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漂流回想日誌-まるで漫画みたいな出会い-

僕は親しみを込めて彼のことを京さんと呼んでいる。
この人の周りには人間が集まる、いつの間にか周りが笑っている。
彼は1人のうたうたいだが、時にその編成を変え5人〜20人くらいの大所帯の編成に変わったり曲のサウンドで言ったら色々なアプローチをしているが奥山京が綴った歌詞とピアノで彩られた楽曲たちが最大の魅力だ。


奥山漂流歌劇団(奥山京)と出会ったのはいくつもの偶然が巻き起こした出会いだった。

2019.08頃だった、僕は深居優治さんと北の地へと目指して旅をしていた。
お金もない、食べるものも困っておまけに先輩には多大な迷惑をかける、正直言ってろくでなしだった。ただ毎日続くライブは待ってくれなくて、ステージで演奏する以外は本当にずっと雨が降っているような日々だった。

正直言ってボロボロの状態だった、今考えても正常ではなかったし金にもならない採算の取れないことをしていたんだと思えてしかたなかった。真っ当に働いていたら簡単に手に入るお金の10分の1ほどしか手元に残らないまさにその日暮しの生活、音楽をしているというより必死に生きているに近かった。音楽をしているんじゃなくて自分の苦しいを切り売りして銭を受け取る行為にどんなに綺麗に言おうがもはや音楽活動ではなかった。芸に対しての対価というより『頑張ってるでしょ自分』っていう身の売り方に心底反吐が出た。ただ生きる為に繰り返していた。

それにとても疲れてしまっていた。
もう、うまく思い出せない、何かの情熱で突き動かしていた身体は目的を持たず思考を殺してただ淡々と生きようとしている。音楽とはなんなんだ。
旅立ちの日に自分の所持金が帰り道に必要な金額に達していないことにとっくに気づいていたのに、帰る必要がない気がしていた。何処に帰ればいいのだろう、どの面下げて帰ればいいのだろう、そもそも帰る場所って何処だったっけ。
こんな街嫌いだと飛び出したはずだったのに、いつの間にか本当に帰り道がわからなくなってしまって文字通り漂流者へと変わった瞬間だった。

ぼくらが北海道に降り立って北国に着いた時には絶望的な気持ちになった、同じ日本なのに異国にいるみたいにどう頑張っても気合いじゃ帰れないところに来たんだと実感した。

ライブをした、その日のライブがどうだったとか特に思い出せやしない。深居さんはその日のうちに広島に行くためのフェリーに乗った。

僕はこのツアーで本当の意味で一人になった、知り合いも仲間も誰も居ない知らない街で。あんなに望んでいたことなのにいざその場所に行き着いたらいきなり不安が喉までくる、渦巻く、光が完全に閉ざされたみたいで自分の無力さを痛感する。

途方に暮れていたその時、僕の目の前に現れた人がいた。



その人の名は『なりまつえり』さんと言って北海道の鍵盤弾きだ。
その日のライブで共演していた、ライブをした自分に興味を持って話かけに来てくれたのだった。

『明日も何処かでライブ?』の問いに対して僕は
「何も予定はないし、帰り方もないんです」とだけ答えた。

なりまつさんは文字通り驚きを隠せない表情をしていた、目の前の憔悴しきったボロボロの人間がこんな問題に直面しているなんて想像もしていなかったと思う。

だけどそこからのなりまつさんは絶対大丈夫と言葉を発しながら帰るための方法を考えてくれた。そうしてでた答えが明日別会場でライブでそこに出演する予定で急遽参加できないかブッキング担当の人と交渉してみるというものだった。
ようは帰る方法というより明日も生き抜く為、稼ぐための場所を紹介するというものだった。

すぐに携帯を手に取りなりまつさんが何処かへと連絡を取る。そしてすぐに返信が来たみたいで僕にこう告げた。

『明日の出演決まったよ』


札幌LOGという場所は少しだけ札幌市内から外れた場所にあった、ボロボロのビルの地下に柔らかい燈りが灯った場所だった。お世辞にも綺麗な場所とは言い難いところではあったけど、何故かその場所に着いた時僕の頭上で降りしきっていた雨が止んだ気がした。包み込まれるような安心感がそこにあった。きっとあの時雨は降り続けていたのだけど、今思えばあそこは雨宿りできる場所だったんだと振り返れば思う。

会場について最初にやることはその箱の店長やスタッフさんに挨拶だ、今回に限っては何処の馬の骨かわからないボロ雑巾みたいな自分を前日に受け入れてくれた状況で感謝の言葉をまずは伝えたかった。そうしてそれらしい人を見つけた、金色に輝く長い髪と無性髭、細長い足で手先が異様に長い仙人みたいな人。でも何故か言葉を交わした時、大きな森に話しかけるような豊かさをその人に感じた。

それが僕と奥山京こと奥山漂流歌劇団との出会いだった。

全く気が緩めれた訳ではない、相手を警戒しているというよりかはここで頬が緩んでしまったら何とも戦えなくなってしまう気がして。きっと固い表情のまま僕はリハをしていたと思う、それか精一杯強がって平気なフリをしていたと思う。京さんあの時俺はどんな顔してましたか、ライブ直前までそんな感じで僕は戦っている人の顔付きをすることが精一杯でとてもじゃないけどカッコ悪いところを見せていたんだと思います。

