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褒める時は横から目線で【音声と文章】

山田ゆり
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娘たちが幼い頃は
母親である私は娘たちの(たぶん)お手本であった。
いくらかは尊敬されていたと思う。


しかし、娘たちが小・中・高校と、成長していってできる事や新しい観念などが入って来ると
娘たちにとって母親はもはや「凄い人」ではなくなっていき、
還暦を過ぎた私を「大丈夫?」と心配してくるようになった。



あんなに完璧に見えていた母親だったが、母親ができなくて娘たちができることが多くなっていった。

例えば、苦手なスマホの操作を私ができてそれを娘たちに言うと

「すごいぞ!偉いぞ!」

と、娘がある意図で私を褒める。


私も素直に褒められてはいないことを察知して笑う。
私たちはブラックユーモアを一時楽しむ。




これはどういう意味かというと
「すごい」
「偉い」
という言葉は
一見、褒められているように感じるが
受け止める側としては嬉しくないのだ。



親は褒めているつもりでも、その言葉をうけている子どもは嬉しくないのはなぜかというと、その言葉は、上から目線だからだ。

凄い(子だ)ねぇ
偉い(子だ)ねぇ  と
「人」を褒めているから。


「よくやったじゃないか、キミ」と
社長が部下に声を掛けているのと同じだ。




例えばお片付けができた子に対して

「お片付けできて凄い(子だ)ね、偉い(子だ)ね。」と言うのではなく

「お片付けしてくれてありがとう。
○○ちゃんのお陰で、すっきりして気持ちいいわ。」と、行為自体を褒める言葉がけが必要なのである。


つまり、上下関係の「上から目線」ではなく、隣同士の「横から目線」の言葉がけが有効なのである。



顎を少し突き出して見上げないといけない高い場所にいる人からの「すごいね」「偉いね」のような上目線の言葉は心に響かない。

「○○してくれてありがとう」
「あなたのお陰で勇気が出たわ」という対等の位置からの横から目線の言葉に人は勇気が湧く。



相手がどのような立場であっても互いに尊敬し合い、
褒める時の対象は、
「人」ではなく「その行為」に対して褒めたいものだ。






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褒める時は横から目線で
#66日ライラン

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