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厳しい治療に耐えた最初の一か月【音声と文章】

山田ゆり
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※今回はこちらの続きです。

https://note.com/tukuda/n/n3b90c1a03ed0?from=notice



のり子の弟は6人部屋の方々とも良好な関係だった。


同じ病室の人たちは、それぞれ病名は違えども、ある意味、同志だった。退院していく同志の後ろ姿を見ながら、自分も早く退院できるようにしようと弟は言った。



弟は吐き気と高熱故にベッドが大きく揺れる状態で体力はどんどん奪われていった。

そんな厳しい状況の中でも楽しみはいくつかあった。



ポケットに手を入れて首に聴診器を下げて毎日訪れる、佐々木医師の存在は弟に生きる希望を与えてくれた。

佐々木医師はその年に医師になったばかりのひよっこの女医さんで初めての担当が弟だったのである。


佐々木医師は朝でも夜中でも、患者さんの容態が悪くなるとすぐに駆け付けて下さった。


のり子の弟は我慢強く人に頼らない性格で佐々木医師に申し訳ないから呼ばないで欲しいと言われ、のり子はそれに従ったが、それでもあまりに苦しそうにしている弟を見ていられず、のり子はナースコールのボタンを押す。

すると、真夜中にも関わらず佐々木医師はすぐに飛んできてくださり弟の手を取り脈を計り聴診器を当て点滴の指示を出してくださった。


弟が入院してすぐにのり子も病室に寝泊まりをして付き添いをしているが、お医者さんとはなんと激務なのだろうとのり子は医師や看護師の働きぶりを見て感じていた。


そのような状態だから佐々木医師はいつも目の下にクマがあった。

年齢は27歳の弟より数歳年下だとおっしゃっていたが、その年齢の女性なら、お化粧をしたり好きな洋服を着てお友達と遊びに行ったりと楽しいことができると思うが、佐々木医師は24時間、病院にいらっしゃるように見えた。

恐らく病院のすぐ近くに住まわれているのだろう。病院は土日休みではあったが、病気には土曜日も日曜日も関係ない。

そして不思議に、病院が休みの日や真夜中に限って弟の容態が悪くなった。
今日は佐々木医師はいらっしゃらないだろうなと内心諦めていたが、どんな時間帯でもすぐに駆け付けてきてくださった。


そんな佐々木先生に弟ものり子も尊敬の念を抱いていた。




大学病院というところは普通の小さな病院とは違うところだとのり子は感じたことがある。


一週間に一回なのかどうかは分からないが、大学病院の先生たちがぞろぞろ並んで歩き、一人一人の患者さんに声を掛けていくということが行われていた。


その行列が来る直前まで看護師さんたちは病室を片付けたりいつもはしない掃除をしたりと慌ただしく動いていた。

付き添いの私たちは荷物を小さくまとめて周りを小ぎれいにしてその大行列を待っていた。
その行列の先頭の医師が患者に一言二言声を掛ける。
それだけである。
聴診器を当てるとかカルテを覗くとかはない。

その世界を知らないのり子にとってその行列の意味はあるのだろうかと疑問視していた。




弟が入院していた「内科」は第一内科、第二内科と内科が2つに分かれていて、弟は高層階の第二内科だった。
恐らく、難病が第二内科なのだろうと入院しているうちにのり子は分かってきた。


お奉行様の大行列のようなそれが終わり、病室は安堵の空気が流れた。




夕方になると相変わらず連日のように弟の友達がお見舞いに来ていた。

そして、会社の直属の上長であるTさんはほぼ毎日お見えになり弟と笑いながら話をしていた。


だから、入院しているのに会社で今日何が起こったのかを弟は常に知っている状態なのだ。
Tさんは弟が退院した際、浦島太郎状態にならないようにという心遣いもあるのだとのり子は感じていた。

Tさんは弟を本当に可愛がってくれているのが言葉や態度に現れていた。



余談だが、数年後、Tさんは勤務先の新聞社の代表取締役社長になられた人物だ。


中小企業では創業者の親族が代表に就任し代々その会社を受け継ぐが、弟の勤務先である新聞社は、親族関係は全くなく、その時代に適任と思われる人が代表者になっていた。
だから歴代の社長はそれぞれ苗字がバラバラである。
それだけきちんとした企業という証でもある。




やがてそんなTさんでも弟に会えない状況になった。


入院して一か月が過ぎた頃、弟は集中治療室に入ることに決まったのである。

大学病院は「治療」の他に「研究」や「試験」もするところだと、のり子は何となく分かっていたからそれは想定内のことだ。



弟はこれからその「研究」や「試験」をされるのだ。
つまり、どんな副作用が待っているかは分からない。

本人にとってはとてもつらいことである。



その部屋は通称「無菌室」と呼ばれていた。
そして病院の表記では「ICTU」となっていた。「ICU」は何となくドラマなどで聞いたことがあるが、弟の病室は「ICTU」だった。


医師から弟には、「これから少し辛い治療になりますが大丈夫でしょうか」と聞かれた。


「どんな治療でも、治る為なら受け入れます。」

弟はそう答えた。


これまでの人生でたくさんの困難にも立ち向かってきた弟である。
今回も頑張って勝利を勝ち取って見せると弟は思っていた。



弟ならできる。
のり子はそう信じた。




「無菌室」に移る前に、先生に呼ばれたのり子は次の言葉を言われた。



「今度、無菌室を出るその時は、終わりの時です。」




長くなりましたので続きは次回にいたします。




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~厳しい治療に耐えた最初の一か月~
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