選択:死体
「まさか、死体入ってたりしないよね…」
ひかりは青ざめた顔でつぶやいた。
ミステリーの読みすぎよ、そんなフォローを入れたいところではあったが、スーツケースの何とも言えない不気味さが、そのセリフを否定するのをためらわせた。
殺害した後、パーツごとにお風呂場で切り刻んで、スーツケースへ入れて山奥に捨てに行く。
そんな事件が脳裏にちらつく。
じっとりと、手のひらに汗をかいていた。
引っ張り出したはいいが、スーツケースから心なしか距離をとる。
何とも言い難い沈黙がふたりを包む。
膠着を解いたのは、カバンに入れていた携帯電話だった。
着信は、ここへたどり着くまで幾度となく会話をした、遺言執行人の高橋氏からだった。
「も、もしもし」
なんとなく、声が裏返る。
『佐倉さん、無事に新居には入られましたか?』
いつもと変わらぬ穏やかな声が、少しだけ緊張を和らげてくれる。
『長旅お疲れでしょう。明日はひかりさんの入学式ですし、今夜はゆっくりされてくださいね』
その言葉に、現実に引き戻される。
そうだった。
明日はもうひかりの入学式だ。
『あ、そうそう。もう家の中はざっとご覧いただけましたか?』
「はい、まださらっとだけですが」
『ではすでに驚かせてしまったかもしれないのですが。二階の一室だけ、八木山氏からの遺言で、そのままにしておいてほしいと言われてしまったため、片づけをしていない部屋がありますので』
片づけないようにいわれていた?
わたしは電話をしながら部屋に目を向ける。
アンティーク調の机に、座り心地のよさそうな椅子。
所狭しと並べられた本。
もともとここは書斎だったのだろうか。
確か、資料で見たところだと、故人である八木山隆二はもともと教師だったか。
片づけられてはまずい理由があったということだろうか。
わたしはこの会話の流れでスーツケースのことに触れるべきかどうか、瞬時に脳内で葛藤が起きるのを感じた。
しかし、部屋を見渡していたわたし視線が、おびえ切った様子のひかりに止まる。
もしここでこのスーツケースのことを話したら。
間違いなく、警察がくることになるだろう。
わざわざ遺言に片づけるな、つまり手を触れるなとまで書いていたことから、このスーツケースがただの片づけ忘れの旅行バックという線は薄いだろう。
そしたらどうなる?
もし仮に、ひかりの推理通り、死体までとはいかなくても、何か変なものが出てきたら。
いまさら千葉の家には戻れない。
新天地に来てまで、またこの子を苦しめることになるではないか。
『佐倉さん、どうかされました?』
「いえ、なにも。少し疲れてしまったみたいで」
わたしはそういって、電話を切った。
一旦、このことは忘れよう。
この部屋に入らなければ済む話だ。
「ひかり、そろそろ荷物が届くわ。今日は少し片づけて、明日に備えてもう寝ましょう」
半ば無理やりひかりを部屋から追い出して、わたしはまだ押入れをカリカリしているずんだを抱きかかえて、その部屋の扉を閉める。
カギでもかけたいところだが、さすがにそういうわけにもいかない。
わたしたちは1階に降り、キッチンなどを見て回っていると、ちょうど宅配便がチャイムを鳴らした。
「ええと、さくら、さんでいいですかね?」
「はい、佐倉です」
「お荷物10点ほどあるので、持ってきますね」
小さなトラックの荷台には、ほぼわたしたちの荷物しか載っていないように思えた。
10点の段ボールを降ろしきり、サインをしていると、その男性は世間話を始めた。
「八木山先生、亡くなったんですね。少し前まであんなに元気だったのに。佐倉さんは、ご親戚かなにかですか?」
「いえ。たまたまこの物件に住むことになっただけですよ」
「へえ。あ、すみませんね。こんな田舎じゃ、引っ越してくる人が珍しいもんで、つい」
会社のマークのついたキャップを被りなおしながら、ぺこぺこと頭を下げる。
「ここの元住人とは知り合いなんですか?」
わたしはサインを終えた受領書を手渡しながら、興味本位で尋ねてみた。
「僕の中学の時の恩師なんです。しかも、僕ここの配送担当なんで、よく荷物を届けてたんですよ。暑い日はお茶をごちそうになったりして」
男は受領書のサインを確かめ、胸ポケットに入れる。
「八木山先生、退職されてからはずっと一人だったから、僕はいい話し相手だったみたいです。じゃあ、そろそろ。またお荷物お届けの際はよろしくお願いしますね」
にこにこと微笑みながら、深く礼をして去っていった。
八木山先生、か。
昔の生徒とも穏やかに接している印象。
そんな人が自宅に死体を隠すなんてこと、あるだろうか。
でも、ひとは見かけによらないという。
表の顔と裏の顔が全然違うなんて、いくらでもある話ではないか。
わたしは玄関を閉め、ぶるると頭をふるった。
いい加減、この思考から離れないと。
「ひかりー! 荷物届いたよー!」
簡単に荷解きを終え、わたしとひかりは夜ご飯の調達もかねて、近所のスーパーまで行くことにした。
千葉のときとは違い、車での移動が当然の社会。
ペーパーとはいえ、免許のありがたさをかみしめる日々になりそうだった。
スーパーまでは、車で5分。
この辺りではまあまあ利便がいい範囲らしい。
自転車でいけない距離でもなさそうだが、家までの坂を考えると、ちょっと現実的ではない。
(とはいえ、ひかりは自転車通学なのよね)
なんとなく負い目を感じてしまう。
「地域のスーパーっておもしろいよねー」
ひかりは地元の特産品コーナーを目の色を変えて物色している。
「今晩なにするの? 山梨だけにほうとう鍋?」
「今日はもう出来合いですませましょ。お母さんくたびれちゃった。お寿司とかどう? 高いのでもいいわよ」
「お寿司! 引っ越し祝い! やったー!!」
ひかりは嬉しそうにお総菜コーナーへ走り出す。
無邪気な我が子の姿を見ていると、なにかホッとする。
と。
その時、視界の中に、異変が起こった。
いるはずのないもの。
見間違い? いや、違う。
背筋が凍った。
黒のパーカー、破れたジーンズ。黒のキャップ。
視線を移したときにはすでに商品の棚で遮られて、しっかりとは確認できなかったが。
どうして、ここに、やつが、いるの。
「お母さん、はやくー! 安売りのやつ売り切れちゃうよー」
前方ではひかりが手を振っている。
あの子は気づかなかったみたいだ。
どうしよう、見間違いかどうか、確かめるべきか否か。
さて、この時あなたならどちらを選ぶ?
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