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小説✴︎梅はその日の難逃れ 第44話

カフェ「AKEBONO」を無事オープンし、千草の方も今の仕事を退職した。
施設の開設準備に専念するために。
そして愁からの申し出により、カフェだけでなく、米村家に住み込みで働くことになり、千草の開設準備の手伝いにも関わるようになった。
千草としても1人で悩むより、色々な意見を聞きながら進めたいのと、仕事を辞めても、カフェの賃貸料や愁の住み込みの家賃を納めてくれることは、経済的にもありがたかった。

広い庭の監修についても『最後の大仕事として、やらせてくれないか』と千登勢から声がかかり、木杉ガーデンが請け負うことになった。

春月の夫が、元々勤めていたゼネコン関係の建設会社にも声をかけてくれて、施設のリフォームや建築施工を頼むことが出来た。
こうして着々と、開設への準備が進み出した。

色々なご縁で、千草の夢が少しずつ形になって来た。

➖千登勢と小春➖

その日は穏やかな陽気で、鯉口を着た広い背中を向けて、作業する千登勢を縁側から眺めながら、小春も幸せを感じていた。
あの頃の2人に、心は戻されていく。

離れた所で高い木の作業をする職人に
指示する千登勢は、まだまだ現役で行けると思わせる声の張りだ。

「千登勢さんは、変わらないですね」
小春が声かけると
「小春さんこそ、笑う声はまだお嬢さんのままですよ」
千登勢が答える。
「まぁ、ふふふ」

手にしていたハサミを置いて
縁側に腰掛ける千登勢が言った。

「重機の下敷きになり、もしも体ごと下敷きになっていれば即死でしたが、足が挟まれたまま助けを呼べず意識が遠のく中、『ああ、俺は死んでいくんだな』と思いました。
それでも意識が戻ると、一命は取り留めたものの左足を無くしました。
梅干しのおかげで、足だけで済んだと思っています。その後も敗血症にもなり、生死を彷徨いましたが
それを乗り越えると、ふと気がついたんです。これで俺は生まれ変わったのだと」

「大変なお怪我でしたよね」

「小春さん、覚えていますか?

『生まれ変わっても、俺は小春さんを忘れません。その時は小春さんを嫁さんにする為、必ず迎えに参ります。約束させてください』
って言葉。

その約束、今果たしても良いですか?」

小春は千登勢の言葉に
震えていた。こんな歳になっても
あの時の同じ言葉で、心が揺さぶられている事にも驚いた。

「私と千登勢さんの糸は、まだ繋がっていたんですね。
生きていて良かった。
生きていてくれて良かった。
また、永遠の別れが来るのは
そんなに遠くない私達だけど
別れの悲しみに負けないくらい
素敵な思い出を今から作って行きたいと思います。私の方こそ、どうぞ、そばにいさせてください」
「ありがとう、小春さん。もちろん今更、結婚とか形式はどうでもいい。この施設が出来上がったら、僕がここで厄介になるから、いつでもそばにいられる様にさせて下さい」
「もちろんです。1日でも1秒でも長生きして思い出作りましょう」

そよそよと風が庭の樹々を撫でていく。池の鯉も緩やかに円を描き泳ぐ。2人の長い初恋の成就を祝っている様に。

愁は木杉ガーデンの職人達に、茶菓子を出そうと準備し運ぼうとしていた時、千登勢と小春の縁側での会話を偶然聞いた。

2人の温かい空間に、自分まで感動してしまって、涙が出てしまうくらいだった。

その夜、昼間の小春さん達の話を、愁は千草に打ち明けた。

「本当に素敵な2人でした」
「千登勢さんの言葉、私も小春さんから聞いた事あります。お互い大切にしまっていたんですね」
「ええ、それでちょっと思いついた事あって」……



千鳥を送って以来、野崎は仕事の休みごとに、カフェ「AKEBONO」へモーニングを食べにくる様になった。

「おはようございます」
「いらっしゃいませ。野崎くん、おはよう」
「今日も来ました」
「いつものだね」
「はい、いつもので」

奥から何やら女性達の声が聞こえる。

「あれ?今日はドリちゃんいるの?」
「ああ、今日は梅仕事なんだって」
「梅仕事?」
「梅干しの仕込みの事だね」
「ああ、なるほど」

「愁さん、爪楊枝ちょうだい」
千鳥が店のカウンターに顔を出した。
「あ、洋さん。おはようございます」
「おはよう、ドリちゃん」
「また来てるんですか?」ちょっと意地悪な言葉も出る様になった千鳥。
「なんだよ。お客さんに向かってー」
「飽きないのかな?ってふふふ」
「俺はここが気に入ってるし、モーニングの為、元々休みの日は、いつも昼過ぎまで寝てたのが起きられる様になって、生活の良いリズムになってるの」
「それにわざと二駅手前から、歩いてくるんですよね」
愁も言う。
「そ、健康のためにもここが役立っているんだ」口を少し尖らせた野崎に
「はいはい、わかりました。爪楊枝、あった」と言いながら、千鳥は奥に引っ込んだ。

「マスター、ここに住み込みなんでしょう?良いなぁ」
「半ば僕が強引にお願いしたんですけど、ここ本当に素敵で初代の社長さん、なかなか多趣味でね。この奥に娯楽室とミニシアターまであるんですよ」
「マジですか!」
「ビリヤード出来ます」
「うっそー。それにシアターって」
「もう、映写機は壊れてるんですけど、プロジェクターあればスクリーンと椅子はそのままです」
「ええええ!みせてもらえないですかね?その部屋」
「ちょうど小春さんも居るし、お願いしてみましょうか?」
「ええ、是非!」


その後、梅仕事の“梅の実を丁寧に乾拭きする作業”を野崎も手伝うからと、終わった後に部屋をいくつか見せてもらった。

野崎は感心していた。
「いやいや、良い家ですね。いやー本当に。良いなぁ良いなぁ」
どこを案内しても褒めちぎる野崎に
小春も千鳥も呆れるほどだった。

すると野崎が言い出した。
「あの、これダメ元でお聞きするんですが、マスターみたいに僕もここに住むってダメですか?昔の使用人の部屋いくつか残ってて物置になってますよね?」
「ええ?洋さんが?」
千鳥は柄にもない大声をあげた。
「小春さん、お願い出来ますか?」
野崎は頭を下げた。

それからまもなく、愁の隣の部屋に
野崎も引っ越してきた。
食事は大勢になり、愁と小春で作る様になった。愁が習う小春のお袋の味は
カフェでも好評で、カフェも米村家も
ずいぶんと賑やかになっていった。


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