うすい

 朝目が覚めると春が来ていたから窓を全て開けた。桜の木が見える。ほんのりピンクに色付く、見慣れた、けれども飽きない、ある意味家に感じる安心のような、花。きっと今日の昼や明日の昼、もしくは夜なんかになれば、私の知らない、見たことも無い、でもやっぱり安心する、桜の木の下で飲めや歌えやするんだろうな。などと予定のない温かさを胸に染み渡らせたりする。私には昔からそういう所がある。特に予定もないのに、聖夜が好きだったり七夕が好きだったりする。
 「おはよう。特に意味もないけれど」
 本から顔を上げて挨拶をされた。一階に降りて直ぐの事だった。私はちょっと、びっくりして、おはよう、おはよう、眠っていないの、と聞いた。
 そう、眠っていない。
 そうなんだね。でも、意味は無いんだね。
 そうだよ。意味なんか要らないんだよ。
 そうなんだ。ふふ。ふふふ。
 笑っていたのは春の陽気のせいにして、パンを焼く。トースト。蜂蜜。絶対、蜂蜜。「あれ、テレビ」リモコンを押して気がついた。反応が無い。それどころかテレビが無い。
 「捨てちゃった。朝の粗大ゴミに」
 遠い国の、それこそ想像もつかない遠さ、からやって来たこれまた遠い、国の文字で書かれた私からしたら厄介な、本を閉じて彼が言ったので、私はジュースをついだ。葡萄のジュース。
 まぁいいや。春だから。テレビも観ないでしょう。
 冬じゃないからね。観ないだろうね。
 頷きあって、それから、しばらく経って、徹夜明けの彼を引っ張って、外へ出た。久方ぶりのワンピースを着て、すぐ目の前の公園にある、桜を見に行った。彼は昨日と同じ白いワイシャツを着ていた。
 見上げる。春だね。春だ。温かいな。うん温かい。横目と横目がぶつかって。あ。
 「見てて」
 ふっと、彼が息を吐く。桜は散らなかった。強いていうなら舞い降りた花弁の軌道が変わったぐらい。無いよ。うん無いね。無い。無い。
 帰ろっか。家を出て五分の道を戻った。お昼にはお肉でも焼いてパンに挟もうと考えていた。これは彼の十八番料理で、だけど、私が作る。
 朝が来た。隣で眠る彼の姿は既に無い。薄暗い、今日は曇りだ。体がちょっぴり震えたのでタオルケットを羽織って一階に降りる。
 「おはよう。特に意味はあったかな」
 珈琲を手渡されて、ありがとう、おはよう、と順序を間違って返して飲む。名前だけは辛うじて知っている国では、珈琲を飲まなきゃ一日が始まらないらしい、代わりに私は、珈琲を飲んでも一日は始まらない。
 積み上がった本をどかして、窓を開ける。桜の木は見えなかった。彼が本を正し、それから、外を覗いて、散ったね、といった。
 昨日咲いたばかりだったのに。どうだろう、だって、日にちの感覚、薄いから。本当に昨日は昨日だったのかな。もしかしたら、咲いたのは昨日じゃなかったのかも。
 ブランケットを羽織り直す目の前で、彼がくしゃみをする。冬だ。だって寒いもの。窓を閉めて、カーテンを閉ざす。
 「眠くなる本、教えてよ」
 「異国の文字を見つめたら効くよ」
 本を各自三冊持って、寝室に向かう。昼になったら、電気屋に行く予定だけど、暖かくなっていたら、止める。

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