援はヒーローショーなどで見かける、子どもたちの声援で復活するヒーロー、という特撮史における文脈も連想させ、問答無用で胸が熱くなる。と同時に、TVシリーズのダブルの歩みが積み重なった結果としてのサイクロンジョーカーゴールドエクストリームの覚醒は、ダブルに負けた仲間をあっさり捨て去ったエターナル=大道克己に打ち勝つロジックとしても完璧で、何度見返しても「傑作」の言葉が覆ることはなかった(そんな大道克己の印象は後のVシネマで大きく覆ることになるのだが……)。

 そんな街のヒーロー・ダブルは、左右二色に分かれた色使いで、今でこそ奇抜な印象を抱くことはないが、情報が解禁された当時は界隈に激震が走ったような記憶がある。ところが、緑は初代から続く仮面ライダーの力の象徴「風」の意匠で、オープニング映像でも強調されていた首元のマフラーが風にたなびけばやはりその姿は仮面ライダー。そこに黒のエッジが効いた左半身があることでスタイリッシュに洗練された印象を抱かせ、「原点回帰」と「フレッシュさ」が混合した不思議な味わいは、シリーズ後半に差し掛かる頃には「フィギュアが欲しい!」と強く思わせるほどに心に刺さった。

 また、ヒートやルナといった「属性」を司る右半身と、ロッドで闘うメタルや銃使いのトリガーといった「バトルスタイル」を司る左半身。それらを組み合わせ3×3通りの形態変化を可能とする新しい概念は、平成ライダー史におけるフォームチェンジの革新であり、おもちゃの販促としても巧い戦略であった。メモリを買い足しても追加で変身できるフォームの選択肢は一つではなく、手持ちのものとの組み合わせで何通りにも増える、というのは後の『オーズ』『ビルド』にも受け継がれた手法で、変身アイテムのコレクション性が高まり「集めたい!」と思わずにはいられなくなる。当時のパパさんママさんには苦い商法だったのかもしれないけれど。

 『W』のフォーマットは上述の通り2話完結の平成ライダーおなじみのそれだったが、全体を貫くメインストーリーも、加速的に面白くなっていった。ガイアメモリを街にばらまく謎の組織・ミュージアムの正体にわずかながら近づく過程で、フィリップを「来人」と呼ぶ園崎家の暗躍。街を愛した霧彦の離脱と、入れ替わりのようにやってきた照井竜の復讐劇。日曜朝に映っていいのか不安になるほどの強烈な印象を残す井坂の参戦。それらが絡み合いながらも最後はミュージアム=園崎家の闇に集約され、一家の内部でも姉妹の行く先が分かれていく中、ついに最終決戦の時が。そしてそれは、永遠にも思われた「二人で一人の仮面ライダー」の終わりへと繋がっていた。

 なるほど、みんなが騒いでいたのはコレだったか。伝説の48話。あと一回変身すればフィリップが消滅してしまう。そんな現実に悩み、闘う覚悟のできない翔太郎。それでも、最後の変身へ。宿敵ユートピア・ドーパントを倒した後の、悲しき別れ。主演二人の熱演、楽曲がエモーショナルに響き、当然のように落涙した。知人が例えて曰く「初めて『さようならドラえもん』を読んだときと同じ」と評したが、なるほどその通りだ。ずっと一緒にいられると思っていた相棒が、「一人でできる?」と問いかけながら、去っていく。たった一つの置き土産を残して。

 もちろん『W』が真のハードボイルドを志向する作品なら、物語はここで完結すべきだ。だが、翔太郎は「永遠のハーフボイルド」で、作り手は愛すべき半人前に優しい結末を与えた。それも含めて『ドラえもん』とは言いえて妙だが、続く最終話ではフィリップが帰還する。人で無くなってしまった来人が、家族の絆によってフィリップとして戻ってくる。感動的なラストと共に、待ち望んだあの言葉が完璧なエンドマークを打ち付けた。「さぁ、お前の罪を数えろ!

 かくして、『仮面ライダーW』の全てを閲覧した……と思ったのだが、嬉しいことに風都の愛すべきアイツらとの旅はまだ終わらなかった。私が最終回を鑑賞したころはすでに『オーズ』の放送が始まってはいたが、2010年冬には『仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE』が公開され、ようやくリアルタイムでWの最前線を追うことができた。TVシリーズのその後の物語として、照井竜と亜樹子の結婚式が描かれ、それと並行して亜樹子の父・鳴海荘吉=仮面ライダースカルの哀しき決断が明かされる。相変わらずの渋みでスクリーンを席捲する吉川晃司の立ち振る舞いに見惚れ、「ハードボイルド」の体現者たる荘吉の存在が『W』の根幹をなすのだと、再確認した次第だ。ちなみに、『オーズ』も放送終了後に遅ればせながら全話視聴し、今ではダブルに次ぐお気に入りのライダーだ。

