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敬老の日、施設の母に会う

施設の母に会いに行ってきた

もう2年近く、家族の面会すらできなくなっていて、私だけが、ほんの数回玄関のドア越しに顔を見るのが精一杯だった。施設には季節の変わり目に服や下着を届けたり、事務手続きなどで行くことがあったから、入り口の窓越しに母の横顔や背中を覗いて元気なことを確認したこともあった。

このところ、コロナの感染も落ち着いているし、今なら面会が許されるかもしれない。末の息子が2週間前から帰省していたが、その間にワクチン接種も終わった。後期の授業も始まるから、夕飯を食べたら戻ると言っている。この機会を逃すと次はいつになることか。ちょうど敬老の日だった。

施設に電話すると、電話をとった職員さんはなんだか忙しそうだった。そういえば午後のおやつと運動の時間だ。面会に行きたい旨を話すと、「今日ですか?」とあまり歓迎ではないような印象だった。それでも、せっかく敬老の日のプレゼントも用意したことだし、顔を見るだけでいいからとお願いした。「玄関でガラス越しになりますけどいいですか?」と、なんとか許可をもらうことができた。

「おばあちゃん、誰が来たかわかるかなぁ。」息子が心配するのも無理はない。この前会ったときも、私のことを娘ではなく、自分の妹が来てくれたと思って、「遠くから来てくれて…」と涙ぐんでいた。

施設につくと、先ほど電話で話をした施設長さんが出て来て、「お連れしますね」とにこやかに言って、車椅子の母を連れてきた。

母はやせてはいるが、元気そうだった。大勢で来たから、少し驚いている。「よく来てくれて。この人はやさしくてね。」と息子と夫の方を見ながら、話をするのは私たちにではなくて、職員さんに向かってだ。「お兄ちゃんは、勉強もいいけど、ゆっくり休まないとね。」夫の方を見ていうから、自分の兄のことなのか、一番上の孫のことなのか。まあ、その辺りの記憶は混乱しているようだ。

でも、穏やかな表情でうれしかった。家のことも気になるけれど、今は施設に馴染んで、そこが自分の居場所になっているのだろう。「大勢でいろいろやるんだよ」レクレーションなども楽しんでいるらしい。玄関先には「夏祭り」と書かれた写真がたくさん飾られていた。

施設を後にした私たちは、「よかったね。おばあちゃん、本当に元気そうだった」「穏やかな顔だったね。」「やっぱり子どもの頃の記憶が一番なんだね。」などと話ながら帰った。

会えない日がこんなに続いて、私は心の中で母に謝っていた。孫にも会えないで、こんなさびしい老後にしてしまって、私は悪い娘だと思った。でも、母は職員さんと、施設の仲間に囲まれて穏やかな毎日を過ごしている。何度も何度も「よかった」とつぶやいた。

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