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主人公の名前を決められる系のゲームが苦手という話、あるいはぼくと『ペルソナ3』の思い出。

 キャラクターメイク、皆さんはどれくらい時間をかけられるだろうか。ゲームをプレイするにあたり、自分の分身となるプレイヤーキャラの容姿や声を自由に組み替えて、自分だけのオリジナルキャラクターを創り上げるこの工程。中にはこのキャラメイクで2~3時間を費やしてまで納得のいく主人公を創造し、前作からキャラメイクの素材が減っただけでクソゲー扱いするほどにこだわりの強いプレイヤーも多いとか。長い間苦楽を共にする分身なのだから、こだわるのも当然だ。

 一方私は、このキャラメイクが苦手だ。優柔不断ゆえに全ての素材に目を通すまで決められないし、一度は納得したものの決定ボタンを押す寸前でやっぱり声を変えたりなどしがちで、一向にゲームを始められない。ゲーム開始後に再度キャラメイクできる作品もあるが基本的には作成後の変更は不可なものが多く、「あとで女キャラにすれば良かったと後悔しないだろうか」と思ったが最後、ここまで積み上げたメイクを根底から覆す“性転換”をしてしまい、これまでの時間が水の泡と化したことも一度や二度ではない。

 その中でも最も難儀なのは「名前」である。容姿や声はゲーム側が用意した素材を組み替えるだけだから、ある意味で選択肢が与えられている。だが名前だけは、最も自由な選択項目ゆえに、正解もない。正解がないのならテキトーでいいじゃないかと思うものの、どうせなら愛着が持てるものにしたいし、ゲームの世界観とは浮いたものにはしたくない、程度のこだわりはある。中世ヨーローッパモチーフの世界観のゲームで「空蝉丸」などと名乗る勇気は、流石に持ち合わせていない。かといって、自分の本名を使うとかえってその世界に入り込めなくなる面倒くさい性格の持ち主なので、かなり頭を悩ませることになるのだ。

 『GOD EATER』というゲームがある。これはいわゆるモンハンフォロワー、すなわち多人数で遊ぶ狩りゲーであるが一方でシナリオにも力が入った一作で、初代とその拡張版『BURST』は高校時代の友人とのコミュニケーションツールとしてかなりの時間遊ばせてもらったタイトルだ。さて、本作にももちろん主人公のキャラメイクが用意されているのだが、これが非常に難儀なのだ。

 『GOD EATER』はとてもマンガ・アニメ的な作風で、登場人物の名前も「雨宮リンドウ」「橘サクヤ」といった、漢字+カタカナにて組まれている。なれば当然、主人公=私の分身もこのルールに沿った、ゴッドイーターの世界観にあったものにしたい。それはもう、悩みに悩んだ。大剣を振るいスピーディーに戦場を駆ける、これぞ主人公というような格好いい名前。だが同時に「友人と一緒にゲームを遊ぶ際に茶化されたくない」という自意識もあって、ガチガチに中二病チックなネームにするのも、気恥ずかしい。このゲームは衣装が豊富に用意されてることもあって、自キャラを女の子にすることも検討した。だが、女の子の自キャラを着せ替えして遊ぶところを級友にバレるのはどうしても嫌だ。でも思春期の男の子なので「理想の女の子」を創り上げたいという仄暗い欲求がふつふつと沸き上がるのを感じる。なぜ私はゲームのキャラメイクで煩悩と理性の葛藤を感じなければならないのか。なけなしのお小遣いでゲームを購入したはいいものの、肝心の本編が始まるまでにすでに2時間が経過している。

