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『アートとは「二度出会う」』(ポーラ美術館にて)

どうやら5月は私にとって旅の季節のようだ。旅をすることで、自分の中の何かがくるくると新しく変化している気がする。非日常を経験することで、日常も少しずつ変わっていくのかもしれない。

先日も長野へ行ったばかりだけれど、今回は夫と一緒に東京駅へ向かった。

夫と私は、ほとんど背格好も一緒だし、顔が似てるねと友人や両親に言われるし、誕生日もかなり近いし、家族でもあり恋人でもあり親友でもあるような不思議な感覚である。

性格は私的にはだいぶ違う気がするのだけれど、以前とある人に「あらあ、お互いマイペースでそっくりねえ」と言われたことがあるので、もしかすると何だかんだ似ているのかもしれない、というか一緒にいるうちに似てくるのかもしれない。

新幹線まで少し時間があったので、本屋さんに寄る。私はいつも小説コーナーを物色して、夫は専門書のコーナーで本を探すのがお決まりのルールだ。

ふと目に留まった本は、原田マハさんの「常設展示室」。たしか以前買ったけれどまだ読めていない本だ。ぱらぱらとめくっていくと、何となく上白石萌音さんの解説が気になって目を通した。

『実際、アートとは「二度出会う」ことがよくある。』

上白石萌音

ああ、そうなんだよなぁと深く頷いた。先日も長野で青木美歌さんの作品や東山魁夷の作品に「二度出会った」ばかりだった。偶然二度出会うこともあれば、忘れられない作品にまた会いにいくこともある。

今度この本を読もうと心に決めて、カフェラテを買って新幹線に乗り込んだ。

今回の旅の目的地は箱根である。久々に旅館の温泉でゆっくりと過ごすつもりで、大好きなポーラ美術館に行く以外はほとんど予定を入れずに旅館に向かった。

バスで山道をぐるぐると登っていくと、あっという間に結構高いところまで来ていてびっくりしてしまう。空気が澄んでいて、鳥のさえずりが良く聞こえる。東京から2時間ちょっとでこんなにも景色が変わるから驚きである。

友人がおすすめしてくれた旅館は、箱根の山々の眺めが美しい、居心地の良い空間だった。

旅館でいただいたお茶

ラウンジでゆっくりと外の景色を眺めながらハーブティーを飲み、ぼんやりと過ごす瞬間が本当にリラックスできた。日常の中だと、休憩しているつもりでも四六時中色んな情報が入ってきてしまったり、やらなければならないことが頭に隅にあったり、完全に「無」になることができる瞬間がなかなかない。だからこそ、たまにこうして旅に出ることが必要なんだよなぁと思う。

朝に飲んだハーブティー

仕事も家事のこともいったん全て忘れて、ただただ今ここに集中する時間は、実はかけがえのないものなのかもしれない。

夜の雰囲気も素敵

夜も翌日の朝もここのラウンジでゆっくりと過ごしながら、ぼんやりと何も考えない時間を過ごしていた。

翌日は数年ぶりに箱根のポーラ美術館へ。「箱根の自然と美術の共生」というコンセプトのもとに2002年に開館したポーラ美術館は、まるで箱根の森に溶け込むような美術館で、私が大好きな美術館の一つである。

旅館近くのバス停からゆっくりとバスにゆられて辿り着くと、しとしとと小雨が降っていた。普段の旅行だと、雨が降ると残念な気持ちになってしまうところだけれど、ほとんど旅館の中と美術館の中で過ごすつもりだったので、雨の箱根も趣があっていいなぁ、なんて思う。

ポーラ美術館へ(これは別の日に撮影したもの)

ポーラ美術館で特に好きな部分が、入口までの長い通路(真ん中に可愛らしい彫刻がある)と、通路を抜けたあと、エスカレーターでゆっくりと降りていくときの景色である。建物全体としてガラス張りの部分が多いので、都心の美術館では見ることのできない箱根の緑をとても身近に感じることができる。

エスカレーターで降りていく(これは別の日に撮影したもの)

さて、ポーラ美術館に入って現代美術ギャラリーをのぞいた。丸山直文さんの「水を蹴る―仙石原―」という展示だったのだけれど、あれ、この独特のにじみやぼかしをどこかで見たことがある、と記憶を辿った。

