コロナ禍で19歳フリーターが実家を出た話

こんにちは。
コロナ禍の中、19歳フリーターで実家を飛び出して一年経ちました。
今回記事を書くことにした動機は、当時、実家から出たくてたくさん『19歳 フリーター 一人暮らし』と検索したことから体験談があれば悩んでいる方に少しでも勇気を与えられるのではと思ったからです。一人暮らしは確かにお金はかかりますが、後悔していません。
たくさん経験をし、ストレスなく過ごしていますし、1年間少しで貯金も100万円以上できました。実家を出るということで具体的なお金の話も出していますのがご了承ください。

結論から言うと、実家を出た理由は家庭環境です。
次女を贔屓する母、14歳の時から口を聞いていない父、家庭内で絶対王者の次女、小学生の時から不登校気味の三女という5人家族で私は三姉妹の長女でした。
元々家族とはうまくいってなかったのですが、それに拍車がかかったのがコロナ禍による緊急事態宣言でした。
2020年5月に1週間ほどのプチ家出、9月に数日間のホテル生活を経て友達と同居、2021年2月に一人暮らしが始まりました。

それでは長いですが、時系列順に経緯と行動を話していきます。

2020年3月、コロナ禍真っ只中で高校を卒業しました。
当初は進学をしたかったのですが、高校も奨学金を借りていたので進学をするお金もなく、卒業後は働くことになりました。しかし、夢を諦めきれず、フリーターとして貯金をしながら勉強をしていく道を進むことに決めました。

4月にアパレルでアルバイトを社会保険に加入し始めました。
このころ、全国的な緊急事態宣言で学校は休校。当然、私も休日は家で過ごし、家族全員が家にいる時間が長くなりました。今までは、次女も私も学校や部活、アルバイトがあり、家族の生活リズムがバラバラだったことで均衡が保たれていたのだと思います。
コロナ禍でのストレスなど次女の様々なストレスが私に向くようになりました。毎日、次女から「姉がフリーターなんて恥ずかしい。」「早く出ていけ。水商売でもしろ。」など言われました。
5人家族で3LDK、私と次女は同じ部屋でした。逃げ場もなく、容姿や性格、学歴など全てを否定されました。小学生の時から否定されていたのですが、今までは学校やバイト先など外に逃げ場があり、自我を保つことができていました。流石にこの時は母に相談したと思うのですが、相手にしてもらえず。
妹から言われただけで大袈裟な…と思う方もいると思いますが、相手によらず人間は毎日罵倒されてそれを発散する場がないと壊れてしまうと感じました。

そんな日々の中で、ある日の朝、自分の中で何かが切れ、妹に唐揚げを投げてしまいました。この時点で、食べ物を粗末にするなとか人に物を投げるなとかありますが、唐揚げを投げてしまった自分に驚き、このままだと本当に自分が壊れてしまうのではないかと思ったのです。
「とりあえず、頭を冷やそう」と思い、試行錯誤した結果、その日は家に帰らなければいいという結論に至ったわけです。
そうと決まれば、とにかく行動。バイト先に持っていく荷物の中に、お財布と気分転換用のゲーム機、化粧品などを詰め込みました。そして、いつも通り出勤をして、バイトが終わると公園に行きました。
さて、ここで問題になったのがどこに泊まるかです。緊急事態宣言の中、自分から誰か泊めてなんて言う勇気がないですし、親戚に頼れる人もいない、しかし貯金中で出費は押さえたい…そこで、思いついたのがインターネットカフェです。20時頃に到着、しかし身分証明書を忘れてしまい、入れませんでした。県外に進学した友達に話聞いて~と泣く泣く電話をしながら歩いていた時にビジネスホテルを発見。そのビジネスホテルに一泊することにしました。その時、友達しか繋がっていないSNSで「実家出てホテルなう」と投稿すると、友人から「うちに泊まりなよ!」とLINEが来て次の日からおよそ1週間、友人の実家にお世話になりました。これが一回目のプチ家出です。一応、行方不明で警察に行かれたら警察や友人家族に迷惑がかかると判断し、「もう限界です。安全な場所で暮らしています。探さないでください。」と母にLINEし、そのまま家族全員のLINEと電話番号をブロックしました。
この1週間は実家での息苦しさが嘘のように息がしやすく、自由と開放感、そして友人家族の暖かさに感動しました。生きるってこんな行動ひとつで変わるんだと感じて、人生に希望が持てました。
「気が済むまで居ていいよ」と友人家族からも言ってもらえましたが、そうともいかず、バイト先で店長から「住民票と保険証を持ってきてほしい」と言われ、実家に帰るミッションが生まれてしまいました。これ以上お世話になるわけにもいかないし、いいタイミングかなと思いました。
そして、また息苦しい日々が始まるのかという気持ちと母は心配してくれたかな、次女は反省したかな、という勝手な期待を胸に実家に帰りました。
実家に帰ると、「なんで帰ってきたの。そのままいなくなればよかったのに。」と妹からの罵詈雑言。母は何も気にせずに「楽しかったでしょ。」と発言。母は守ってくれないし、この家には私の居場所はないんだって再度実感し、涙が止まらなかったです。そのあとは、耐えながらもどうにか生活していました。寝るところさえあればいいと思っていたし、早く家を出るためにも夢に向かって勉強するにもお金を貯めなければと思ったからです。

