リストラ(ショートショート)【音声と文章】
山田ゆり
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「あっ、こんにちは。」
マリは平静を装って佐藤さんに挨拶をした。
マリは書類が入った黒い鞄を左手に持ち、窓口にすぐに出せるようにと、書類一式をクリアファイルに入れそれを右手に持って歩いていた。
玄関の3段だけの階段に足を乗せる瞬間、階段を下りる佐藤さんに会ったのだ。
佐藤さんはマリの顔を見て一瞬、ギョッとした。
その顔を逃さなかったマリは身体を弓矢で射られたような痛みを感じた。
佐藤さんがそんな態度になるのには訳がある。一番会いたくない人に会ったのだから。
マリの会社は経営不振が続いていた。
複数の借入先の中で、メインバンクから「このままだとこれ以上、お宅には協力できません」と言われていた。
つまり、合わせて億を超える金額になる短期借入金と長期借入金を一気に返せと言うことだ。
それは会社が倒産することを意味する。
社長はそれだけは回避したいと考えた。
どうすればいいか。
ここまで読まれたあなたは、会社の経営を立て直すために一番に思い浮かぶことが何なのかお分かりだろう。
経営不振の対策で、一番簡単なのが「人件費の削減」である。
つまり、従業員の給料を減給したり、賞与を支給しなかったり、更にはリストラも考えられる。
それによって、毎月の給料は減る。給料が減るということはそれに伴う社会保険料の負担も少なくなる。
更に翌年度には雇用保険料・労働保険料も減る。
マリの会社では「業務改革委員会」が発足し、これからのことについて話し合いが連日行われた。
そして、役員報酬の10%カット、従業員は当分の間、昇給も賞与もなしにすることが決まった。
また、対外的なアピールのために毎年行っていた社員旅行も当分の間、中止することにした。
しかし、人件費のカットはそれだけではなかった。
今回、会社としては初めて「リストラ」をすることになったのだ。
そして、製造部門から数名、候補者が決まった。
会社はその数名と個別に面談を繰り返し、本人に納得してもらい、書面を取り交わして、「会社都合による解雇」ということで退職することになった。
その件を社長から聞かされたマリは心を痛めた。
リストラに選ばれた数名は、特に素行が悪い訳でもない。
たまたま、上層部が選んだだけだから。
マリからしたら、「あなたが手を挙げてお辞めになったら」と思える上司もいたが、それは口が裂けても言えない事だ。
人事課のマリはリストラに選ばれた方々の退職手続きをしたが、「自分はリストラされなくて申し訳ございません」という思いしかなかった。
マリはハローワークに書類の手続きに来た。
入り口までの階段を上がろうと足を上げた時にリストラされた佐藤さんに出くわしたのだ。
マリはこれまで、退職された元従業員の方に街中などで偶然お会いすることはあった。その時は普通に接することができたが、佐藤さんの場合、マリはどんな顔で挨拶をすればいいのかとっさの判断ができなかった。
佐藤さんもギクッとした態度になったのは仕方ないことだ。
しかも会った場所がハローワークだ。
佐藤さんは複数の求人票を片手に下を向きながら歩いていた。
一方マリは制服を着て、私は求職者ではないという雰囲気で闊歩していた。
同じ会社で一時期働いていた二人が再開したのがハローワークだった。
しかも相手の辞め方が通常ではなかったからマリは心臓をギュッと握られる思いがした。
私が残ってすみません。
その気持ちだった。
マリの会社は人件費の他に、交際費・諸会費・広告費・材料費・外注費・リース料・保険料などの見直しをした。
役員の生命保険は大きく変更した。
会議室は使い終わったら電気を消す。廊下は歩き終わったら電気を消す。
また、従業員用のお茶は低単価のものにし、白黒と比べて10倍の単価になるカラー印刷は極力しないと決め事をつくり、小さいことまで皆で徹底して経費削減に努めた。
一時期、どうしてもお金が足りなくて給料日に給料を支給できそうもない時があった。
その時は上層部の方々を呼び、給料日は3分の2だけ支給し、売上金が入金された後にあたる5日後に残りの3分の1を支給した時もあった。
更には販路を拡大して売り上げを伸ばし、数年後に会社は奇跡のV字回復を果たした。
数年後に創立記念祝賀会が久しぶりにホテルで行われた。
マリの襟元のピンクのフリルが華やいだ場にふさわしい。赤いリボンを胸につけた受付係のマリはお取引先の対応に追われていた。
式典開始まであと30分という時が一番忙しかった。
いつもより頬紅がピンク色で口角を上げ終始笑顔で対応していたマリは受付でごった返す中に、ある人物がその人波をチラリと見ながら通り過ぎる姿を見たような気がした。
それはあの佐藤さんに見えた。
今、会社が存続するのは在籍する者の努力だけではない。リストラされた数人の方々の犠牲の上に私たちの今の生活が成り立っているのだ。
私たちはそれを忘れないようにしようとマリは思った。
※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1746日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。