丸山直文さんの作品は、この柔らかさというか光というか色味がとても好き

東京に帰ってからようやく思い出したのは、今年六本木の国立新美術館で開催された「DOMANI・明日展 2022-2023」でお見かけしていた。

圧巻だったDOMANI展での展示


壁一面の絵

まさか箱根で再会するとは思っていなかったので、驚きである。箱根に向かうときにぐっときた上白石萌音さんの『実際、アートとは「二度出会う」ことがよくある。』という言葉に思いを馳せた瞬間だった。

「部屋のみる夢 ― ボナールからティルマンス、現代の作家まで」は、ここ数年のコロナ禍の生活を振り返りつつ見るのに最高の展示だ。

こんな家に住んでみたい

安心をもたらす室内での生活は、外の世界からの隔絶がゆえに閉塞感と隣り合わせのものでした。他方、閉じられた空間で紡がれた親しい人たちやかけがえのないものとの関係は、日常を生き抜くためだけではなく、変化の乏しい生活に彩りを添えるのに、欠かせないものであったと言えるでしょう。

部屋のみる夢 ― ボナールからティルマンス、現代の作家まで

先日、会社の同僚たちと「緊急事態宣言が出ていた頃どんな生活をしていたか」という話をしていた。「買い物をしたくても、買った服を着ていくところがなかった」「外食できなかったことが辛かった」なんて話をしながら、そうだ、あの頃は街に人が少なかったよなぁとニュースで見かけた人気のない渋谷を思い出した。

私はといえば、それまでわりと外出することでリフレッシュするタイプだったので、けっこうしんどい期間があった。マスク生活の影響で、メイクやお洒落へのモチベーションが下がってしまったことも大きかったと思う。ちなみに、夫はというと私とは正反対で在宅勤務・外出自粛が性に合っていたようで、何のストレスもなく過ごしていた。

ただ、良かったことと言えば、より「家で過ごす時間をどう楽しむか」ということを考えるようになったこと、「お金を使わずともリフレッシュする方法を見つけたこと」だろうか。

以前、「外出することで気分転換をするのは、家を整えていないから」という文章を読んだことがあり、「あ、これは私だ」と思ったのである。

きっと自宅のリビングで過ごす瞬間が、今回の旅行で訪れた旅館のラウンジで過ごした時間のようだったとすれば、わざわざ自宅から遠くのカフェまで行ったりしないのだろう。(もちろん、カフェで過ごすことで得ることのできるものもたくさんあるし、私は相変わらずカフェは大好き)

なので、私はここ数年で自宅が整っていないときにどこかへ逃げるように外出をすることはなくなったし、スケジュール帳の余白を見て焦ったように予定を入れていくこともなくなった。外出したくなったら、あれ、ちゃんと私は自宅を整えているかな、とちょっと見直してみる。そして、軽く掃除や片付けをしてから、ゆっくりと考える。

そして、ちょっと1時間くらい近所のお気に入りの街を散歩して帰ってくるとか、お気に入りの公園でゆっくりとミルクティーを飲むとか、そんなちょっとした楽しみを自分で作ることが上手くなったなぁと思うし、そうすることでより今回のような旅行を楽しむことができている。以前よりも自分なりの「豊かな生活」を送っている、気がする。

夏を感じた5月

頻繁に服や靴を買って、食べログの点数の高いイタリアンでランチをして、話題のカフェに行って写真を撮って、インスタグラムに上げることが自分にとっての「豊かな生活」であるとは限らないのである。

とはいえ、何事もバランスが大事なのか、ここ最近はやはりマスクをする頻度が減ってきてからどんどんメイクが楽しくなってきているし、やっぱり1シーズンに1着くらいは服を買ったほうがお洒落が楽しくなるなぁ、なんてことに気がついた今日この頃である。

箱根から帰ってきてから、どんどんと季節が夏に向かっていることをひしひしと感じている。

大好きな新緑の季節

街を歩く人が半袖を着るようになり、17時半を過ぎても外は明るくて、緑は鮮やかだ。いつもはあまり好きではない夏も、何だか今年は近づいてくることが嬉しくて、退勤後の明るい空をゆっくりと眺めてしまう。

くるくると、季節が移り変わっていくことを感じることができる心もまた、ひとつの豊かさなのかもしれない。




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