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旧宅の解体 その3 【音声と文章】

山田ゆり
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※note毎日連続投稿1616日をコミット中!
1526日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも短時間で楽しめます。






おはようございます。
山田ゆりです。





今回は
旧宅の解体 その3
をお伝えいたします。





50年以上住み慣れた旧宅の解体は、感傷に浸る間もなく始まった。



解体初日、ドアや畳が外されていった。
私たちは作業員さんがお帰りになってから旧宅の中をぐるっと見回した。
モノがないそれぞれの部屋は広々としていた。



1階
居間 12畳
座敷 10畳
仏間 6畳
台所 6畳
お風呂場
トイレ
玄関 約6畳
急な階段


2階
夫の部屋 6畳
私の部屋 6畳
長女の部屋 約8畳(洋間)
二女の部屋 10畳(洋間)
三女の部屋 10畳



父によって何度も増改築を重ねてきた我が家。
それにかけたお金は家一軒ができるくらいになる。



部屋の用途も時代と共に変わっていった。

例えば、夫の部屋はもともとは弟の部屋だった。
弟が不治の病で亡くなり、父の部屋になった。やがて父が亡くなり夫の部屋になった。

だから、夫の押し入れの中には弟と父の遺品がそのまま残っていた。

夫はジグソーパズルが大好きな人で、お気に入りのパズルは寝ているベッドの真上に吊るしていた。

強い地震が来たらアブナイ感じだがこれまで何も被害がなかった。


夫は嬉しい時も落ち込んでいる時もレコードを大音量で聴く人だったからレコードプレーヤーや私は持てないくらい重くて大きいスピーカーが2個、部屋の両側に置いてあった。

私たち夫婦の部屋にあったサイドボードを夫の部屋に持ってきたお陰で、夫の部屋はベッドとサイドボードと箪笥1竿と音響設備でぎゅうぎゅうだった。
更にテレビがサイドボードの上におかれていた。



娘たちが小さいころ、親子5人、川の字になって寝ていた私たち夫婦の部屋はその後、二女の部屋になった。

この部屋は家の中で一番日当たりが良い洋間だった。その部屋には夫の婿入り道具である箪笥が2竿置かれていた。

作り付けの一間半のクローゼットもあり、収納たっぷりの部屋だった。



長女の部屋は、娘たちが小さいころの三人の部屋だった。
二段ベットが置かれ、長女と二女がそこに寝ていた。
三女は甘えん坊さんで「お母さんと寝たい」と言って、寝る時は私たち夫婦の部屋で寝ていた。
勉強机セットが3つあり、季節によって置き方を変えて楽しんでいた。
家を増築したことにより、その部屋は長女だけの部屋に変わった。



アルツハイマー型認知症になるまでの母の部屋は二階にあった。

10畳の広々とした和室だった。
母の古い箪笥が2竿と子どもたちの箪笥が1竿置かれていた。

認知症の症状が出始めたその日から三女と私は母の部屋に寝泊まりするようになった。
それまでの母は、寝る時は部屋に誰かがいるのが嫌な人だった。

しかし、父が急逝したその夜に、
「一人で寝るのは寂しい。一緒に寝てほしい」と幼い三女に言い出した。こんなことを言うような母ではなかったから、「母はどこかおかしい」とその時感じ、その夜から三女と私は母の部屋で寝泊まりすることになった。

やがて、階段の上り下りが危ないからということで、下の開いていた座敷に母の部屋を移し、この部屋は三女の部屋になった。



2階の私の部屋(6畳)はデスクトップ型パソコンがあり、私の勉強部屋でもあった。

母と一緒に寝るようになってからはPC入力をしたり、着替えたりするだけの部屋になった。
母の認知症の症状が出始めたころから亡くなるまで私は母の隣で寝泊まりしていたから私の部屋はただの素通りするだけの部屋になっていった。




それぞれの部屋の面積だけを見るとかなり広々としているのだが
しかし実際はたくさんのもので溢れていた。


モノがありすぎて散らかりすぎていた。
それを痛感したのは、夫が急逝した時だった。



夫がベッドで亡くなっていたあの日、第一発見者は私だった。
救急車が来て、夫の死が確認され、やがて警察官が来た。死因は致死性不整脈だった。


誰もいないところで夫が亡くなったのだから事件性があるのかどうかの確認をされた。

私たちは下の居間に丸くなって座り、警察官から事情聴取を受けた。



テレビで観るような机に座って、「さぁ、楽になりたいんだったら全て吐いちまいな!」と言って、眩しいライトをあてられる、なんてことはなかった。

穏やかに今日の発見までのいきさつを聞かれた。
遺書らしきものはないか。借金はあるか。最近、変わった様子はないか。生命保険はどうなっているかなどを聞かれた。


私たちはそれらに真摯に受け答えした。
事情聴取はそれで終わり、私たちは安堵した。



しかし、その後、「部屋を見させてもらう」と言われた。
言葉は穏やかではあるが、しかし、断れない強制力を感じた。
なんたって、ケイサツなのだ。


どうぞどうぞ、と思った。

だがしかし、その「見させてもらう」という部屋は夫の部屋だけではなく、家全部の部屋だと言われた!



私たちの部屋も全て見るとのこと。
言い訳にしか聞こえないが、あの頃、
認知症の母の介護で私たちは翻弄され、疲弊していた。

母によっていろいろなところになんの脈絡もないものがおかれ、家の中は散らかり放題だった。
それをいちいち片付けるのが嫌になっていった。
私たちはやがて「頑張らない介護」に気づき、やっと平穏な日常を取り戻していた。


母が亡くなって一年が経っていたが、散らかった部屋はそのままになっていた。
その内、暇になったら片付けようと思いながらそのままにしていた。


だから、来客用の部屋である居間以外は散らかり放題だった。



夫の死という名目で、5~6名の警察官が私たちのそれぞれの部屋を見て回った。

あの時ほど、恥ずかしいと思ったことは無い。
親戚に警察官がいなくてよかったと思った。
あんなに散らかった家はないだろうと警察官の人たちの中で噂になるかもしれないと思ったから。



そんなものが溢れた状態の我が家も、解体という理由で、ものを片付けた。


解体初日に見た我が家。
こんなに広い部屋だったのかと思う。
胸の奥がチクリとした。

もっと片付けて生活をすればよかったと思った。
畳や戸が部屋の片隅に立てられ何もない部屋。


散らかしてばかりで、ごめん。
まだ住めたのに、ごめん。

大事に使ってなくてごめんなさい。

でも、ネズミたちと遭遇するのはもう嫌だから、分かってほしい。

50年間、ありがとう。


ありがとう。


そんな思いで家を後にしようとして、ふと、あるものが目に留まった。




今回は
旧宅の解体 その3
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。






P.S.
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