書かなくなった年賀状
いつからだろう、年賀状を書かなくなったのは。
小学生の時は、何時間もかけてクラスの子ほぼ全員に書いていたっていうのに。
その頃は年賀状が楽しみで仕方なかった。朝早くに聞こえる、郵便ポストに「カタン」と入る音。聞こえた途端、急いでポストへ取りに走る。
だいたいは輪ゴムで止めてあり束で届く。それを1枚づつめくるのが楽しい。お母さん宛の親戚からの年賀状、お父さんの仕事先からの年賀状、そして私宛の年賀状を見つけた時のうれしさったらもう。
絵の上手い友達が手書きで描いた龍のイラストに「わぁ!」と感動する。ハガキいっぱいに金のラメのペンで空を飛ぶ龍の絵が描いてある。
私が一番嬉しいのはたくさんの文字が書いてある年賀状だ。筆文字で大きく書いた「あけましておめでとう」の隅に、私宛へのメッセージが長々と綴ってあると、ずっとにやにや読んでいる。誰かからお手紙をもらうのは嬉しい。それは普段、口ではわざわざ言わないようなことを手紙だとたくさん書いてくれるからだろう。
大学生くらいからかな、出さないようになったのは。お世話になってる大学教授に出すくらいで、大学の友達はそもそも寮生だったから同じ寮に届くので出していなかった。
そして社会人になったら、誰に書いていいかわからなくなった。そもそもラインが普及したので、年が明けたら「あけおめ!」と仲良い子達には連絡していたな。
でもそれもなくなってきた。
便利になったからか、それとも大人になると関係が希薄になるからだろうか?毎日会うような人たちは家族くらいで、友達とは年に数回会う程度になる。とても大事な人にはラインで送るけど、本当に片手で数えられるくらい。
私はいまだに小学生のときの年賀状をとってある。中学生のも、高校生のも。輪ゴムにまとめ、束にして持っている。
あの時のわくわくを忘れたくないし、私を想って、私に宛てて書かれた手紙という事実は、宝物のように大事にしたい気持ちにさせてくれる。
この想いのやりとりは、年に一回の宝物の交換だったんだなぁ。
書きながら、そんな気持ちを思い出した。
来年は年賀状出してみようかな。
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