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捨てたい感情、その昇華。

自分に言い聞かせるように、今文字を打ち込んでいる。

私は絵を描く人間だ。
人間であるということは、承認欲求という「私を私として認めてもらいたい」という生きていくために必要な欲求を持ち合わせているということで、私はそこから発生するある種の呪いからずっと抜け出せないでいる。ずっと、その呪いを捨ててしまいたいと思っている。

シンプルでありふれた話だが、インターネットに絵や漫画を投稿する際、「評価してもらえなかったらどうしよう。それによって落ち込んでしまうのが嫌だ」と思ってしまう。時間をかけた物であればあるほどそうだ。
先人の「そこに軸を置かない方が良い」という意見は何度も目にしてきたし、頭では理解はできる。だが心にはまだ染みきらず、切り替えれていない。そんな感じだ。理解して心に言い聞かせても、日が経つにつれてそれは風化してしまう。とても厄介だし面倒だなと思う。

変えたい事をそのままにしておくのは気持ちが悪いので理解だけはしてくれている頭を必死に回して考えてみた。その過程で尊敬している人たちの言葉をぽつぽつと思い出した。   

『人から評価してもらえないと失敗だと思う人が多い。その作品を完成させた時点でクリエイターとしては成功だ。』

この言葉を思い出す時、いつもインターネットに絵を投稿しはじめる前の自分を思い出す。あの頃は絵を描く事、完成させる事をひたすら楽しんでいた。
今でも過程を楽しんではいるが、その先の評価という眩しい光に目が向きがちになってしまっているなとは思う。

それらの話を混じえて家人になんとなく相談したところ、

『作品を子どものようなものだと仮定して、ネットに投稿した時点であなたには完全に操作できない他人になるのだと思うのはどうか。他人になった時点で手放す事を意識してみたらいいんじゃない?』

という意見をもらえた。
なるほど、たしかにこの苦しさは一つの作品にずっと心を配り続けて個人にはどうしようもない他人の気持ち(=評価)までどうにかしたくなってしまうところから来るものだ。
作家は生涯をかけていくつもの作品(子ども)を生んでいく。そう考えると一つ一つに愛情は持てても強い執着心を以て全てに対応するとなるとどこかで破綻して然るべきだ。
完成を一種の「独り立ち」と見なし、私から解き放って外に委ねてみる。解放した時点でもう次の子の事に全力になる。
それが私がこの呪いから脱する一番明確に見えている道のように感じた。

ひとまずは、「完成」を迎えた時点ですぐに次を楽しむ事を考える癖をつけたい。
作る事を楽しむ事、私が最初に「好き」と感じた事は作る事、SNSひいてはネットは私が楽しんだ事を残す場所でしかない。自分が楽しむ事を精一杯大事にしよう。

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