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一番保健室を利用した保健委員長

山田ゆり
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高校に進学して初回の授業はどの教科も先生の自己紹介や雑談で終わっていから
「高校ってそういうものなんだ」と、のり子は油断してしまった。


まさか、大好きな数学の初日に授業が始まるなんて思ってもみなかった。先生が自己紹介もせずに突然黒板に問題と解き方を書き始めたのには驚いた。

のり子達は慌ててその数式をノートに写し始めた。先生の説明はもう頭の中で素通りしていた。
とにかく早く書き写さなければいけない。

必死に黒板を写す人が大多数だったが、しかし、それをしない人が数人いた。
なぜなんだろうと思いながら、のり子は必死に黒板の文字を写していた。



先生が黒板に書き終わったところでこちらを振り向いた。

教室はカリカリと書いている音だけがしていた。
あと少しで終わる。
のり子はがんばった。

先生はそして、必死にノートに写している生徒達を見てニヤリとした。
誰がノートに書き写しているのか、いや、書き写していない数名を確認していたのかもしれない。


そして人差し指と中指の間にチョークを挟みながら黒板消しを握り先生は

「という解き方は間違いである」と言って黒板の文字を一気に消し始めた。


えーっ!

ふと、ノートに書き写していない生徒を頭を動かさずに目だけ向けてみた。
彼女は「ふふん」というような顔で先生の方を見ていた。


そうだったのか!
油断していたのり子は予習をしていなかったから、先生の言葉を鵜吞みにしてしまった。

予習してきた人だけは、先生が間違っていると気がついていたのだ。

恥ずかしかった。必死に書いていたからなおさら恥ずかしかった。
教室のほとんどの人が先生の罠にはまっていたが、大好きな数学でこんな恥をかくなんて思ってもみなかったのり子は、その時から
数学の先生が大嫌いになった。


世の中は良い人ばかりではない。気を付けよと教えてくださったのだと数年経ってから分かったが、先生とは善人ばかりで見習う人だと信じていたのり子は、その先生が
嫌いになった。

先生が嫌いだから数学に対する熱は一気に冷めていき、その後、たちまち授業についていけなくなった。


高校に入学して初めての定期テストの時に数学は50点くらいしかとれなかった。

それまで数学は90点台が当たり前だったのり子は返された答案用紙を見て落胆した。

そこで頑張って挽回すればいいのだが、根性なしののり子は更に勉強する気になれなかった。



また、慣れないクラス委員長のこまごまとした用件をこなすのにも、いちいち戸惑っていた。
皆さんに話しかけたらいいのだが、どんな顔をしてどう言い出せばいいのか、そのつど悩んでいた。


つまりどうでもいいことにいつも惑わされていたのだ。
「惑わされていた」という言葉は、他人からそうさせられていたというニュアンスである。
そこで「悩もう」「困った状態と受け止めよう」とその瞬間を選択したのは自分なのだ。

どんなマイナスな状況でも、その気分になろうと決めたのは自分なのである。


そして、「こんな嫌な思いをさせられた」と、いつも被害者意識があった。
実はその被害の加害者は自分なのに、当時ののり子は、気が付かなかった。

のり子は毎日、何かの「被害」にあい、その都度、落ち込んでいた。

「そんなこと、気にしなくていいよ」と言ってくれる友達がいたら、のり子は変われたのだと思うが、友達を作ることからも逃げていたのり子は八方ふさがりだった。



のり子は毎月、生理痛が酷かった。
1~2時間目は我慢して授業を受けるがどうしても痛くて保健室に行った。

保健室の先生は、白衣を着て優しいお母さんという雰囲気だった。

ベッドに横になりカーテンを引いてくれのり子は目をつぶる。
最初は痛くてベッドをゴロゴロ動いているがその内温かくなりすやすやと眠りに入って行った。



やがてお昼近くに目覚め、一度トイレに行って保健室に戻る。
するとまたお腹が痛くなってきた。

先生が「無理だったら帰る?」と聞かれる。

のり子は部活を休みたくなかったから帰らないと返事をする。
でもお腹が痛い。

結局、放課後まで保健室で寝ていて部活が始まる頃に保健室を出た。


のり子はほとんど毎月そういうことをしていた。
当時の保健室はのり子の逃げ場だった。
クラスにいても誰も協力してくれない名ばかりのクラス委員長をしなければいけない。

大好きだった数学も今ではチンプンカンプンでついていけない。

友達もいなくて、保健室で休んでいても誰も心配して見に来る人はいなかった。


あの時、もしも保健室の先生が「こんなに長い時間、保健室にいるくらいなら家に帰りなさい」とおっしゃっていたら、のり子はどうなっていただろうか。

誰だって気持ちが弱くなる。
正論を突き付けられて身動きできなくなったら、生きる気力もなくなるのではないだろうか。


だから当時の保健室の先生には感謝しかない。


のり子は保健委員を3年間続け、3年生の時には保健委員長になった。

一番保健室を利用した保健委員長だった。
心が弱い人の気持ちを誰よりも理解できる委員長だったかもしれない。





長くなりましたので、続きは次回にいたします。



※今回は、こちらのnoteの続きです。

https://note.com/tukuda/n/n96ed595d4f96?from=notice



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~一番保健室を利用した保健委員長~
未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す

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