 そんな悶々とした心と真正面から向き合い、選んだ結論が「2キャラ用意する」というウルトラCだった。つまり、友人と一緒に遊ぶ際の男キャラ主人公と、自室でひっそり遊ぶための女キャラ主人公、二つのセーブデータ=二つの分身を誕生させたのだ。ここで重要なのは、この男キャラ主人公は「外面(そとづら)」なので、大した愛着を抱く必要もない、ということだ。あくまで友達に見せる用のアバターでしかないので、ぶっちゃけどうでもよかった。なので名前も「ちゅんちゅん丸」だか「サバみそ」みたいな世界観ガン無視のひどい名前だったし、服もしばらくは初期の一張羅から変えたことさえなかったはずだ。そんなちゅんちゅん丸(仮名)も友人の興味が次のゲームに移り協力プレイをしなくなったことで役目を終え、存在意義を失った後はセーブデータを起動することなく、いわばゲームキャラを一人死なせてしまった、という苦い過去を背負うことになったのだ。

 一方、女キャラの方は、それはもうこだわりにこだわった。誰にも見られない自分だけの理想の女キャラクターなのだから、いくらでも自分好みにしていった。ゆえに名前も当時気になっていたクラスメートの女子から拝借するという暴挙を犯し、学生服風の衣装というあまりに場違いな戦場に繰り出しては、華麗にゲームの世界で敵を打ち倒していった。その際、やや短めのスカート&ニーソックスを着用させてしまったのは、若気の至りということにさせていただきたい。そういうお年頃だったのだ。なんかこう……その時々の自分なりの「カワイイ」を投影させて創り上げたユリナちゃん(プライバシー保護と筆者の精神安定のために仮名とさせていただきます)を愛でることが、ゴッドイーターとして世界を救うよりも重要になってしまっていたのだ。

 ちなみに、キャラメイクに参考にさせてもらったクラスメート女子は順当に恋人を作って学生生活を謳歌し、一方の私は告白をすることさえ叶わず撃沈したことに気づいて、衝動でセーブデータを消してしまった。そんな甘酸っぱくて思い出すと死にたくなる黒歴史を胸に、私はゴッドイーターとしてのロールプレイとはおさらばし、また別のゲームに鞍替えすることとなった。思い出してほしいのだが、2キャラを同時に進行させるということは、プレイ時間も2倍ということだ。それに費やした時間で自分の青春を充実させることだって、できたはずなのに……。煩悩赴くままにゲームを遊んだ結果、学力と視力を低下させ、貴重な時間を失った愚かな男が、私なのだ。

 それから反省することもなく、基本的にインドア趣味な私は大学生となり、友人のお薦めで『ペルソナ3ポータブル』と出会った。人気RPGシリーズ三作目の携帯機移植版で、これがもう本当に時間泥棒なゲームなのだ。一週目のプレイ時間は余裕で50時間を超えるし、周回プレイや「コミュ」と呼ばれるキャラクターとのエピソードを回収しようと思えばそれこそ200時間近く熱中して遊んでしまう、名作中の名作だ。

 そんなペルソナ3、RPGによくある「名前だけ変えられる」タイプのゲームなので、当然ここでも悩まされる羽目になった。デフォルトネームが用意されていれば気楽に始められたのに、それもなければ自分自身で主人公に名前を付けてあげなければならない。『GOD EATER』のように多人数で遊ぶゲームでもないからこれまた自由に創作していいものの、カワイイ女の子を作ろうなどといったリビドーがない場合、モチベーションが遥かに下がる。

 はて、どうしたものか。一向に名前を決められずグズグズしたまま、何気なく説明書の冊子を開いた時、電流が走る。説明書には主人公の名前は書かれていないが、人の名前は確かに書いてあった。そう、「声:石田彰」と。

 その瞬間、迷うことなくぼくのペルソナ3の主人公の名前は「石田彰」になった。つまり、キャラクターボイスを担当された声優さんの名前を拝借したのだった。なぜ気づかなかったんだ、最適解はここにあったじゃないか。だってこの主人公は石田彰さんの声で喋るのだから、名前も石田彰になって当然じゃないか。どうしてそんなことに今まで気づかなかったのか。

