見出し画像

#11 神からの試練-3

無神論者の月猫が送る、神からの試練パート3。

1では月猫の病気発症について。
2では突如一文無しになったことについて。
そんな話をしてきた。

この3つ目は、正直ここに含むべきか否か悩んだ。
だが、やはり、これも私の試練のひとつだと思うため、書き連ねてみたい。

今回は、わたしが「死産」を経験した時の話。

時は10年ほどさかのぼる。
ちょうど、わたしが病気を発症した直後。
リハビリをしながら、まだ在職していたころの話だ。

月猫は当時、子供を望んでいなかった。
バリバリ働きたかったのもあるし、もともと子供の扱いが苦手だからというのもあった。

だから、結婚して8年。
避妊もしていたため、子供の影もなかったわけだが。

突如、わたしのおなかに命が芽生えることになった。

本当にびっくりした。
だが、病気で働くことも難しいと実感し始めていたタイミング。
もしかしたら、この子が生まれたのはある種運命なのかと思った。

第一、避妊していてまでできた子ならば、相当「生きたい」の気持ちが強い子なのだと思った。

月猫は産むことにした。

運動をしたり、しっかり食べたり。
おなかの子に負担のないように、色々と工夫をした。

妊娠6ヶ月を迎え、そろそろ胎動を感じてもいいころ。
しかし全くわたしのおなかは動く気配がなく、心配で婦人科を受診した。

いつものエコーをするお医者さんの顔が、なんとも神妙な面持ちになった。

わたしも、先生の目線を追うようにエコー画像に目をやる。

あれ。
すぐに、異変を感じた。
動いて、ない

「死んで…ますね」

頭の中が真っ白になった。
なんで。どうして。
一か月前は、ちゃんと、脈打って、生きて、いたのに。

「もうここまで成長した段階だと、おろすこともできない。このまま、産んでもらうしかない」

わたしの頭はもう何を言われているのかわからなかった。
ただ、ぴくりとも動かない我が子の姿から、目を離すことができない。

先生は、淡々と続けた。

「うちの病院では対応できないため、別の大きな病院を紹介します。すぐに入院の支度をしてください」

いったん病院から放りだされる。
わたしは帰り道に当時の夫に電話をかけた。

「もしもし、どうした?」

わたしと同じく営業職だった夫は、勤務中の時間でも携帯のコールに出てくれた。

わたしは、先生から言われたことを、少しずつ、話した。
話しながら、自分の中で突き付けられた現実を、受け入れなければならないことに気づく。

途中から、道端で大泣きしていた。

赤ん坊は生まれるとき、自らも生まれようと頑張って動いてくれるという。

おかあさんはその赤ん坊と力を合わせて、一生懸命産み落とす。

生まれた瞬間、赤ん坊の泣き声が聞こえ、きっと、やっと会えたねと感動で涙を流すのだろう。

わたしは、「死んだ子を産む」という体験をした。
まったく出てこようとしない赤ん坊。
陣痛促進剤と、事前に受けた、人工的に子宮口を広げる手術。

分娩台にのって、ただただ力を入れる。
ちょうど逆子状態にもなっており、産むのは本当につらかった。

痛みからではない涙が、ずっと止まらなかった。

「もう少し、頑張って」

助産師さんが励ましてくれる。
わたしの心はもはや麻痺して、ただただ産み落とす行為だけに集中した。
一時間ほど、頑張っただろうか。

「頑張ったね、生まれたよ」

本当に、静かな分娩。
生まれた我が子は泣くわけもなく。
助産師さんが、見せてくれた赤ん坊は、静かに眠ったような顔をしていた。

23センチ、190グラム。

両手にすっぽりと収まるくらいの、本当に小さな命。
涙越しにみるその子には、夫の面影があるようにみえた。

わたしが部屋に戻り、出産後の休憩をしている間、夫は赤ん坊の火葬の手続きに追われていた。

翌日には、家族で火葬場に行き、あっという間に小さな骨だけの姿になってしまった。

わたしは、なにをしたというのだろう。
なにが、悪かったのだろう。

医者も、なぜ死んでしまったのか、その理由はわからないという。
飲んでいた薬も、子供に影響のないものにしていたのに。
もともと、わたしに産む資格はなかったのか。
でも、それならばなぜ、一度はこのおなかの中に、宿ったのだろう。

いろんなことを考えた。

きっとこのできごとも、当時のわたしが離婚を決意した一因だったのだと思う。
あまりにも立て続けに、色んなことが起きたから。

それからわたしは、2度目の結婚もしたのだが、その時も子供は作らなかった。

もう二度と、あんな思いはしたくなかった。

だが、今、現在のパートナーに出会ってから。
その意識が、変わりつつある。

もしもまたわたしのお腹に命宿ることがあるのなら。
今度こそ、この世界に産み落としてあげたい。
力強い鳴き声を、この世界に届けたい。

亡くなった子供のことは、決して忘れはしない。
今も、小さな仏壇とともに、骨のはいったネックレスをお供えしてある。

人の人生というのは、本当に騒がしい。
もうこれだけのことが起きたから、これからは平穏だろうなんて思っていても、さらにそれを超えるくらいのできごとが起きたり。

神などいない。
そうは思っていても、本当に神のせいにもしたくなる。

わたしの不幸話はいくらでも用意できるのだが、不幸自慢をしてもしかたないので、3大トラブルとしてこちらを紹介して終わりにしたい。

月猫は、よく泣く。
チャームポイント?の涙ぼくろがあるくらい、人知れずよく泣いている。

こんなに頑張っているのに。
こんなに一生懸命なのに。
なんでうまくいかないの

でも、泣きながらでも、この歩みはとまらない。
まだまだこれらを超える試練が、この先にあるかもしれない。
怖いけど、怖がってても始まらない。
歩みを止めなければ、きっといつか、笑って話せるときがくる。

色んな経験は、すべてわたしを彩るカタチ。
いつかこの命が尽きるとき、わたしはこう言えるようになりたい。

「うん、頑張ったな、わたし。
いろんなことあったけど、楽しかったな」

そのセリフを言うために、わたしは今日もあがき続ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?