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西福寺古墳・馬絹古墳 矢上川古墳紀行(3)

 梶ヶ谷を挟む台地の両端にある2つの古墳

矢上川古墳紀行のシリーズの続きです。

今回は電車で行ってきました。

梶ヶ谷の地形

右が西福寺古墳、左が馬絹古墳

 この辺りも下末吉台地。現在はニュータウン開発で、切土や埋め立てが行われてゆるやかな傾斜地だけど…

昔はかなり開析が進んでいた場所のようです。

西福寺古墳

 今回は、梶ヶ谷駅から歩いていきます。駅からはゆるやかな上り坂。台地では高度差を感じませんが、進行方向右手側の住宅の切れ間から、反対の台地までの眺望が垣間見えます。
 ずっと尾根筋をすすみ下り基調になったところで、矢印のような交差点がでてくるので、それを左後方に曲がります。折れ返しのあとまっすぐ進むと「梶ヶ谷第3公園」が出てきます。

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 古墳側の入り口付近、この部分は後世に作られた段差かな?

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 直径約35m・高さ約5.5mの円墳。6世紀中頃~後半の築造。この時期、この地域の円墳としては、かなり大きな方だと思う。高貴な方が埋葬されているのだろうか?

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 子どもたちが探検した跡かな? 一応、案内板には「入らないでください」と書いてある。
 もちろん、大人の私は、遊んでいる子どもたちの目の前でルールを破るわけにはいきません!(立ち入り禁止にしている古墳の保存状態が良いということは、実際に行ってみるとよく分かります。)

馬絹への道

 公園からまっすぐ進む道は緩やかな下り坂で、先にはなにやら巨大な建造物が。地図上では貨物ターミナルとのこと。

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梶ヶ谷

 グーグルマップでルートの目星をつける。わかりやすさを優先し、尻手黒川道まで下ってから馬絹古墳へ登っていくルートを選択。
 しかし、丘の上の住宅地が入り組んでいて道に迷い、通りがかりのお姉さんに道案内していただきました。(このコロナ禍で、見知らぬ人にもかかわらず優しくして下さり、本当にありがとうございました。)

馬絹古墳

 古墳の入り口には、石碑を含む公園があります。その先の柵で仕切られた敷地内に、古墳があります。

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 直径33m、高さが約4mの円墳です。

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 ちょうどこの日は、木の剪定作業中。作業員の方が写らないように撮ったので、古墳の写真はこの2枚のみ。忙しそうに働いている中じっくりと見るわけにもいかず、後は案内碑の写真を撮るだけで終了。

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 発見時は盗掘された後で、鉄釘以外なにも残っていなかったようです。7世紀後半の築造は古墳時代末期なので、石室の大きさを考えると、埋葬者はなかなかの有力者だったのでしょうか?

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 馬絹古墳の調査結果をまとめた川崎市教育委員会のサイトです。同じタイトルですが、上は概略、下は古墳の形状や石室の詳しい内容です。

馬絹神社

 古墳を見た後にお隣の馬絹神社を参拝しました。(実際は本殿から下って最後に鳥居に出たという感じです。)

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 結構、階段を上ります。(下りました。)

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 丘に丸るく抱かれた、立派な感じのお社です。大昔は女体権現社と呼ばれていたそうです。(イザナミノミコトを祀っているので女体権現)

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 社の右手に階段が…そこにはご神木が祀られていた。

 御神木「千年松」
昭和十六年まで参道入り口に茂っていたが、戦争の為、切り取られる。
古代、頼朝公が松に馬の袖絹を掛けたとの伝説あり、故に馬絹とも云へり。

 馬絹って「馬で絹の産地をつなぐ」街道的なイメージだったのだけど、全然違っていた。確かに「絹の道」は江戸後期の話だし…

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 階段を上ると、丘の頂上に出ます。

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 もしかしたら、こちらも(富士)塚なので古墳かもしれません。

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 そして、お隣には…馬絹古墳の反対側が見えます。こちらからだと、墳丘の構造や周縁が分かりやすいですね。

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 この位置から、矢上川方面の眺望。かなり高さがありますね。

感想 
 結局、馬絹神社の参道から上がって古墳に向かうのが、一番分かりやすくてワクワク感のある王道ルートだということを認識しました。
 結論として、古墳巡りではグーグルマップを信用しすぎてはいけません!


矢上川古墳紀行の続きは…
同じ矢上川沿いの千年伊勢山台紀行へ


オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。