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最終回【小説】私の明日はどっちだ?10-③

これまでのおはなしはマガジンからどうぞ。

未来につながる道しるべ

「ハルカくんは3月から別の部署に異動になります」

ちょっと遅いお正月休みを終えて、出勤した日のことだった。やっぱり琴音さんの話は本当だったんだ。人当たりがよくて頼りにしていたのに、なんだか急につっかえ棒がなくなってしまうみたいだ。覚悟はしていたものの、実際に聞いてしまうと気持ちががくんと落ちていく。でも話はそれだけでは済まなかった。

「私もここを離れます」

ええ?ニワカさんまで?それは聞いてない。じゃあここはいったいどうなるのだ。しっかり者の琴音さんだって、責任者と言われればまだ経験不足のような気がするし、私ときたらなんの役にも立たない。

「新しい責任者は、本社から来ることになっています。スタッフも3人増えます」

「ニワカさん、スタッフって。私たちはどうなるんですか」
さすがの琴音さんも不安そうだ。

「これからは、地域との連携を強化したいと思っていて。琴音さんにはマネジメントも含めて勉強してもらうつもりです。で、薮田さんには、まず初任者研修資格を取ってもらいたいと思ってる」

初任者研修って、いつかハルカくんが言ってたやつか。それ、私が取るの?できるのかな。

「もちろん、費用と時間は確保する。人も増やします」

「あの、期待していただくのはうれしいんですけど、もしそれで私が辞めちゃったりしたら大損じゃないですか。若くもないのに…」

「薮田さん、辞めたいと思ってるの?」

「それはないですけど」

「すぐそう言えるんなら大丈夫ね。まあ、わかってたけど」
あ、また出た。ニワカさんの、私のことわかってますよ感。これなんかイラッとくるんだよなあ。

「私はいろいろやりたいと思ってるんですごくありがたいです。でも、ニワカさんがいなくなるのは…」
琴音さんが今にも泣きそうになっている。時々変なこと言うしムカッとくる時もあるけど、いなくなって困るのは私も同じだ。だいたい、何の知識も経験もない私が、こんなトップの人間と対等にやり取りしている(私のこころの中でだけど)こと自体ありえない。もし責任者がただあれこれ指示してくるだけの人だったら、とっくの昔に辞めていた気がする。それに…。仕事がすごくできるくせに、私に友達になってくれないかとか言ってくるような変なところがあって、ああ見えてなかなか面白いところがあって…。

「なに?」

「あ、いえ。私も、ニワカさんいなくなったらどうしようって…」

「そんなとこで気を遣わなくたっていいよ。ただ、これ聞いてちょっと考えるわ、っていうなら今のうちに言って」

「…。気なんか遣ってないです。それはそれで、すいません。でも私だってニワカさんのこと頼りにしてたので。ショックで頭の中、真っ白です」

「ま、それはそうね。そんなわけだからよろしくね。私は3月いっぱい、ここにいるから」

いつもながらこの人は。とんでもない嵐のタネをボンっと投げ入れておいて、あとは頼むわ、みたいなことばかりやってくれる。研修かあ。どんなことするんだろう。今度の責任者って、どんな人なんだろう。新しく来るスタッフさんは、なにができる人なんだろう。テキパキしすぎてると苦手だな。先輩なのに仕事遅いと思われるのもイヤだな。ああ集中できない!

「薮田さん」

「琴音さん、なかなかの衝撃だったね。私、全然落ち着かない」

「私もです。まさかニワカさんまでいなくなるなんて。新しい責任者、本社から来るっていうことは、絶対キレッキレの人材ですよ。ニワカさんだから楽しくやってこられたけど、業績がどうとか言われたらやる気なくしますよ」

「だよね」

ふたりで顔を見合わせて出るのは、はぁっというため息ばかり。琴音さんと私は、その日何度もニワカさんに怒られた。

それから数日間は、お互い目が合っても苦笑いするか首を振るかしかできなかった。困っているのか淋しいのか、これからの仕事に対する不安なのか。自分でもよくわからなくてモヤモヤが消えない。それでも時間は過ぎ、いつの間にかハルカくんの最後の出勤日となり、いよいよこれは現実なんだと実感せざるを得ない状況になってきた。

「ぼくは本当に人に恵まれていたと思います。なにもできなかった僕が今までやってこられたのはみなさんのおかげです。ありがとうございました」
みんなから花束を受け取ったハルカくんが挨拶する。堂々としていて、ああ彼はこれからの人なんだな、としみじみ思った。頑張れ。と祈ったのは事実だったが、同時に、若い人は未来があっていいな、と思ったのも事実だった。自分だってそういう時を経てきたわけで、彼だけが特別多く時間を持っているわけではない。でも本音を言えば。やっぱりうらやましかった。

「若いって、それだけで財産だよね。その時はわからないんだけど」

ニワカさんの言葉にドキッとした。いや、あなただって私よりは時間あるでしょう。ここの数年は大きいんだよ、と思いながらお愛想でそうですよね、と返した。

「でも、彼ができることと薮田さんができることは、違うんだと思う。できる人がたくさんいれば全部うまくいくかって言ったら、答えはノーだよ。いろんな人がいて、いろんな見方があって、いろんなアプローチがあって初めて機能するんだよ。人が相手なんだから」

「そうでしょうか…」

「と、私は思うよ」

「こんな私でも?」

「…そんなあなたでも」
ニワカさんは私の肩をポンポンと叩くと、ハルカくんの方へ行ってしまった。こんな私でも、か。

朝、目が覚めると別人のように仕事ができる人になっているとか、なにかがきっかけで自分の才能が開花するとか、そんなことあるはずがないのだと頭ではわかっている。
だけど、もしかして、とこころのどこかで期待している。今までも、そしてこれからも、そんなことは全然起きないだろうに。
毎日、目の前のことをやりこなすだけで精一杯で、飲み込みが遅くて人より時間がかかる。奇跡なんてやっぱり起こらなくて、そんな今日がまた明日も続くのだ。いくら夢を見たって、現実はこうなのだ。

それでも。世界中でいちばんできないみたいに思える時でも、なんだかんだで誰かが助けてくれたり、帰りに寄った定食屋さんのフライがおいしかったり、ほんの小さなご褒美をもらって、とりあえず明日という一日をやり過ごしている。そうしてまた次の一日を生き延びる。綱渡りみたいではあるけれど、それが私の人生をつないでいくってことなのかな、とも思う。今まではなにかを決めることに自信がなかったけれど、それって絶対失敗しちゃいけないからだったのかもしれない。幸せというゴールに直結しなければ負け組、というルールは、いつから出来上がっていたんだろう?

「ちょっと、ティッシュ取って」

トミさんが泣きはらした目を向けた。ハルカくんがいなくなるので悲しさ全開だ。

「ハイハイ」

「あんたは淋しくないのかい!薄情もんだね」
いや、そんなことないです。むしろトミさんより落ち込んでるかもしれないです…。

「これ、サクラのティッシュじゃないか。さすがのあんたも、わかるようになってきたようだね」

それ、褒められてるんでしょうか。まぁいいか。さすがの私も覚えたもの。

絶対にうまくいく人生の選択なんて、幻みたいなもの…ってことも。

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