 『MOVIE大戦CORE』の公開日にはさらにその後を描くVシネマ『仮面ライダーW RETURNS』が発表され、劇場パンフレットに掲載された広告を観た瞬間にガッツポーズした思い出がある。また風都のみんなに会えるだけでなく、スピンオフの主役はアクセルとエターナルだ。2号ライダーであるアクセルは納得の範囲だが、劇場版のゲストキャラクターたちの主役作が製作されるなんて、当時は考えもしなかったからだ。しかも両作を監督するのは『運命のガイアメモリ』の坂本浩一氏とくれば、これ以上の品質保証はない。そしてその期待の斜め上をはるかに飛び越えた二作が立て続けにリリースされ、当時は大学生になっていた私はなんとかやり繰りしてBDを両方購入し、今でも時折見返すくらいには大好きな作品だ。

 その勢い衰えぬまま、すでに毎年恒例になりつつあった冬映画の新作『MOVIE大戦 MEGA MAX』にもダブルが参戦した。その告知もかなり衝撃的で、当時の現行ライダー『フォーゼ』放送時のCM枠で特報が流れたのだが、フォーゼとオーズだけでなく昭和ライダー参戦も明かされ、そして我らがダブルがオーズ・フォーゼと並んだ3ライダー集結のワンカットの後にタイトルがドン!と映り、驚きのあまり「マジで!?」と日曜朝から絶叫する羽目になった。それから少し時が経ち、次弾のCMで翔太郎とフィリップの登場も確定し、風都民(私)は歓喜に包まれた。

 まだかまだかと公開日を待ち、初日のレイトショーでようやく鑑賞したが、当時の興奮もこれまた鮮明に思い出せる。栄光の7人ライダーによるアクションから始まり、「アンクと会いたいけれど本編終盤の余韻を崩してほしくない」というオタクの面倒な要求にも応え完璧なバランスで走り抜けたオーズ編。その感動から間髪入れずにブリッジとして我らが翔太郎が財団Xを追う形で物語に参戦。そして事前の告知では一切明かされていなかった仮面ライダージョーカーをサプライズ的に再登場させ、坂本監督への信頼度を揺るぎない段階まで引き上げてしまう。そこからフォーゼ編へと移行し、まだ瑞々しい福士蒼汰の真っ直ぐな演技が涙を誘い、最終話でやると思っていた「みんなで変身カウント」をここでやるか!!と驚愕した。

 そこからクライマックスの共闘パートへ。ここでのダブル(と昭和ライダー)の配役がこれまた丁寧で、フィリップが地球の本棚の設定を活かして説明役に周り、翔太郎は弦太朗と瞬時に仲を深める。宿敵レム・カンナギに辿り着きたい二人の意思を汲み、立ちはだかる障害を引き受け「後輩」の背を見守りながら戦う。ダブルが「先輩ライダー」としての貫禄をバッチリ示してくれる一連のシーンは完璧で、あくまでフォーゼとオーズが主役の映画である、という前提を崩さない程度の出演に留めているのも品がいい。それでいて「ライダーは助け合い」というオーズとの出会いに関わる台詞を拾うなど、オタクが喜ぶポイントをこれでもか!と押さえた作り手の愛に、痺れるような感動を覚えた。

 放送終了した作品としては格別の待遇を受けながら、一人のダブルファンとしても長く風都の風を浴びることができた。それからの大きな動きといえば、2014年の劇場版『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』に翔太郎のみが参戦し、駆紋戒斗=仮面ライダーバロンと一時的なタッグを組み、中の人が愛するBLACKと闘うという思わずニヤリなシーンも含まれていた。また、左翔太郎役の桐山漣氏には度々ゲーム関連でのボイス新録の機会があり、仮面ライダージョーカーの根強い人気を感じる瞬間がいくつもあった。同時に、どんどんブレイクしていき、年齢を重ね魔少年役も難しくなっていく菅田将暉氏のライダー現場へのカムバックが絶望的になっていくことへの一抹の寂しさも、ふいに襲い掛かるようになっていく。

 そんな風都民に思いもよらぬ奇跡が舞い込んできたのは2017年のこと。突如、翔太郎とフィリップ、そして風都の仮面ライダーの物語が漫画という形で展開されると発表された。その名も『風都探偵』。シリーズの脚本を執筆した三条陸氏と塚田P監修の正当続編として、現在も連載中だ。

