神は救いをもたらさない

 中学生の頃、誰もが「あの人は世界に愛されている」と信じて疑わない幼馴染がいた。誰もが彼を褒め称え、溢れるほどの拍手を送っても、常に謙虚で、無条件に優しかった。
 「春くん、体調悪い?」僕の体調が悪い時、彼は必ずと言っていい程、綺麗な顔を心配そうに歪ませて、そう聞いた。「全然。大丈夫だよ」人気者の彼に心配を掛けまいと、僕は笑う。そんな僕に彼は、必ずと言っていい程こう返した。「春くん、昔から一緒にいるんだから、顔色が悪い事くらい、わかるよ」

 神様なんて、いないんだ。誰もがそう、声をあげて泣いた。僕はそこに、意味を見いだせず、ただ、一人輪から離れて棺を目に焼き付けようとしていた。彼の両親は、最前列に座るよう勧めてくれたが、断った。ならせめて、火葬には必ず来て欲しい、それが両親の返答だったが、僕はまだ少し、迷っている。
 神様なんて、と泣いている人達はきっと、神を慈善団体か何かだと思っているんだ。救いが無ければ、いない。救いがあれば、いる。なら聞くが、神が必ず人を救うだなんて夢のような事、誰が言ったんだ。もしも神が、全てに救いをもたらすなら、病の存在自体、怪奇だろう。
 救いに手を伸ばす前に、自らが何をしてこれたのか、考えてみるべきだ。泣く資格はあったのか、参列する資格はあったのか。彼を神のように崇めていたのは一体、誰だったのか。「人は神様になんてね、なれないよ」葬式が進みゆく光景を目の内に潜ませながら、彼の言葉の裏側を、僕は引っ張り出そうともがいていた。

 君の手が、ぴくりと、動く。意識が止んだり、鳴ったり。もう三日もこうしていた。君の手を取って、僕は大丈夫だよ、と言い続けた。病院は、薬の匂いで充満し、何処か退廃的だ。人が完治していくその瞬間でさえ、人の死と悲しみを飼い続けている。
 モニターの音は僕の耳に酷く五月蝿く届いて、何度だって、壊してやりたい衝動に駆られる。僕の意に反して、溺れかけの子供は元気に走り回り、君は、君は、なんだ。
 時間が止まったような、病室の中。時間の感覚が当然のように無くなった頃、皮肉な程真っ白がよく似合う君は、うっすらと、目を開けた。上手に動かせない口元へ耳を近寄せて、蚊の鳴くような弱々しい声を拾いあげる。
 「いかないで、しゅう」

 花を棺に入れゆく人達を、僕はやはり、遠くから見ていた。人は、困った時ばかり、神を頼る。彼を地上に舞い降りた神様だと信じて疑わなかった人達にとって、本来の神と、彼は何の遜色もなかった。でも、人は神にはなれない。
 彼の両親が涙を溢しながら僕の元へ来て、花を差し出す。二人の痛ましい表情に僕は困り果て、花を受け取ると急かされるまま、棺に近寄った。彼の顔を見るのは、死んだ日以来で、死体のようになってしまった彼を見て、僕は息をのんだ。涙と一緒に泣き崩れた僕は、花を握りしめ、弔いを拒絶するしかできない。
 ああ、神がいるのなら、僕を今すぐ殺して、君の元へ行かせてほしい。
 「いかないで、つき」

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