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大きな自然に抱かれて

毎週のように山に登っているのに、おかしいかもしれないが、私は自然に対する恐れが強い方ではないかと思う。山の奥深くに入っていくことは、普段生活している安全で快適なところからかけ離れた場所に身を置くことだ。うっそうとした薄暗い樹林帯の中では道に迷って遭難しないか心配になるし、登山口に熊の目撃情報などがあるとびくびくしてしまう。周りに助けを求められないようなところでケガをしたり、急な体調不良に襲われることだってあるかもしれない。普段から心配性で危険から出来るだけ自分も家族も遠ざけるように生きてきた私にとっては、ちょっと考えられないような安全でない場所に出かけていることになる。

実際、思い立ったら気軽に出かけることを決めてしまう夫のことが、初めのうちは嫌でたまらなかった。私は事前にその山の難易度はどのくらいで、登った人の登山記録などを読んで、自分なりに大丈夫だと納得してから行きたいのだ。

そんな風に事前に下調べをしてあっても、やはり登りはじめはこわい。特に、朝早くてまだ誰も登りはじめていなかったり、それほど人気のある山ではなくて人の気配がない場合など、特に不安になってしまう。だから、無事に車を駐車した場所まで下りてくると心底ほっとした。

この夏ある山に登った時のことだった、天気予報は午後から雨で、予定していた人気の山を変更して近くの低山に登りはじめた。当然駐車場は私たちの車だけだった。こわい、という気持ちになっていた。せっかくの山歩きにこんな気持ちになるなんて残念でしかたない。その時、ふと最近見たある自然番組を思い出した。人気の山を登山家が案内するという番組だったが、案内役の登山家の言葉にはっとした。「山に入ると自分も山の一部になったような気持ちになるんです。」

その言葉をふと思い出した。「自分も山の一部になる」じわっとその言葉が体に広がったような気がした。不思議なことにそれまでのこわさが消えた。自分も自然の一部なんだ、山に住む動物達とも植物とも変わらない自然の一部。そう考えると、怖がっていた自分がおかしい気がしてくる。笑顔になっている自分に気がついて嬉しくなった。

この夏は夫の母や私の母の病気につらい気持ちになった。家族との別れはたまらなくこわい。でも、母も私も大切な人たちもみんな自然の一部だと考えると不思議と怖さや不安が薄れる気がした。自分も家族も自然の一部としてこれから訪れるさまざまな出来事を自然に受け止められたらいいなぁと思っている。

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