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【小説】私の明日はどっちだ?6-①

どれほど真剣に選ぼうと迷いは消えず、こころはいつも霧の中。どこにいて、何をしていれば自分は幸せになれるのだろう…。

これまでのおはなしはマガジンからどうぞ。

それでも私はここにいていいですか

学校にしてもお年寄りのための施設にしても、そこに関わる以外の人が入り込む場面はほとんどない。実際のところセキュリティの問題があるし、みんな自分の生活に忙しくて、ほかの世界まで目がいかないということもある。身近にそうした人たちと接する機会がなければ、どんなにニュースで取り上げられようと、どこか遠いところで起きていることのように感じてしまうだろう。だけど、ニワカさんが言うように、子どもだったのがいつの間にか若者になり、中年になり、誰かの助けを必要とする老人になる。それは特別なことではなくて、お金持ちであろうと有名人であろうと誰に知られることなくひっそり生きている人であろうと、同じようにたどる道なのだ。

それは、魚が切り身のまま海や川で泳いでいるわけではないと頭ではわかっていても、元の姿に全く興味や関心を持っていないのと似ている。

知識はあっても、実感が持てないのだ。そういえば、この間ニワカさんもそんなことを言っていたような気がする。とすると、ここでやろうとしていることの意味って…。

「ちょっとさ、あんた何ボケっとしてるんだよ!ティッシュがないってさっきから言ってるじゃない。私、鼻かみたいんだよ!」

いつの間にか目の前にいたトミさんに怒鳴られて、ハッと我に返った。つい考え込んでしまっていたようだ。

「す、すいません、ティッシュなくなってたんですね。今持って来ます!」

「ああティッシュがない。ティッシュがない。さっきから言ってるのにこの人ちっとも聞いてない!」

「ハイ、ごめんなさい、トミさん。どうぞ」

私はあわててストックのあるロッカーに走り、ティッシュの箱を取り出し、トミさんの前に差し出した。

「私この柄好きじゃないんだよ。ほらあのサクラついてるやつ持ってきて」

「トミさん、でもこれ順番だから。サクラのじゃなくても鼻かめますよ」

「何言ってんのこの人!サクラのがいいんだよ。これじゃイヤなんだよ!」

だってすぐ持って来てって言ったじゃない。上から順に取ったらこれなんだもの。仕方ないじゃない。こういうのって、そのまま従った方がいいのかな。理由話してわかってもらう方がいいのかな。

グズグズ悩んでいたら、琴音さんが横からこっそりささやいた。

「薮田さん。トミさんの話、聞いてみて。もしかしてサクラ、どうでもいいのかも」

よく意味がわからなかったけれど、どうしていいかもわからなかったので、私はまずトミさんの隣に坐った。

「あれ、サクラはどうしたのよ」

「トミさん、ごめんなさい。この木と鳥の柄のが一番上にあったから、これ持ってきたんです。サクラ、お好きなんですか?」

「ふん。そうかい。サクラはね、私のお守りだから」

「お守り?」

「亡くなったダンナがさ、好きだったんだよ。サクラ」

「そうなんですか。ご主人、サクラが好きだったんですか。トミさんは?」

「私は…。私は別にそんな好きじゃないんだけどさ。去年、うちのダンナが亡くなる時、きれいだなぁって…。きれいだなぁって、最後に言ったんだ。私はサクラどころじゃなかったけどね」

「それでトミさんは、サクラに守られてるような気がするんですか?」

「ふん。別にいいじゃないか。あんたには関係ないよ」

「ご主人と仲良かったんですね」

「仲良いっていうか。いないと変な感じがするんだよ。ずっと一緒だったからさ。急にいなくなられてもさ、困るんだよ。変な感じがして」

「トミさん、なんか、かわいい」

私はつい本音が出てしまった。

「な、何言ってんの、バカにしてるのか、あんた」

「まっさか!トミさんかわいいなぁと思って…」

「ふ、ふん!バカにするんじゃないよ!仕方ないからこれ使ってやるよ。しょうがない」

私は、ティッシュの箱を開けてトミさんの前に置いた。彼女は鼻の下をギュギュッとこすってごみ箱に捨てると、何もなかったように、また部屋へ戻っていった。

「あれ、全然甘えちゃってると思う。トミさんさ、薮田さんには気を許してるんだね」

「え?」

「トミさんてほんとは普段あんまりしゃべらないんだよ。でも薮田さん来てから、なんかからんでるじゃない。何だろうと思って様子見てたんだけど」

「ええ?そうですか?てっきり、私の仕事が遅いからイライラしてるのかと思ってました」

「トミさん、自分のことなんてベラベラしゃべらないよ。サクラが好きなんて、初めて聞いたもん」

「そうなんだ…。でもどうして…?」

琴音さんはアハハ、と笑いながら私の背中をたたいた。

「なんでって。理由がないといけないかな。薮田さん、ほんとに自分のことわかってないね」

「トミさんだって、生まれてからずっとこの年なわけじゃない。昨日が今日になって今日が明日になって…が続いてきただけ。なのに、周りは何かにつけて年寄り扱いする。薮田さんはそういうの気が回らないというか。私たちと同じように接するから。なんか安心できるんだと思う」

「そんなの考えたこともない。でも、それならあんなに文句みたいなこと言わなくても良さそうなのに」

「うーん。これでも?これでも?って薮田さんを試してるんじゃない?」

「何でそんなこと」

「…不安だからよ。こんな自分だけど良いですかって、確かめたいんじゃないのかな。不安であればあるほど、何度でも確かめたくなるっていう」

「そんなもんなのかな」

「うん、私は、そう思う」

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相変わらず今でも、トミさんの怒鳴り声にはビクビクする。だけど琴音さんの言葉がチラついて、思ってるほど厄介な人ではないのかも、と思い直すことができるようになってきた。

「ちょっと!あんた!」

いや、前言撤回。何度経験しても、やっぱり怖い…。

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