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【ショートストーリー】一日一回

 商談を終え、顧客企業の入居しているビルを辞去する前に、トイレに立ち寄った際、条件反射で洗面台にて、錠剤を一錠、ペットボトルの水で飲み下した。
 飲み終わってから、気がついた。この薬、朝に飲んだのではなかったか?
 飲んだような記憶もあるが、自信がない。もし、これで二回目だとしたら……。
 藤原舘幸ふじわらたてゆきは凍りついた。医師の言葉がよみがえる。
——一日一回一錠までです。飲み忘れに注意してください。それから二錠飲まないこと。もし飲んでしまったら、必ず連絡をお願いします
 なんてことだ、すぐに連絡しないと。
 スマートフォンを操作する。すぐに相手がでた。
「はい、○○中央総合病院、総合受付です」
 用件を告げる。緊張のあまり、うまく説明できない。
「つまり、薬の用量を間違えたということですか?」
「そうです。△△先生に取り次いでもらえませんか?」
「何科ですか?」
 多少いらついてきたが、感情を抑えて藤原は答えた。
「××科の△△先生は、現在診察中で、取り次ぎはできかねます」
「でも、連絡しなさいと言ったのは先生なんです。多少なら待つのはかまいませんから、手が空いたときに先生から連絡をもらえないでしょうか?」
「先生が直接、患者さんに電話することはできません」
「じゃあ、どうすればいいんだっ」
 藤原は怒鳴ってしまう。だが、相手は冷静だ。
「先生に相談するのであれば、診察の予約を取ってください」
「じゃあ、今日、一番早い時間帯はいつが空いていますか?」
 午後二時なら空いているという。あと三時間ある。藤原は予約を入れると通話を切った。
 さて、どうすればいいのか?
 ちょうど昼時なので食事をしたいところだが、食事をとって良いかどうか判断できない。それに、先ほどから少し頭が痛くなってきたような気がする。いったん会社に戻って、上司に相談したほうが良い。

会社に戻り、上司に相談したところ
「そんなことで仕事に支障がでるのは困る」と言われた。
かちんときた藤原は上司に反論する。
「そんなことって言い方はないでしょう? 命に関わることかもしれないんだ」
 上司は鼻で笑った。
「薬の飲み間違いぐらい、よくあることじゃないか。命に関わるなんておおげさだよ」
 上司の言葉に、藤原は憤る。
「黙れ、そんなことを言うのなら、こんな会社辞めてやる。おおげさかどうかは俺が判断するんだっ」
 あっけにとられている上司や同僚のまえで大見得を切ると、藤原はわざと大きな音を立ててドアを閉め、会社を後にした。

 外に出た途端に、だるさを感じる。気のせいであって欲しかったが、間違いなく薬の影響がでているようだ。
——大丈夫なのか。
 予約した時間までまだ二時間ほどあるが、もう病院へ行くことにした。ロビーで待つしかない。もし容態が急変してもロビーでならなんとかしてもらえるだろう。

 藤原はさらにミスを重ねてしまった。診察券を忘れてしまったのである。この病院は自動受付機が設置してあり、受付手続きには診察券が必要になる。取りに帰っていては間に合わない。それに少し前から手足がしびれ始めている。
 パニックに襲われた藤原は、自動受付機を拳で叩きはじめた。こんなことをしても何の解決にもならないことは分かっている。でも、もしかしたら誰かが助けてくれるかもしれないじゃないか。
 あっという間に複数の警備員が駆けつけてきた。
 警備員たちは手は出さないが、
「やめてください。他の患者さんに迷惑です」と牽制してくる。
 俺も患者だ、と藤原は言い返す。警備員のひとりが、無線でどこかに連絡を取っている。
 いまやしびれは全身をむしばんでいた。立っていられなくなり、床に転がると、藤原は泣き叫びながら、担当医師の名を呼び続ける。
「二錠飲んでしまったから、俺は死ぬんだ。もう助からないんだ」
「しっかりして」
 誰かが藤原を抱き起こした。今日初めて聞いた思いやりのある言葉だった。半身を起こした藤原の目に映ったのは、担当の医師の心配そうな顔だった。
「先生」
「藤原さん、私が連絡をくださいといったのは、薬が足りなくなるからです」
「先生、身体がしびれて動けないんです」
「一日一錠で計算して必要な量をお渡ししています。二錠飲んでしまったら、足りなくなりますよね、次の検診までの分しか渡してないんだから。連絡しろ、といったのはそういう理由からです。むしろ、飲み忘れのほうが問題です。しびれている? 気のせいでしょう」
 サイレンの音が聞こえてきた。パトカーだろうか。
 真相を知った藤原は力が抜けてしまった。だから、いまは本当に動けなくなっている。

(終)
 

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