どちらでも数分で楽しめます。#ad
リストラ(ショートショート)
マリは平静を装って佐藤さんに挨拶をした。
マリは書類が入った黒い鞄を左手に持ち、窓口にすぐに出せるようにと、書類一式をクリアファイルに入れそれを右手に持って歩いていた。
玄関の3段だけの階段に足を乗せる瞬間、階段を下りる佐藤さんに会ったのだ。
佐藤さんはマリの顔を見て一瞬、ギョッとした。
その顔を逃さなかったマリは身体を弓矢で射られたような痛みを感じた。
佐藤さんがそんな態度になるのには訳がある。一番会いたくない人に会ったのだから。
マリの会社は経営不振が続いていた。
複数の借入先の中で、メインバンクから「このままだとこれ以上、お宅には協力できません」と言われていた。
つまり、合わせて億を超える金額になる短期借入金と長期借入金を一気に返せと言うことだ。
それは会社が倒産することを意味する。
社長はそれだけは回避したいと考えた。
どうすればいいか。
ここまで読まれたあなたは、会社の経営を立て直すために一番に思い浮かぶことが何なのかお分かりだろう。
経営不振の対策で、一番簡単なのが「人件費の削減」である。
つまり、従業員の給料を減給したり、賞与を支給しなかったり、更にはリストラも考えられる。
それによって、毎月の給料は減る。給料が減るということはそれに伴う社会保険料の負担も少なくなる。
更に翌年度には雇用保険料・労働保険料も減る。
マリの会社では「業務改革委員会」が発足し、これからのことについて話し合いが連日行われた。
そして、役員報酬の10%カット、従業員は当分の間、昇給も賞与もなしにすることが決まった。
また、対外的なアピールのために毎年行っていた社員旅行も当分の間、中止することにした。
しかし、人件費のカットはそれだけではなかった。
今回、会社としては初めて「リストラ」をすることになったのだ。
そして、製造部門から数名、候補者が決まった。
会社はその数名と個別に面談を繰り返し、本人に納得してもらい、書面を取り交わして、「会社都合による解雇」ということで退職することになった。
その件を社長から聞かされたマリは心を痛めた。
リストラに選ばれた数名は、特に素行が悪い訳でもない。
たまたま、上層部が選んだだけだから。
マリからしたら、「あなたが手を挙げてお辞めになったら」と思える上司もいたが、それは口が裂けても言えない事だ。
人事課のマリはリストラに選ばれた方々の退職手続きをしたが、「自分はリストラされなくて申し訳ございません」という思いしかなかった。
マリはハローワークに書類の手続きに来た。
入り口までの階段を上がろうと足を上げた時にリストラされた佐藤さんに出くわしたのだ。
マリはこれまで、退職された元従業員の方に街中などで偶然お会いすることはあった。その時は普通に接することができたが、佐藤さんの場合、マリはどんな顔で挨拶をすればいいのかとっさの判断ができなかった。
佐藤さんもギクッとした態度になったのは仕方ないことだ。
しかも会った場所がハローワークだ。
佐藤さんは複数の求人票を片手に下を向きながら歩いていた。
一方マリは制服を着て、私は求職者ではないという雰囲気で闊歩していた。
同じ会社で一時期働いていた二人が再開したのがハローワークだった。
しかも相手の辞め方が通常ではなかったからマリは心臓をギュッと握られる思いがした。
私が残ってすみません。
その気持ちだった。
マリの会社は人件費の他に、交際費・諸会費・広告費・材料費・外注費・リース料・保険料などの見直しをした。
役員の生命保険は大きく変更した。
会議室は使い終わったら電気を消す。廊下は歩き終わったら電気を消す。
また、従業員用のお茶は低単価のものにし、白黒と比べて10倍の単価になるカラー印刷は極力しないと決め事をつくり、小さいことまで皆で徹底して経費削減に努めた。
一時期、どうしてもお金が足りなくて給料日に給料を支給できそうもない時があった。
その時は上層部の方々を呼び、給料日は3分の2だけ支給し、売上金が入金された後にあたる5日後に残りの3分の1を支給した時もあった。
更には販路を拡大して売り上げを伸ばし、数年後に会社は奇跡のV字回復を果たした。
数年後に創立記念祝賀会が久しぶりにホテルで行われた。
マリの襟元のピンクのフリルが華やいだ場にふさわしい。赤いリボンを胸につけた受付係のマリはお取引先の対応に追われていた。
式典開始まであと30分という時が一番忙しかった。
いつもより頬紅がピンク色で口角を上げ終始笑顔で対応していたマリは受付でごった返す中に、ある人物がその人波をチラリと見ながら通り過ぎる姿を見たような気がした。
それはあの佐藤さんに見えた。
今、会社が存続するのは在籍する者の努力だけではない。リストラされた数人の方々の犠牲の上に私たちの今の生活が成り立っているのだ。
私たちはそれを忘れないようにしようとマリは思った。
※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1746日目。
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