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変わったもの。変わらないもの。【音声と文章】

山田ゆり
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※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1620日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも数分で楽しめます。




おはようございます。
山田ゆりです。

今回は
変わったもの。変わらないもの。
をお伝えいたします。




祖父がまだ健在だったころ、祖父、両親、叔母たちと一緒に
まだ小学生だった私たち3姉弟も手伝って
稲刈りをしていた風景が今でも心の絵画として残っている。


稲を刈るとバッタが「大変だ、大変だ」と言わんばかりに飛び跳ねる。
赤とんぼが稲を刈っている母の麦わら帽子の上にとまる。


手で刈った稲を束ねて棒に差して干したり
こま犬のような形にして田んぼに立てて置いたりしていた。



私たち子どもは10時と3時の休憩時間が特に楽しみだった。
いつも食べ慣れているリンゴや梨、葡萄の他に袋菓子が出された。

あの頃は普段、袋菓子を食べる習慣が無かったから、
私たちはそれを目当てにお手伝いをしていたところもある。

母が大きなやかんに水を入れて持って来てくれ、
私たちは普段使っているコップに水を入れて飲んだ。


みんな、田んぼに藁を敷いてそれに体育座りのような格好で座っていた。
藁を厚めに敷かないとお尻がひやひやした。



足元にはバッタが飛び交っていた。

どこもかしこも稲刈りが進んでいて、
その光景をふるさとのお山は静かに見守っていた。



夕焼けの匂いがしてきた頃にお山は赤く染まり始め、
あっという間に日が落ちて実りの秋の終わりを感じさせた。



帰りは父が運転するトラクターの荷台にみんなが乗り家に帰った。

手に持った藁はザラザラして、その先にトンボが止まる。

私は藁を左手にそっと持ち替えて
右手でトンボの羽をつかもうとする。
しかし、トンボは大きなたくさんの目で私を捉え
スーッと上に飛んで行ってしまった。

それを見て姉や弟が笑う。
私も笑う。



あの頃は、これがずっと続くと思っていた。



祖父と弟が亡くなった。
私はお婿さんをとった。

父が亡くなり、夫が会社を辞めて専業農家になった。

叔母と母が亡くなった。


それでも夫と私と3人の娘たち5人で田畑を守ってきた。
夫以外はお手伝い程度しかできなかったが、しかし、
我が家が作ったお米を食べられる幸せを味わっていた。



やがて、予告もなく夫が急逝した。

田畑を夫から相続はしたが、農業をすることができない。




稲刈りをしないで冬がやって来るなんて

お米を買って食べるなんて

赤とんぼと戯れていたあの頃は思ってもみなかったことである。



田植えや稲刈りをして当たり前だった我が家は、それができなくなった。

刈り取った田んぼに藁を敷いて座り
果物やお菓子を食べながら
でき秋を喜び季節の節目を感じる。


何代も続いたその風習を
次の世代は体感できないのかと思うと
それを選択した私は胸が痛い。



しかし、我がふるさとのお山は
それでも大きくすそ野を広げて
今日も変わらず私たちを見守ってくれている。





今回は
変わったもの。変わらないもの。
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。








◆◆ アファメーション ◆◆
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私は愛されています
大きな愛で包まれています

失敗しても
ご迷惑をおかけしても
どんな時でも
愛されています

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