 新たな媒体で紡がれる、鳴海探偵事務所と風都の物語。掲載された1話を読み進めていくと、脳内ではTVサイズの「W-B-X ~W-Boiled Extreme~」が鳴り響き、台詞の一つ一つが役者陣の声で脳内再生される、まごうこと無き『W』の世界観がそのままトレースされたような漫画版の世界。早く次が読みたい。もっと『W』の世界に浸りたい。その反響がとても大きかったのか、あるいは当初から企画されていたものなのか、『風都探偵』掲載誌である週刊ビッグコミックスピリッツ編集部(個人的には「様」とか「神」とか付けたくなる)は我々の願いを叶えてくれた。紙面とはいえ、桐山漣と菅田将暉の再共演を実現させたのである。

 この一報を知った時、その出来事が現実に思えず、奥多摩行きの電車を乗り過ごして泣きながら上司に遅刻する旨のメールを書いた記憶がある。誰も口にはしなかったが、翔太郎とフィリップが並ぶ光景を見ることを、諦めていた。ライダー作品に出演するか否かは本人の意向だけで決められるものではないし、『W』のことを度々ラジオや取材などで話題にしてくれる菅田氏が、『W』のことをないがしろにするはずなんてない。そんなことを承知で、それでも「二人で一人の仮面ライダー」にもう一度会えたらと、ずっと心の奥底で願っていた。それがいざ叶うと、認知のバグを起こして仕事に支障をきたすのが私のようなオタクなのだが、この号のスピリッツは紙の本と電子版の両方を買い、それこそ聖書のように扱っている。変身ポーズをとりながら並び立つ両氏は、私にとっては神の如く神聖で拝まずにはいられない存在だからだ。

 嬉しいことに、『風都探偵』は今でも連載中で、令和になっても『W』は現行ライダーのような錯覚に陥ってしまう。『風都探偵』はコミックス発売の度に当時のキャストのインタビューを掲載するのが定番になっていて、吉川氏までお呼びするあたり担当者も筋金入りだな、と思ってしまう。さらに、2020年10月発売の新作ライダーゲーム『KAMEN RIDER memory of heroez』でもオーズ、ゼロワンと並んで主役として登場。残念ながらCVはオリジナルキャストとはいかなかったが、ゲーム版ということで自分の中で住み分けして楽しみたいと思っている。何はともあれ、ダブルの活躍が見られるだけで風都民としてはこの上ない喜びだ。こんな日がずっと続いてほしいと願ってしまうのは、さすがに贅沢だろうか。

 「リモコンラジオ」に触発されお気に入りの回をピックアップして視聴し、本noteを執筆するに至ったわけだが、やはり『W』は何度観ても飽きないし、他のライダーにハマってもまた風都に帰ってきたいな、と思ってしまう。役者陣のアンサンブルやフォームチェンジで魅せるダブルのアクション、緻密に創り上げられたどんどん拡張していく世界観とキャラクターへの愛着などなど、褒めたいところを挙げればキリがないくらい『W』が自分の好みとベストマッチしていて、離れられない。そしてそんな私のような風都民が、今でもこの街の風が恋しくなって、里帰りするかのように作品を視聴する。それゆえに長きに渡り愛される作品になったのだと、言い切ってしまいたい。

 ほとんど箇条書きに近くまとまりがない文章になってしまったため、上掲の『風都探偵』の記事で自分なりに『W』の魅力を要約したものをセルフ引用して、〆ようと思う。

 この『W』という作品、平成ライダーという枠組みから俯瞰して見たときに、よく「完成度の高い」という印象を受けることがある(作品として最も優れている、という意味ではない)。撮影現場の状況やスポンサー商品である玩具の宣伝といった事情もあり、良くも悪くも「ライブ感」が持ち味の平成ライダーにおいて、ストーリーの展開やアイテムの設定、キャラクターの動向に至るまでが細かく組まれ、探偵ものの肝であるミステリー要素もわかりやすいヒントを散りばめつつ時に意外性があったりと、作品の面白さや整合性を担保する地盤がとても強固なのだ。また、TVシリーズと並行して製作された劇場版や、完結後に発表されたVシネマや小説においても作品間のリンクを徹底しており、特定の街を舞台にするがゆえの箱庭感が増す上に、作品間の違和感や矛盾がないというのはオタクとしてストレスが少ない。『仮面ライダーW』という作品はまるで緻密なパズルのように、いろんなエピソードや設定同士が無駄なくきっちりハマることに、一種の快感のような視聴感さえ抱かせてくれる。

 何も整合性だけが作品の質を担保するものではないが、精巧かつ丁寧に創り上げられた風都という箱庭の中で、心地よくその世界観に浸らせてくれる『W』の良さは、やはり揺るぎないものだと確信した次第である。やっぱり私の一番好きなライダーは、『仮面ライダーW』なのだ。


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