ただ、唯一僕が自信持って言えるのがライブが始まったあの瞬間にはそれらが虚栄や見栄を張った自分ではなく、音楽を鳴らす自分でいれたということだった。

やっと見つけれたもの、100個探していた何かしらの1つに過ぎずそれを見つけたからと言って劇的に変わる訳でもないことだけれど。なにもない、何者でもない自分を今音楽という手段を使って表現しているという事実。とっくの昔に知っていたはずなのにそれと初めて顔を合わせたような新鮮さがあった。

僕は歌を歌った、そして話た。これまでのことを。15分ほどの持ち時間で力の限り。

最後の一音を鳴らし終わった時に我に返った。鳴り止んだその後に響いた拍手は柔らかい色彩を纏った音に見えた。

不思議だ、この場所に来るまで無機質に思えたあの音が今ははっきり目視できるような気がしていた、その中で一際景気良く音をコチラに届けてくれていたのが京さんだった。

自分の出番が終わり、一斉に北海道民から食べ物やお酒をご馳走になった。居心地が悪くないのにソワソワしてしまう。そんなに反響があるなんて思ってもいなかった、そうすると段々と捻くれた自分が顔を出し始める。みんな同情してくれているだけだって。

誰からも何も言われてないのにこれまでの自分のおこないが人に自慢できるものでないが故に自信がなかった。もぞもぞした気持ちのまま僕は席について他の共演者さんの演奏を見た。

そして先ほどまでPAをしていた金色の長い髪と無性髭を生やした男だ。大きな鍵盤を準備しセッティングしはじめ音を鳴らし始めた、僕はその時が来るまでその人が奥山漂流歌劇団と知らなかった。そしてもっとカーニバルみたいな面白おかしくどんちゃんする集団なのだと思っていた。
しかし違った、たった一人の男がそこに立っていた、想像とはかけ離れた繊細な音が鳴る、なんの小細工もない真っ直ぐな歌を歌っている。弾かれる鍵盤からは心の奥の方まで撫でてもらっているような柔らかくてどこか懐かしくてそれでいて無邪気で何処か遠い昔あったことがあるような音をしていた。何処だろう、記憶の奥のほうまで探すけど曖昧なものしか出てこない、でもなんでだろう。もう何も残っていないと思っていたのに自然に涙が溢れ出してきてしかたなかった。これまでの生きてきた道筋や、何かを失ってきた後悔や、降りしきるこの雨を止ませるのではなくそれごと包み込んでくれる。今目の前で鳴っている音楽に瞬きすらできなくなっていた。

鳴らされる鍵盤の音、無邪気なまでに真っ直ぐで、時にヒリヒリとする言葉も交えながら曲を奏でていく。あぁ思い出した。この音は小学校にあるピアノの音だ、子供たちが夢中になりながら鳴らしていた音だ。上手いとか下手とかそういうのではなくあの無垢な人間が奏でだす音だ。

演奏15分はあっという間に過ぎていった。いつの間にか長いこと振り続けていたはずの雨は止んでいた。


話しかけてくれたのは向こうからだった
『よかったよ』っと告げてくれた。
僕と京さんは話をしていくうちに共通の知り合いが多くいることを知っていく。
そして僕は京さんの不思議な部分に惹かれていっていた、この人はもしかしたら人間を引き寄せていく力を天性で持っている人なんじゃないか。そう思えるほど話が弾んだ。

僕が此処に来ることも必然だったように思えた。全部が神様が巧妙に仕組んだ道筋で、何を失ってしまっても札幌LOGに辿り着くように仕向けられていたんじゃないか。音楽と出会った、それも純粋無垢な音楽に。僕がどうしても探し当てたかったものだ、音楽と出会いたかった。どんなに借金をして辛い思いをしても音楽のことをもっと知りたかったんだった。それは理論とか学術的なものではなくて音楽そのものの本質や起源といった人間が生み出すもっとも原始的な部分を目撃したかったんだった。もっと知りたいという探究心で突き進んだ結果確かに無傷では済まなかったけれど此処まで辿りついたんだとその時はじめて気づいた。

結局僕はそのまま流れで京さんの自宅に泊めてもらうことになった。
偶然にもその日は先に滞在していた法橋ハジメさんがいた(この人も旅するシンガーだ)。
僕達は寝るまでの間缶ビールをもう何本かあけて沢山話をした、自分の街で誰ともうまいことこの音楽に対する気持ちをを話合うことができなくて自分がおかしな人間なのだと思っていたのだけれどそうではなくてちゃんと日本に同じ意思や思想や方向を向いて歩いている人達がいるのだと、仲間を見つけることができて本当に嬉しくてそれこそ朝まで語り合った気がする。

翌日僕は前日のライブの収益と物販の収益でギリギリ帰る方法を見つけて自分の街に帰っていった。(韓国経由で福岡に帰るという不思議な帰路だった)

『またおいでね』
京さんは寝起きの声で僕にそういった。
「また来ます」
僕はそう言って玄関の扉を開けた。

そこから僕はすぐに冬の北海道へと行くのだけれどそれも面白おかしいのだけれど、それはまた別のお話で。

僕はそう言った奇跡のような出会いをした京さんにとても助けられた、だから絶対に九州に来てほしかった。
そうして実現したのが4月22日〜27日までの九州ツアーだ。

日付が変わって今日、最終日になる四次元で僕達はライブをする。
ドックフード買い太郎さんを広島からお呼びして、我が街からはnarimoto sakiに力を借りてライブをする。

なにもかも無駄に思えた日々だったと思った時もあった。でも今は仮にそれが無駄なことだったとしても、その無駄が明日に繋がったのだと確信している。

一人でも多くの人に目撃してほしい。

京さん、京さんが繋いだものだって決して無駄じゃなかったんですよ。
まるで漫画みたいな僕達の生活を。









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