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【アウトプット】ビリーフリセットお話会に参加して感じたこと

お金がない。
お金がどんどん減っていく。
お金が入ってこない。
これはビリーフだと思う。
こんなにお金のビリーフをいい加減なんとかしたいと思っているのに、それが一向に変わらない。
お金のことを考えない、お金のことを考えない、お金のことを考えない。
無欲、無欲、無欲。

でも本当は、お金のビリーフをなんとかすればお金が入ってくるかもしれないという下心がある。
お金が欲しい。お金があれば安心だから。
働けなくなっても、家族の介護が必要になっても、子供がどんな学校に進学しても、
お金があれば頑張らなくていい。お金があれば我慢しなくていい。
じゃあ、それはいくらなんだろう?
何百万、何千万円あれば足りるんだろう?
私は一体、お金のために、何を犠牲にし、我慢しているのだろう。

最近ずっとそんなことを考えていた。

私の師匠大塚あやこさんのお話会があり参加した。
これまでの世界の歴史と、起こっている現実についての話
(戦争、奴隷制度、植民地、化学物質など)を聞いて、
私は罪悪でいっぱいになった。

子供を出産し生活が変わり、収入が減り、現実に目を伏せて自分の目先の財産を守るために生活するしかないと思うことが多くなった。
1円でも安いものが必要だし、1円でも貯めておきたい。
だけどそれを選択しつつ、心苦しい部分もある。
自分でそう思って発言したあとから、本当は子供がいるかいないかってあまり関係がないような気がした。

私は、もっと昔から知っていた。
利益を得るために、物を奪うために、都合良くするために、闇を隠すために
世界でどんなことが起こっているか。
日本でも、身近でも、自分の職場でも。
どんなことが行われていて、どんな人が犠牲になって、どんな代償が待っているか。

でも、私はそれを無かったことにしていた。
知らないことにして、見ないようにするしかなかった。
知ってしまうと罪悪を背負ってしまうから。
苦しいから。犠牲になることはできないから。
強くないから。力が無いから。お金がないから。

無いことにしている自覚は一応あったつもりだったが
忘れていたこともあって、愕然とした。
動物ショーを見に行った時、鞭で叩かれる動物を見て
ショックを受けて途中から見られず、数日体調も悪くなった。
あれは23歳くらいだったと思う。
当時の方が、その現実を受け止めようとする姿勢があったように思う。
でももう今は見ない、考えない、忘れる、その方法で生きている。
だから今日のお話会は、目をこじ開けられて耳を引っ張られて聞かされたような(自由参加なので全然そんなことはありませんよ!!)感覚になった。

とは言え、もうここまで言語化していて思うけど
私は罪悪を十分に抱えて生きている。
罪悪だけではない。無力も無価値も元々もっている。
世界がこうだからじゃない。
私がそう世界を見ているからだ。
ダメな世界と判定し、闇の部分をどうにもできないことにもがき、
ないことにし、変わらないことを信じ、変えられないと信じているからだ。

今、私に出来ることは・・・
「これしかない」から「これがいい!」と選択することだ。
基本に戻り、「いやだ」と「ほしい」を感じながら生活してみようと思う。

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