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#11 神からの試練-3
無神論者の月猫が送る、神からの試練パート3。
1では月猫の病気発症について。
2では突如一文無しになったことについて。
そんな話をしてきた。
この3つ目は、正直ここに含むべきか否か悩んだ。
だが、やはり、これも私の試練のひとつだと思うため、書き連ねてみたい。
今回は、わたしが「死産」を経験した時の話。
![](https://assets.st-note.com/img/1714002807023-WY03L2hkWf.png?width=800)
時は10年ほどさかのぼる。
ちょうど、わたしが病気を発症した直後。
リハビリをしながら、まだ在職していたころの話だ。
月猫は当時、子供を望んでいなかった。
バリバリ働きたかったのもあるし、もともと子供の扱いが苦手だからというのもあった。
だから、結婚して8年。
避妊もしていたため、子供の影もなかったわけだが。
突如、わたしのおなかに命が芽生えることになった。
本当にびっくりした。
だが、病気で働くことも難しいと実感し始めていたタイミング。
もしかしたら、この子が生まれたのはある種運命なのかと思った。
第一、避妊していてまでできた子ならば、相当「生きたい」の気持ちが強い子なのだと思った。
月猫は産むことにした。
運動をしたり、しっかり食べたり。
おなかの子に負担のないように、色々と工夫をした。
妊娠6ヶ月を迎え、そろそろ胎動を感じてもいいころ。
しかし全くわたしのおなかは動く気配がなく、心配で婦人科を受診した。
いつものエコーをするお医者さんの顔が、なんとも神妙な面持ちになった。
わたしも、先生の目線を追うようにエコー画像に目をやる。
あれ。
すぐに、異変を感じた。
動いて、ない。
「死んで…ますね」
頭の中が真っ白になった。
なんで。どうして。
一か月前は、ちゃんと、脈打って、生きて、いたのに。
「もうここまで成長した段階だと、おろすこともできない。このまま、産んでもらうしかない」
わたしの頭はもう何を言われているのかわからなかった。
ただ、ぴくりとも動かない我が子の姿から、目を離すことができない。
先生は、淡々と続けた。
「うちの病院では対応できないため、別の大きな病院を紹介します。すぐに入院の支度をしてください」
いったん病院から放りだされる。
わたしは帰り道に当時の夫に電話をかけた。
「もしもし、どうした?」
わたしと同じく営業職だった夫は、勤務中の時間でも携帯のコールに出てくれた。
わたしは、先生から言われたことを、少しずつ、話した。
話しながら、自分の中で突き付けられた現実を、受け入れなければならないことに気づく。
途中から、道端で大泣きしていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1714002882741-BxxFQb7j2C.png?width=800)
赤ん坊は生まれるとき、自らも生まれようと頑張って動いてくれるという。
おかあさんはその赤ん坊と力を合わせて、一生懸命産み落とす。
生まれた瞬間、赤ん坊の泣き声が聞こえ、きっと、やっと会えたねと感動で涙を流すのだろう。
わたしは、「死んだ子を産む」という体験をした。
まったく出てこようとしない赤ん坊。
陣痛促進剤と、事前に受けた、人工的に子宮口を広げる手術。
分娩台にのって、ただただ力を入れる。
ちょうど逆子状態にもなっており、産むのは本当につらかった。
痛みからではない涙が、ずっと止まらなかった。
「もう少し、頑張って」
助産師さんが励ましてくれる。
わたしの心はもはや麻痺して、ただただ産み落とす行為だけに集中した。
一時間ほど、頑張っただろうか。
「頑張ったね、生まれたよ」
本当に、静かな分娩。
生まれた我が子は泣くわけもなく。
助産師さんが、見せてくれた赤ん坊は、静かに眠ったような顔をしていた。
23センチ、190グラム。
両手にすっぽりと収まるくらいの、本当に小さな命。
涙越しにみるその子には、夫の面影があるようにみえた。
わたしが部屋に戻り、出産後の休憩をしている間、夫は赤ん坊の火葬の手続きに追われていた。
翌日には、家族で火葬場に行き、あっという間に小さな骨だけの姿になってしまった。
わたしは、なにをしたというのだろう。
なにが、悪かったのだろう。
医者も、なぜ死んでしまったのか、その理由はわからないという。
飲んでいた薬も、子供に影響のないものにしていたのに。
もともと、わたしに産む資格はなかったのか。
でも、それならばなぜ、一度はこのおなかの中に、宿ったのだろう。
いろんなことを考えた。
きっとこのできごとも、当時のわたしが離婚を決意した一因だったのだと思う。
あまりにも立て続けに、色んなことが起きたから。
それからわたしは、2度目の結婚もしたのだが、その時も子供は作らなかった。
もう二度と、あんな思いはしたくなかった。
だが、今、現在のパートナーに出会ってから。
その意識が、変わりつつある。
もしもまたわたしのお腹に命宿ることがあるのなら。
今度こそ、この世界に産み落としてあげたい。
力強い鳴き声を、この世界に届けたい。
亡くなった子供のことは、決して忘れはしない。
今も、小さな仏壇とともに、骨のはいったネックレスをお供えしてある。
![](https://assets.st-note.com/img/1714002951917-Jj1M4Mg1BO.png?width=800)
人の人生というのは、本当に騒がしい。
もうこれだけのことが起きたから、これからは平穏だろうなんて思っていても、さらにそれを超えるくらいのできごとが起きたり。
神などいない。
そうは思っていても、本当に神のせいにもしたくなる。
わたしの不幸話はいくらでも用意できるのだが、不幸自慢をしてもしかたないので、3大トラブルとしてこちらを紹介して終わりにしたい。
月猫は、よく泣く。
チャームポイント?の涙ぼくろがあるくらい、人知れずよく泣いている。
こんなに頑張っているのに。
こんなに一生懸命なのに。
なんでうまくいかないの?
でも、泣きながらでも、この歩みはとまらない。
まだまだこれらを超える試練が、この先にあるかもしれない。
怖いけど、怖がってても始まらない。
歩みを止めなければ、きっといつか、笑って話せるときがくる。
色んな経験は、すべてわたしを彩るカタチ。
いつかこの命が尽きるとき、わたしはこう言えるようになりたい。
「うん、頑張ったな、わたし。
いろんなことあったけど、楽しかったな」
そのセリフを言うために、わたしは今日もあがき続ける。
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