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借り手が現れた「大きな畑」のその後【音声と文章】

山田ゆり
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※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。

※今回は、こちらのnoteの続きです。
↓人を騙して得たお金の価値はいかほどか?【音声と文章】
https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572




夫から相続した田畑は大きく分けて、「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」の3つです。


夫が急逝して私と3人の娘たちが残され、日中はそれぞれ仕事をしているから田畑を耕すことはできません。

また、重い噴霧器を背中に背負うことも、
夫が使っていた草刈り機を持ち上げることもできません。

稲刈りが終わった田んぼの中でトラクターを数メートル運転したことはありますが、公道を走ったことはありません。

それ以前に、トラクターの鍵の所在が分からない状態です。


ないない尽くしの私たちは、農業を引き継ぐことを諦め、農業委員会に土地を貸します・売りますの申請をしました。


しかし、土地や周りの農道の状態が良くないこともあり、借り手・買い手は見つからずに数年が経っていきました。


農業をしない。そう決めればそれで済むものだと勘違いしていた私は、田畑を耕さなくても、毎年経費がかかることをすぐに知りました。



固定資産税や土地改良区の賦課金はもちろん、広大な畑の草刈りや田んぼの草取りに想像以上の労力とお金が掛かりました。


想像してみてください。

収入は入ってこないのに、年間、数十万円の経費がかかる、そんな土地をあなたはずっと持ち続けることができるでしょうか。

田畑は「生き物」だから、刈った草はすぐに生えてきて、気にはなるが休みやお天気の関係で、丁度良くならず、その内、周りの田畑の方から苦情が来るのです。


恐らく「だらしない人」と噂されているかもしれません。
これまで人さまにご迷惑をおかけしないように注意して生きてきたつもりですが、田畑を相続してからは、苦情の電話や来客に気持ちが沈みます。

私たちだって好きで田畑を放置しているのではありません。

早朝の4:30から田んぼの草取りをしたり、女性でも使えるといううたい文句の草刈り機を購入して、草を刈ったりもしてみました。


でも、やってもやっても草はすぐに生えてきます。


これをずっと経験していかなければいけない。
農業に対するイメージは相続後にがらりと変わりました。

農業委員会へ、タダでいいから引き取ってもらいたいと相談に行きましたが、タダではできない、必ずお金の授受をしないとできないと断られました。そして、今の世の中、農業をする人が少なくなっているから借り手・買い手は難しいと言われました。



収入は入ってこないのに多額の経費だけが掛かるのです。私たちはそのような農業に絶望していました。




しかし、4年目にして山は動いたのです。


「大きい畑」は借り手が現れ、
「小さい畑」と「田んぼ」はそれぞれ買い手が現れました。


そして、全ての書類関係を農業委員会へ提出し、これでやっと肩の荷が下りたと安堵しました。



会社の帰りに、遠回りにはなりますが、たまに田畑を遠目で見て車を走らせます。
夕焼けに染まるお山に抱え込まれているような我が家の畑を眺める。

まだ保育園児だったころに、祖父母、両親、姉、弟、伯母さんと一緒に稲刈りをした風景を今でも思い出します。

あの頃はコンバインはなくて鎌を手に稲を刈っていた。

腰に下げた藁の束から数本を引き抜き、その藁で刈った稲を束ねる。

それを狛犬のような格好に組み立てて稲を干す。

棒掛けもしていた。


子どもの私たちは、赤とんぼを捕まえようと田んぼを走り回っていた。
乾いた田んぼの中を走るたびにバッタの大群が、「大変だー大変だー」と言っているように飛び跳ねて逃げていく。


10時と3時に出されるおやつを目当てにお手伝いに行っていた。
普段は食べない袋菓子がたくさん用意され他にふかし芋、枝豆、りんご、梨などもあった。


遠い遠い思い出です。



「田んぼ」と「小さい畑」は売ることができました。


でも、昔田んぼだった「大きい畑」は当分、売ることはしないつもりです。それも手放してしまえば、幼い頃の思い出も失くしてしまう気がするからです。


そして、縁あって、借主が現れました。
もう、草刈りの心配はありません。
草が大人の胸の高さまで生い茂り異様な雰囲気を醸し出していた「大きな畑」は、借りてくださった方によって、綺麗に草が刈られ、すっきりしています。



もうこれで、収入が無いのに多額のお金を出して土地の維持をしなくてもいいのが嬉しい。


若い頃は先祖代々から続いている土地を継承するのは当たり前と思い、跡取りになった私は、その常識を普通に受け入れました。

しかし、専業農家の夫が急逝し、女性だけの我が家では農業を継ぐことは無理だと分かり、私たちは苦渋の決断をしました。


田畑を相続することの現実の厳しさをこの数年間で思い知りました。



「大きな畑」にあった2つのビニールハウスは借り手の都合で、無い方が作業がしやすいと言われ、私は快くハウスの解体に同意し、その方が知っている業者さんによってハウスは解体されました。




ある日、親戚のAさんから、自分もハウスの解体をしたいのだが、どこの業者さんを使ったのか教えて欲しいと電話が来ました。

それでは、ということで私は大きな畑の借主さんに事の事情をお話したら、彼とAさんとで話をすることになりました。


その後、彼の知っている業者さんによって親戚のAさんのビニールハウスは解体されたようです。


しかし、話はそれだけでは終わりませんでした。
もう80代になるAさんは、農業を畳みたい気持ちを彼に話したところ、事業拡大を計画しているAさんがその土地を買うことになったのです。


Aさん宅は農業の後継者がいらっしゃいません。

Aさんはラッキーでした。私はそのことをずっとあとになって「大きな畑」の借主から知らされました。

幸運な人はどこまで行っても幸運なのだと、ブラックな自分がつぶやいているのを感じました。
その理由はこちらのnoteを読んでくださった方はご存じだと思います。

https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572




賃貸借契約も取り交わし、後は農業委員会の総会で承認されるのを待つばかりのある日、
「大きな畑」の借主から「至急、お話したい」と電話が入りました。
普段、落ち着いている彼とは違う雰囲気の電話でした。



それは、
親戚のAさんの土地を「大きな畑」の借主が買うことになっていましたが、その売買契約をつい先日、取り消したと言う事でした。

それはAさんと「大きな畑」の借主との話であり、なぜ私にその話をされるのだろうかと思いながら、私は彼の話を時々相槌を入れながら静かに聞いていました。


きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながらのんびり聞いていたら、それは私が予想もつかない展開になったのです。





長くなりましたので、続きは別の機会にいたします。

今日は軽い咳が止まらず、朗読はお休みさせていただきました。



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借り手が現れた「大きな畑」のその後

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