 こうして私は「石田彰」としてペルソナ3の世界に降り立ち、ロールプレイを楽しんだ。ゲームの友人たちは私を「石田」「石田くん」と呼び、私も石田彰として振舞った。本当に楽しかった。『ペルソナ3』はそれ自体が非常に中毒性の高いパトルシステムを持つRPGであり、それを円滑にするためには周囲のキャラクターと交流して「コミュ」を進行させ、絆を深めていくことが不可欠だ。つまり、人との繋がりが力になる、ということだ。なので石田彰は積極的に人と関わりを持った。私にとって『ペルソナ3』は石田彰が学友と放課後に買い食いをし、バイトして武器を買う金を稼ぎ、5人の女の子と同時に交際し、夜はタルタロスというダンジョンを探検し、そして世界を守って死ぬお話だった。私はこのイイ声した主人公に愛着を持ったし、彼が愛した人々や世界を愛した。石田彰は世界を救うためにその命を投げ出し、石田彰の死をこの世界のみんなが悲しんだ。そんな結末に、私もまた涙した。石田彰はもはや自分の分身という立ち位置を超えて、確かにこの世界に存在したかけがえのない一人の人間になっていた。

 私は『ペルソナ3ポータブル』が本当に大好きで、出来る限り全ての要素を遊び尽くしたと自負している。すなわち、主人公の性別を女にして、井上麻里奈として同級生と友情を育み、屋久島の海に目を輝かせ、5人の男子と特別な関係になり、夜はタルタロスというダンジョンを探検し、そして世界を守って死んだ。「井上さん」と自分を慕って話しかけてきてくれる同級生たちの好意がなんとも暖かい。そんな3を遊び尽くした後は『ペルソナ4』と出会い、浪川大輔として内なる我と向き合い、仲間と共に殺人事件の謎に挑み、菜々子を愛で、コミュのある異性全てと交際し、稲羽市の霧を晴らしたのだった。ペルソナ3と4、本当に最高のRPGだ。奥深い戦闘、快適なUI、思春期らしい等身大の悩みを抱えた登場人物、青春の尊さが詰まったストーリー……。私はその両作を主演声優さんのお名前を拝借してプレイし、それが主人公とイコールになっていくまでにのめり込んでいった。なのでペルソナ3の主人公は石田彰or井上麻里奈であり、ペルソナ4の主人公は浪川大輔だった。

 ところが、思いもよらぬ形で“正解”が提示されることとなった。『ペルソナ4』がアニメ化されたのだ。なれば当然、愛すべき主人公に名前が与えられた。ペルソナ4の主人公は浪川大輔の声で話す「鳴上悠」となった。ナルカミ?ナミカワ?!似てるが確かに違う名前に、当時かなり困惑したのを覚えている。なにせ私にとってペルソナ4の主人公は浪川大輔だったのだから、急に名前を変えられても困ってしまう。ペルソナ4のアニメはかなり原作に充実に作られていたとはいえ、メディアミックス向けに用意された人格ではあったものの、次々と発表される移植版や続編、スピンオフでも当然の如く「鳴上悠」として登場する彼のことを、おかしな話だが私は当初受け入れることが出来なかった。「浪川くん」として接してくれた友人が、愛を語り合った女子が急に「鳴上くん」と呼んで来たら、そりゃあ驚きもしますって。

 続いて『ペルソナ3』も劇場アニメが製作され、主人公には「結城理」という名前が与えられた。石田彰の声で話す結城理だ。もはや誰なんだ一体というわけで、実を言うと公開当時劇場に駆け付けることはなく、全4部作を鑑賞したのもわりと最近のことだったりする。それくらい、ペルソナ3の主人公が石田彰でなくなることがショックだったのだ。

 というわけで、名前を自分で考えなければいけないゲームとなんだか相性が悪い私だ。なので今ではリンクとしてハイラルを駆けまわったり、ドゥームスレイヤーとして悪魔どもを血祭りにあげたり、ベヨネッタとして堕天使をバッボーイ!している。自分を投影して遊ぶのがロールプレイの本懐とも聞くが、本名ではそもそも世界観に入り込めないし、かといって自分でイチから創作できるほどのセンスもないので、今でも困っている。まぁ何にせよ、キャラクターボイスを担当されている声優さんの名前を拝借するのだけは止めておけ、火傷するぞ。それだけはわかっていただきたいのである。

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