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『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』

 まず何と言っても、ハーレイ・クインを主役にした映画が作られるまでの土壌を生み出した、マーゴット・ロビーの功績は称えられるべきだ。『スーサイド・スクワッド』は諸手を挙げて最高!と言えるような作品ではなかったが、そこに登場したハーレイのキュートでマッドネスな再現度に全世界が魅了され、紆余曲折あってジェームズ・ガンが監督することになった続編よりも先にハーレイのスピンオフが先んじて公開。その際、マーゴットはハーレイだけでなく他のDC女性ヒーローも登場する内容をワーナーに打診、やがてプロデューサーに就任することで本作そのものをけん引する立場を手にし、女性たちの覚醒を促すシンボルとしてスクリーンに顕現する。

 その体制下で生まれた本作『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』は、ハーレイの独り立ちを通じて抑圧されてきた女性たちの華々しい覚醒を描きつつ、過度に重苦しくもお涙頂戴にも陥らない、DC映画で最もスカッとするエンタメ作品に仕上がっている。初めて『デッドプール』を観た時の驚きを思い出すような、DCにとってもブレイクスルーとなる快作だ。

悪のカリスマとして君臨するジョーカーと別れたハーレイ・クインは自由を謳歌しようとしたつかの間、「ジョーカーの女」という特権が外れたことで恨みを買っていた相手から一斉に襲われるようになる。その逃避行の最中、カサンドラ・ケインというスリの少女が、街を牛耳らんとするローマン・シニオスが血眼になって探すダイヤを盗んだことで、命を狙われていた。ハーレイはローマンに捕まり殺される直前、ダイヤを見つけ出すことを条件に解放され、カサンドラを捜索する。

 ハーレイ・クインというキャラクターは、ジョーカーの存在抜きに語ることはできない。ジョーカーに魅入られた精神科医がいつしか彼の相棒として悪に染まる、といった出自を持つハーレイはジョーカーが生んだヴィラン。それゆえにハーレイ・クインはジョーカーとセットで登場するのが当たり前で、彼の相棒として犯罪王を支える役目が彼女の存在理由であった。

 そこからの独り立ちのために化学工場を丸ごと爆破してしまうのも驚きだが、大変なのはそこからだ。ジョーカーの女という唯一無二の特権を失ったことでハーレイは恨みを持つ人物から命を狙われ、ベーコンチーズサンドを食べることすらままならない日々が始まる。ゴッサムの皆が恐れるのは彼氏(ジョーカー)からの報復であり、そこから一歩はみ出せばハーレイとて男社会の目線に晒され、侮蔑される存在になり果てる。そもそもハーレクインとは「道化師」を意味するフランス語であり、道化師は主人や観客を笑わせる仕事。男(ジョーカー)に依存する生き方を改め一人の女性として生きようと決心するも、次はローマンが支配するゴッサムの裏社会の磁場に引き寄せられ、男の手玉として動く羽目になる。

 そうした抑圧と搾取の社会構図に悩まされるのは、ハーレイだけでは無かった。女刑事レニーは手柄を男性上司に横取りされ、歌姫ダイナも仕事を与えてくれる主人のローマンには逆らえず、ハントレスに至っては男たちの財欲によって家族を奪われる凄惨な過去を持っている。誰もがみな、男社会に自由や安息を奪われた女性たち。そんな彼女らが、それぞれの事情でスリの少女カサンドラを追う過程で出会い、敵対し、やがてチームになる。一人では立ち向かえず、我慢するしかなかった彼女たちが、手を組むことで闘う力を得る。ハーレイ・クインの新たなチームは、ふんぞり返っている男社会に目覚めの一発を食らわせる、サイコーにクールでパンキッシュな女性たちの集まり。痛快すぎてワクワクする。

 抑圧からの解放というテーマを描きつつ、本作は常にユーモアを忘れず、破天荒なハーレイの動向をスタイリッシュに映し出していく。本作はハーレイによるナレーションや回想という形をとっており、時系列も行ったり来たりで目まぐるしくシーンが順序し、語りの内容と実際の映像がチグハグな都合の良い事実の歪曲も観られる。この自分勝手さがハーレイらしさでありながら、バラバラのシーンが「巻き戻り」によって一本の線に繋がる快感で誤魔化され、映画としての語り口の良さが結果として印象に残る。

 合間に挟まれるアクションシーンも実にスタイリッシュで、ゴア描写はないもののしっかりと打撃の痛みを感じさせる戦闘シーンはテーマ性の添え物として埋没しておらず、それ単体で満足度が高い。今作はアメコミ映画でありながらバットマンの持つような超兵器やスーパーマンのなどの超能力者は一部例外を除いて登場しない。だからこそCGエフェクトではなく役者の体技によるリアルな戦闘シーンが求められるのだが、軽い身のこなしで男どもを圧倒しバットをぶんぶん振り回すハーレイ、手錠をナックル代わりにして拳を振るうレニーなど、必ずワンアイデア足された上での格闘シーンはどれもが新鮮で目を引く。観ながら『ジョン・ウィック』を思い出していたのだが、鑑賞後にチャド・スタエルスキがアクション監修を務めていたと知り納得。ノンクレジットなため大きく報じられていないのだろうが、彼の抜擢は間違いなく作品の質を一つ上の段階に押し上げていると断言したい。

 『ワンダーウーマン』『アクアマン』『シャザム』ときて、「シリアスすぎる」とイジられてきたDCエクステンデッド・ユニバースも本作でようやく突き抜けたというか、素直に「楽しい!」という気持ちで満たされるエンタメ快作が生まれ、作風の幅が広がったように思える。女性らしさに縛られることも、男からの抑圧に怯むこともない、ただただ格好良くて憧れられる新たなヒーローチームの結成。それを束ねるはキュートでぶっ飛んでいるハーレイ・“ファッキン”・クイン様。画や劇伴にも重厚さは無く肩肘張らず楽しめるのもうれしく、一切の自粛も遠慮もない本作はどこか閉鎖的な空気を跳ね飛ばすエナジーに満ちている。「覚醒」という邦題に相応しいアッパーでハイテンションなDC映画の新たな傑作である。


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