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おかえりとおやすみ

アラームを止めて、いつもの“業務連絡”をこなして電話を切った。実家を出ても尚継続されるこの行為にいつか感謝する日は来るのだろか。

今日の業務は昼から。車のキープは完了済。いっそもう少し“夜の後味”を噛み締めていたいがそうも言っていられない。カーテンの隙間からは“白い朝”が顔を出している。かつてであれば浮かない朝でしか無いのだが、『色んな不安を自然が貰ってくれたのだ』という“パッチワーク”を思い出しつい苦笑いをしてしまう。参ったな…心の扉なんぞ易々と開閉するものじゃないのに。思った以上に既に“ルーティンの一部”なのかもしれない。

感情に名前なんていらない

色んな記事を読むけど何かとnoteは愛だ恋だと記す記事が多い気がしてる。皆悩んでいるのかな。キュンキュンしたいってやつですか。どうかな。私は愛だの恋だの語るのがぶっちゃけ“嫌い”。嫌いと言うより、避けてるが正解。抽象的な“感情という生き物”を幾ら説こうとしたってソレっぽいだけで結局〖ぽい〗で終わりだから。恋愛論者やアドバイザーを悪く言っているのではなく、“言葉で語れない部分が多すぎる”。

無理にでも記せば出来なくはないけど、また更に抽象的な言葉選びになっていく。“炭酸水みたいな”とか“漱石を悪者にしない”とか。最近は“卑怯な人は嫌いだよ”ってよく使う気がする。感情に名前なんていらないよ。自覚したら苦しいだけだ。

無自覚な頃がいちばん楽しい

“友達以上恋人未満”という表現が一時流行りました。何となく声をかけ合う、肩肘を張らない関係ってことだと思うけど。一定の周期でこういう方、居た気がする。同じ時間に下駄箱前で逢ったり、テストの点数バカにし合ったり。“iモードの問合せ”時間が妙に擽ったくて楽しかった。今思えばアレも恋の何歩か手前なだけなんだろうと思う。無自覚な頃がいちばん楽しい。多分それも、一度自覚すると“終わりを意識するから”だと思う。

終止符の頃合

これを記すと“一定の界隈”からよく怒られるんだけど、毎年人生のピリオドを先延ばしにしている。冗談抜きに“人生20年計画”、百恵ちゃんのように”ピークで敢えてその場を去りたい”と本気で思っていた。喜怒哀楽が無かったかと言われれば勿論あったのだが、今より憂いてる事が多かった。今日を乗り切れば明日は少しマシなのでは、とそんな小さな希望を重ねて生きてきた。気がつけば成人し、辞めたいと此処が好きを繰り返して勤続5年が過ぎようとしている。いつの間にか『毎年楽しそうだな』と言われるようになった。これはこれで良かったと本気で思っている。

年齢の割に大切な人を失う数が多すぎる。職務柄あって頻度も数も感覚はズレてはいるものの、入社以来社内ダントツで多い。親戚に年配が多いことも事実だったが、単純に“知り合いが多すぎる”のだと気づいてしまった。これからと言う時に限って皆が揃って手の届かない所へ逝ってしまう。遺されるのが辛いから、ピリオドを打ちたいというのもあるのかもしれない。恋か愛か敢えて決めるなら、この感覚は“愛”だと思う。片道切符の愛だよ。ほら、やっぱり苦しいだけじゃないか。

14日付のギフト

久しぶりの相手からLINEが来た。GARMINの通知に〖○○さんよりGIFTが届いています〗とある。“相変わらず卑怯だね”と、届かない思いが口をついて零れ落ちた。業務連絡のようなかしこまった文体の中で〖🍰✨〗がやたらと目を引いた。つい最近まで〖上書き保存〗ができなかった人。最近やっと出来るようになったが、これを幸運と呼んでいいのだろうか。出会いがあれば別れもあるのだが救われた時期がある以上は悪く言いたくないと今でも思っている。あんなに浮き足立っていた心も、今となっては熱がとれて冷えて固まってしまっている。“好きの反対は無関心”だとよく言われるが、まさにソレだった。

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夏の1枚ですが、この青。サイコーじゃないですか。ランニング中にみた景色。今でも心が踊る1枚。

“いつも頭に居た存在”は休日にランニングに出かけただけで日を追う事に薄れていき、“冬の終わり”を感じながら青い空に再び恋をした。“横文字でこっそり呼ぶ相手”につい先日手の内を晒してしまったので、時々書くのが恥ずかしくなる単語があるが基本は文字通りで読んで欲しい。こちらが擽ったくて仕方ない。

ヒトでない、本来感情を持たないだろう物事や事象に“心を持たせる”のが好きなんだ。そう昨日だって、青い空が待っていてくれた。

青い空が手招きしていると思うだけで救われた。陽射しの下で汗を流す感覚が楽しかった。モチベーション次第で軽くも重くもなる足が不思議で仕方なかった。そんな日々で届いたGIFTはチーズケーキだった。相変わらず卑怯な人だ。チーズケーキくらい、好きなままでいさせてよ。

一人と独り

言葉の違い、ニュアンスは何となく皆さんお分かりかと。うまく説明出来ませんが。一人は良い、必要な時が必ず有るから。独りは辛いだけだから。職務柄という表現をするとそれこそ卑怯な気がするが、独りは辛いだけだよ。独りになりたくないからと人付き合いをする訳じゃないけど返事のある会話に、〖既読〗という2文字に滲む“生”の感覚に、“またね”と表現出来る存在に今日も今日とて支えられている。

この感情に下手に名前をつけたりしない。つけたら意識するだけ。“失う”にも色々ある気がするが、ちょっと手離したくない感覚。暫く後味を噛み締めながら、無自覚にこの“”の上を揺蕩いたい。何も意識せず、“おかえり”と“おやすみ”を交わしていたい。なんかちょっと救われる、そんな感覚を暫く連れて歩きたい。

(2022/03/15 )

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