飢えと渇き

Twitterのアカウント移行に伴う再掲です

 喉が渇いていた。布団の中で丸まるのを止めて起き上がる。「おでこに触ってみて」既に起きて本に何かを書き込んでいる彼に声を掛けた。起きた時に喉が痛いのは鼻呼吸が口呼吸に変わってしまっている時で、それは圧倒的に風邪が原因であることが多い。「来て」
 本から顔を上げて彼は近寄ってきた僕のおでこに触れた。表情を変えずに自分のおでこに触れ、「熱い」と短く告げる。「薬を飲んだ方がいいね」机の上から彼が引き寄せた薬瓶を受け取り、ちら、と本のページを盗み見る。
 「買い物メモ?」
 「ついでに約束のメモもね」
 メモ帳に書けばいいのに、と呟くと、彼はエコロジーだよ、といった。 
 部屋の扉を閉めて、台所の蛇口を捻る。透明なコップに溜まった水を一口飲み込むと喉が途端に潤ってゆくような気がした。蛇口を閉める。
 薬瓶から取り出した薬の嫌な匂いがする。つんとして苦そうな。眉を寄せて口に放り込んだ。コップに溜まった水を全て喉に流し込む。お腹が水で一杯になって、苦しかった。今更気にすることじゃない。慣れたことだ。ただ、苦しい。
 「どう」煙草を吸いながら現れた彼は小さな鍋に水を入れながら僕に尋ねた。コンロの火を付ける。家にはやかんがない。もちろん魔法瓶もない。「どうもしない」
 「お粥でも作ろうか」
 聞いておきながら僕の言葉を無視して彼はもう一つ小さな鍋を用意し、冷蔵庫の中から余ったご飯を取り出した。「手伝おうか」
 「誰の為のお粥だと思っているの。病人は眠ってもらえる、」
 普段は手伝わないと怒る癖に、とぼやきながら追い出されるように台所を出た。
 お粥を作るのにそう時間は掛からない筈だし布団で眠るのは得策じゃない。そう結論を出してさっきまで彼が座っていたあたりの床にごろんと寝転がった。
 火照った体に入り込んだ朝の冷気が心地いい。目を閉じると眠ってしまいそうだった。口で息をするのは本当のところかなり苦しい。息を吸い込む度に意識してしまうのだ。すると時々息の仕方が分からなくなって呼吸が止まる。
 はあ、と大きく息を吸った。お腹に空気が満ちる。「ん、」横向けになると机の下に本が片付けられているのが見えた。台所に目線を向けてから手に取る。これはベストセラーになった小説だから何かメモがされている筈だ。
 『一月六日。異常なし。一月七日。発熱。身体に変化はない。一月七日。異常なし。一月八日。異常なし。一月九日。微量の咳。一月八』ページを捲る。最近のところまでぐっと進めた。『一月一日。体が以前よりも骨ばっている。一月二日。やはり発熱。一月三日。異常なし。一月四日。異常なし』
 『二月二十四日。薬を投与。二月二十五日。体が痩せてきている。二月二十六日。異常なし。二月二十七日。異常なし。二月二十八日。発熱。』「出来たよ」
 机に茶碗を置くと彼は僕の手から本を取り上げて軽く頭を叩いた。「悪い子だ」怒っている様子はなかった。起き上がってスプーンを受け取りたまごとにらの入ったお粥を食べる。「ちゃんと全部食べるんだよ。残してはいけないからね」
 小さく頷き一定のテンポで呼吸と食事を怠らないよう繰り返す。どちらも苦しいけれど慣れたことだ。「分かってるよ。全て貴方のいう通りにする」

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