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本当はありがたい「当たり前」【音声と文章】

山田ゆり
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※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1636日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも数分で楽しめます。




おはようございます。
山田ゆりです。

今回は
本当はありがたい「当たり前」
をお伝えいたします。




今年もリンゴ箱が従業員出入口の中に置かれた。中にはつる割れしたものや落ちて傷がついたもの、大小不揃いのりんごたちがいっぱいだ。
↓ありがたくいただいてきました。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/10/20231024_050045-scaled.jpg


りんご箱を見るとそろそろ今年も納め時だと感じる。

自宅がリンゴ農家の従業員からの差し入れである。毎年この時期になると玄関にりんご箱が置かれる。


我が家も少し前までは、りんご農家の親戚の方がりんご箱に入ったりんごを持って来てくれた。
また、姉のところにりんごもぎの手伝いに行き、箱に半分くらいいただいていた。

だから、りんごは買うものではなく、必ずあるものであり、そして最後は食べきれずに夏前に廃棄をしていた。



りんごは皮ごとがぶりとかぶりつくのが一番おいしい。

他にはりんごのコンポートが私は好きだ。
ザラメをたくさん入れて煮込む。
丁度よい硬さで仕上げるのもいいが
私は箸で持ち上げると形が崩れるくらいクタクタに煮込むのが好きだ。


パイ生地に薄く切ったリンゴを乗せて作るりんごパイも簡単。

ホットケーキの生地に入れることもある。

カップケーキの中に入れるのも美味しい。


りんごをおろし金で擦ってそれを大きなスプーンですくっていただくのも小さい頃から好きだった。

私が幼少の頃、風邪をひくと母はりんごをすってくれた。当時、ヨーグルトを買う習慣が無かったから、そのひんやりしたりんごの実と果汁は、体温が上がって食欲がないからだにスーッとしみこんだ。


りんごはあって当たり前のものだった。
小腹が空いたらおやつ代わりに食べるものだった。


その内、毎年、トラックにりんご箱を積んでやってきた親戚の方はこなくなった。
後継者がいなくてリンゴの木を切ってしまったとのこと。
何十年も続いたりんご農家だったから、苦渋の選択だったろうと思う。


それでも姉からのりんごがあったから不便ではなかった。
しかし、その後、姉のご主人が亡くなり、姉もりんごを続けられなくてりんごの木を伐採した。



今まで秋になればりんごが勝手に我が家にやってきたのに今はスーパーで、「食べたいなぁ」と思う品に変わってしまった。


値段を見ると、悔しくて買えない。
これまでタダていただいていたもの。
それにお金を払って買うのは負けたような気がして買えなかった。


だからりんごを食べない日が続いた。
いつもあることが無い。

気になって店頭のりんごを手に取る。
りんごってこんなに高いものなのかと改めて感じた。


あって当たり前のものが当たり前でなくなった。


でもそれは、最初から当たり前ではなく、ありがたいものなのにそれに気づいていなかっただけ。


これはいろいろなことにも言える。


家族がいて当たり前。
ご飯が食べられて当たり前。
雨風をしのぐ家があって当たり前。


当たり前って普通なこと。
でも、その普通はありがたいこと。
失って初めてそれを認識する。




当たり前に感謝する。

そして、「無い」ことにも感謝する。

「無い」ことで「あった」存在を改めて意識することができるから。



出入口に置かれたりんご箱も、毎年の風物詩だ。
これも当たり前と錯覚しそうだが、実は「ありがたいもの」なのだ。


自分の周りにはたくさんのありがたいものでいっぱいだ。




今回は
本当はありがたい「当たり前」
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。








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