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地形ヲタ、中世の城址にハマる

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高い所や凸凹地形が好きなので、(戦国武将には興味がないけど)山城を見つけたらとりあえず登ります。
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#戦国時代

中世の城 茅ケ崎城址(2)

(1)からの続きです。前編は、城郭構造や歴史についてまとめています。 いよいよ、城郭を散策。その前に、もう一度お城の全容を。 では、参ろうぞ! 北郭入り口からスロープ登った所にある広場です。 現在の北郭広場は、東西40m*南北30m*ほどの長方形の敷地。公園化に際して入り口用にスロープを削ったので、当時の北郭はもっと広かったらしい。 標高28m*、低地からの比高が15m*弱の立地です。 井戸 北郭の中央南側に井戸の跡地があります。 直径4m、深さ5mだったようで

中世の城 茅ケ崎城址(1)

以前、大塚・歳勝土遺跡を散策した際、グーグルマップさんが「近くに城址公園がある」と教えてくれたけど、当時は興味がなかったのでスルー。しかし、小机城をきっかけに中世城址にハマったので、遅ればせながら行ってきました。 ニュータウンの公園だからといって侮るべからず。 これほどまでにキレイに城郭が残っているなんて! ところで… 「茅ケ崎のケがデカくない?間違ってるでしょ」と思った方、はまれぽさんのこちら記事をどうぞ。 茅ケ崎城址公園勝田杉山神社の記事で登場した最乗寺からスタート

小机城址④ 鶴見川遺跡紀行(5)

中世の堅城・小机城を攻略だ! これまでの小机城シリーズ 長らくお待たせ申した。いざ、小机城に登城つかまつる。 まずは、城の全体像をお見せ致そう。 小机城の想定図鶴見川対岸からの小机城址、緑豊かでござる。 まず、本丸広場案内板で全体像をご覧入れよう。 ちょっと平面的で分かりにくいでござる… 今昔マップ殿で古地図と現地形を比べようぞ。 左図:明治30年ごろ。横浜線(八王子〜横浜)は絹の道ゆえ、早くから敷設されていようじゃ。 右図:傾斜量図。第三京浜の跡が痛々しいぞよ

小机城址③ 鶴見川遺跡紀行(5)

中世武士団「小机衆」 の姿とは? 「狼煙ネットワークは、まぼろし~( ゚д゚)__♭" 」的な(煙だけに…)自分でも望まない結末になってしまった前の記事。 当初「優れた情報伝達スキルを持って南武蔵を治めた小机衆の本拠地はコチラ!」というストーリー展開を考えていたので、本当に大打撃です。 はぁ…ここから内容を立て直さなければ。しかし、どうしたものか? 巧みだった後北条氏の地域支配しかし、調べるにつれ不思議に思うのは… あれだけ短期間に勢力を拡げながら、血族争いも下克上も起

小机城址② 鶴見川遺跡紀行(5)

小机城と狼煙のネットワーク? 前回の続き 小机城の重要性長尾景春の乱から数十年後、北条氏勢力下に入った小机城は改修され、現在の形になったそうです。北条氏綱(2代目)は、その城主に重臣の笠原信為を配置。その後、小机城の重要性が高まったのか、北条氏が城主として入城し、笠原氏は城代として南武蔵一帯の防衛を担います。 まずは、小机城の重要性をまとめました。 将棋で例えるなら、前線の歩が取られないように1段下で支えている金や銀の働きに近いイメージか。 狼煙の中継点小机城は、北