それから数か月、9月になり、妹は就活シーズンに入りいつもに増してイライラが溜まっていました。そんな妹と深夜に口論になり、ヒートアップした中で母は私をホテルに連れていくことにしました。
スーツケースを持たされて3日間のホテル生活を始めました。
「次女の機嫌をなだめるから3日間我慢して」という内容でした。ホテルからバイトに通う日々で何度も物件を検索し、一人暮らしを始めようか迷いました。当時の貯金は、高校時代に貯めた額も含めて60万。飲食店とアパレルのバイトの掛け持ちでしたが、コロナ禍の影響もあり毎月の手取りは11万円ほどでした。このころには、夢の為に勉強を始め、毎月2万円の授業料も払っていました。地方ですし、寝る場所の確保で最低限の家を借りたとしても生活できるか怪しく、どうやって生きていけばいいか必死でした。貯金は地方を出て夢を追うためにしていたけれど、そんなこと言っている場合じゃないなと感じていました。
そして、3日目、母からは、妹の機嫌がずっと悪く、遠回しに私が帰る居場所はないことを伝えられました。
そこで、飲食店のバイト中に一緒に働いていた友人に「1日だけ泊めてくれない?」とお願いしました。
翌日、ホテルを出てスーツケースを引きずり、二人で食べる牛丼をテイクアウトして友人の家に向かいました。友人に家を出た経緯を説明すると、「じゃあ、一緒に住もう!」と言ってくれたのです。
こうして、友人とワンルームでの同居が始まりました。生活が今までとガラッと変わり、新しい人生に踏み出せた、そんな気がしたのです。
ここで気になるのは金銭の管理だと思いますが、諸事情あって家賃以外を分担となります。
食費や光熱費など基本は全て半分ずつ負担し、友人がアクティブで帰ってこない時もあったのでそういう時は当たり前ですが私が負担するなど臨機応変に決めていました。
光熱費などが半分になるのも節約になるからと言って支出を最小限にしてくれた友人は本当に優しかったです。新しい日々で何をするのも楽しかったです。
しかし、引っ越したことでアパレルのバイト先が遠くなり、勉強に支障が出始めました。給料の不満もありましたが、通勤時間が長くなったことが転職への追い風でした。コロナの影響もあり、毎月手取り9万5000円でした。アパレルなら洋服代が引かれるのでは?と思う方もいるかもしれませんが、洋服代が天引きされるアパレルでもないのです。シフトも穴埋めのような形で1日に4時間勤務の日もありました。給料を増やすために誘われた日雇いバイトもこの時期に始め、月に数回土日にお休みが欲しいことを店長に伝えました。ご時世のあり仕方のないことですが、気に入っていた職場の為、給料などで辞めたくなく解決する為の掛け持ちでしたので給料やシフトのことを店長に相談しました。そこで、友人との同居のことも否定され「我慢すればいいんだから、実家に帰りなさい。」と言われてしまいました。実家にいてもいなくても雇用形態は以前から悩んでいたことであり、それ以上に自分のやっと踏み出せた人生を否定されてしまった気がして悲しくなりました。
ここで、転職をしようと決めたのです。早速その日の夜に求人サイトを漁り、自転車通える距離で社会保険に加入できる時給がいいバイトに応募しました。そして、採用され、10月いっぱいでアパレルを辞め、11月から新しい職場で勤務することが決まったのです。
アパレルも辞めることが決まると店長からは「週一でもいいから続けない?」と言われていましたが、もう後の祭りでした。実家を出た私の次の目標は夢に向かって勉強し地方脱出です。そうなると、お金と時間が必要なわけで。飲食店のバイトはもともと短期でする約束でしたのでこのタイミングで終えました。

こうして、バイト先も住んでいる場所も関わる人も一気に変化したわけですが、収入も安定し、友人との生活も仕事も楽しく、以前より時間に余裕ができ、夢への勉強も進めていきました。
収入はだいたい毎月手取り20万~22万ほど。以前の倍になりました。Wワークで、一日7時間~8時間勤務で月に20日~22日働いていました。ちなみに通信業です。
今も上記と同じ職場で同じくらいの収入です。職場の人間関係も良く、たくさん学ぶことがあり19歳でこの職場の方に出会えたことに感謝しています。

さて、そんな楽しい毎日でしたが、収入が安定したことと純粋に自分の作業できる空間が欲しいこともあり、一人暮らしを決意します。
そして2月、ワンルーム家賃4万に引っ越しました。こうして、今に至ります。

家庭環境や収入、将来のことなど悩むこともたくさんあると思います。
しかし、考えるだけでは何も変わらない。とにかく行動あるのみだと、この1年で強く実感しました。
実家を出る前は収入が低いし貯金と一人暮らしを両立なんてできないと思っていましたし、コロナ禍で仕事を変えるなんてどこも採用してくれないと思っていました。実際に周りからもそう言われていたし、自分もそう思って流されるままに生きていたのです。追い出される形で家を出ましたが、そこから生きるために必死に行動した結果、毎日楽しく過ごせています。家を出てしまえば案外何とかなります。
家庭環境など理解されないことも多く、特に逃げることが難しいかと思います。
正直自分が出ていくしか選択肢がありませんでした。家を出て1年、母とは諸事情で会いましたが、母以外とは会うこともないですし、連絡先も知りません。きっと母にも黙って地元を出ます。親不孝って言われても仕方ないですね。
人を変えるのは厳しいので自分が変わるしかないんですよね。
何か悩んでいることがあれば、小さなことでもまず行動してみてください。
自分のことを好きでいていてくれる人は行動した自分を応援してくれたり、助けてくれたり、チャンスを与えてくれます。

小さなことでも勇気を出した一歩で人生は変わります。

この記事もそんな小さな一歩です。
拙文ですが、読んでくださりありがとうございます。
何か相談などあればその時はお力になれればと思います。

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