【小説】私の明日はどっちだ?10-①
これまでのおはなしはマガジンからどうぞ。
しあわせな時間
ボンちゃんはまたすぐにやって来た。カメラとノート持参で、今日次郎さんと話したい、と言う。なんでもきっちり予定を立てて双方にお伺いたてて、なんていう私の気苦労はあっさりふき飛ばされてしまった。特に予定もなかったし、次郎さんも実は心待ちにしていたようで、ボンちゃん来ましたよーと声をかけると、5分待ってくれという返事。そして、さっきまでの普段着からちょっとこぎれいな普段着に着替えて出てきた。
「勇太、よく来たな。この間はすまなかった」珍しく次郎さんの言葉に前置きはなかった。
「次郎さん、今日はガンガン質問するからね。覚悟しといて!」
これを聞いてまた珍しく、次郎さんがハハハ、と声を上げて笑った。ボンちゃんの陰に隠れてこわごわついてきたリョウくんも、ぺこんと頭を下げた。責任感が強い子なのだろう。この前のインタビューであつしさんやシゲルさんにいろいろ聞いていたから、それだけで十分記事は書けるはずだった。イスをガタガタ運んできて部屋の隅にみっつ並べ、ボンちゃんがさあどうぞ、と次郎さんを坐らせる。カメラマンをリョウくんに任せると、リベンジインタビューが始まった。
「さて、今日はここでいちばん物知りと言われている次郎さんにお話を聞きたいと思います」一瞬、次郎さんの顔が緩む。いちばん、というフレーズが効いているようだ。
「ぼくは勉強があまり好きじゃないんだけど、次郎さんは子どもの頃どうでしたか」
「そうだなあ。私はとにかくたくさん勉強したな」リョウくんが、右に左にとアングルを変えながら写真を撮っていく。次郎さんはまんざらでもなさそうだ。
「なんでたくさん勉強できたんですか。好きだったんですか?頭良かったんですか?」次郎さんが、今度はもっと大きな声でワハハ、と笑う。
「頭は別に良くなかったんだが、そうしなきゃいけないんだと思ってたんだ。頑張らなきゃいけないって。まあ、それが当たり前だと思ってたんだな」
「しなきゃいけないのはわかるんだけど、後でやろうって思ってるうちに夜になっちゃう」
「うん。今になって考えると、私も実は全然好きなわけじゃなかった。すごく無理してた気がする」そして…としばらく間があって、次郎さんはこんなことを言った。
「本当はあまりできないってことをみんなに知られたくなくて、それを必死で隠そうとしてたのかもしれない。この年になってそう思うようになった」
「そんなのみんな思うものじゃないの?」
「いや。私の場合はね。誰からも非難されないように、完璧でいなくちゃいけないって鎧をつくるのに必死だった。その為の努力を、がむしゃらにしてたっていうことかな。自分ができないのはもちろん、他の人が頑張らない、ってことも許せなかったんだな、きっと」
「じゃあ、今は違うの?」
また少し間があって、次郎さんは答えた。
「そんなことしなくてもよかったかもしれない、とある人が教えてくれた」
「社長さんとか?」
「いや、もっと近くにいる人だ」
「じゃあお父さんかお母さん?」
「ちがうねえ」
「うーん。わかんない」
「勇太っていう小学生なんだ」
「えっ?ぼく?」
「おかしいか?」
「だって。ぼく何もしてないのに」
「そうか?」
「まあ、でもあれだな」次郎さんはそのまま話を続けた。
「どうして勉強するかっていうとだな。もしもこうだったらこんなことが言えるはずだ、っていう引き出しを増やすためかもしれない。だって、未来のことなんて誰にもわからないだろ?だから、じゃあこうしてみるかっていうののヒントにするんだよ。むかしの人たちが試してきたことを。あとは、いろんな見方があるってことを知るためじゃないかと思う。世の中にはいろんな人がいるんだから。ただいっぱい覚えればいいってもんじゃないんだ。知ったことを、自分の人生に活かしていくっていうのが大事なんだな」
「へええ。そんなふうに思ったことなかった」
「まあ、なんだな。メシを食う、みたいなもんだ」
「???」
「いろんなものたくさん食ったら大きくなるだろ?」
「おじいちゃんなのに、なんか、かっけー…」カメラを持ったままじっと立っていたリョウくんがつぶやく。
「ワハハ、そうか?」
あのカタブツじいさんでも笑うことあるんだねえ、とトミさんが言うぐらい、確かに今日の次郎さんはよく笑った。そして、今どきの小学生が饅頭で喜ぶものでもないだろうに文句も言わずにたいらげて、ふたりの子ども記者は帰っていった。
まだ最後まで終わったわけではないが、思い残すことなく年を越せそうだ。あっという間。全くあっという間に過ぎた一年だった。これからは今までのように年末年始の休みはなく、年が明けてから順番に休暇を取ることになるけれど。
さて。ここへ来た私の選択は、はたして正解だったのだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?