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小説✴︎梅はその日の難逃れ 第45話

➖春翔とマキ➖


春翔は、社長の川原から紹介してもらったパンダ好きの湯浅をきっかけに、パンダ仲間も出来、新しい土地にすぐ馴染むことができた。
休みの日は、もっぱらパンダを見に行く。

いつもは週末に動物園に行っていた春翔だが、その日は休日出勤の代わりの平日休みに足を運んだ。
週末は来園者も多く賑やかだが、流石に平日は3分の1位だろうか。
パンダ舎の入り口で、たくさんの幼稚園児達と出くわした。
賑やかでカラフルな帽子を被った園児達の先に、カメラを構えた女性が居る。
いわゆるプロ志向の立派なカメラを構えた女性は、ワラワラと集まった子供たちに笑顔を向けながらも、被写体のパンダに向けてシャッターを押し続けた。
春翔が子供達の波に流されながら、その人の近くに来た時、カメラのレンズを変えようとしていた。そこに保育士の声に反応して、一斉に走り出した何人もの園児が、ぶつかり女性は体勢を崩した。
咄嗟に春翔は、長く伸びたカメラのレンズを掴んだ

「こら!走っちゃダメですよ!」
保育士の声が響く。
僕はカメラを掴むことは出来たが、持ち主の方は、尻餅をついてしまった。

「だ、大丈夫ですか?」
春翔は声をかけた。
「あ、ちょっと痛いですけど」
笑いながら、女性は言った。
「カメラ支えてくださってありがとうございます。コレ壊れる方がショックなので」
「あ、そ、そうですか」
春翔も笑っていいのか、どう返せばいいのか、きっとヘンテコな顔をしていただろう。

保育士さんが、謝りに走って来たが、女性は「お子さん達に、怪我が無くて良かった」と返事をしていた。

その後、立ち上がった女性は
「イタタタ。ももをぶつけたみたい。すみません、ちょっとこのままカメラをあそこのベンチまで、運んで頂いてもいいですか?」
女性は少し足を引きずるようにして
ベンチまで歩いた。
春翔は、思った以上に重かったカメラをベンチにそっと置いて
「あの、ここで良いですか?」
と、声をかけた。
「はい、ありがとうございます」
ベンチに腰掛けて、ももを手でさすりながらもカメラに問題がないか
確認していた。
「すみません。お体を支えられなくて」
「あー、お気になさらず、コケた私がいけないし、初対面の女性に手は出しにくですよね」
「あ、いや、あの、プロのフォトグラファーですか?」
春翔が聞くと
「はい。コレでも一応。パンダの写真は趣味の一部ですけど、動物園のカレンダーにも使ってもらってます。あ、コレ名刺です」
女性が差し出した名刺を見て春翔は
声を出してしまった。
「え?五十嵐マキさん?」
「あ、はい。そうです。書いてある通り、本人です」
「あああ!僕ファンです!いつもインスタ見てます!パンダの写真たくさんあげてくれてますよね?」
「あ、見てくださっていたんだ。ありがとうございます」
「あ、僕も名刺…あ、仕事のカバンじゃないからないか。あ、ちょっと待ってください」
春翔はスマホを出してから画面をマキに見せた。
「僕、桜井春翔です。これ、僕のアカウントです」
パンダの写真と植物の写真が並んだ春翔のインスタアカウントを見せる。
「あ、見たことあるかも。パンダ写真も可愛いけど、植物のもなかなか良いなって思ったことあります」

お互いパンダ好きと知り、親しみを感じた2人だった。
「五十嵐さん、大丈夫ですか?歩けますか?」
「あ、大丈夫です。さっきはぶつけたばかりだったから痛みで、少し歩きにくかったけど、少し休んだら大丈夫だと思います。それより大事なカメラ守って頂き、本当にありがとうございました」
「プロの方のレンズなんてめちゃくちゃ高いんでしょう?」
「はい、めちゃくちゃ高いです。壊れたら泣いてたとも思います。足の痛みなんて比じゃありません!」
キッパリというマキの言葉につい
2人して吹いてしまった。
笑い合う2人。マキのカメラの写真を見せてもらいながら、しばらくパンダ談義に花を咲かせていた。

好きが同じだと、あっという間に打ち解ける。
その後、インスタのDMからやりとりが始まり
居酒屋「笹の葉」にもマキは来るようになる。

元々マキの写真のファンでもあったが
飾らない人柄に、春翔はマキ自身に惹かれ始めていた。

いつもの様に「笹の葉」で春翔が1人で食事をしていると
店主の湯浅が、春翔にささやいた。
「桜井くんさ、マキさんって良いよね。俺好きだな」
湯浅の言葉に春翔は、口に運びかけていたおかずを皿に落としてしまった。
「あ、動揺した?」
「何言ってるんですか。湯浅さん」
「カマかけた。桜井くん”も”マキさん好きだろ?」
「ぱ、パンダ好きですからね。そりゃ嫌いな訳ないですけど」
「まあ、照れるなよ。マキさんの事たぶん、俺の方が知ってるよ」
「え?」
「彼女は、隣の市のカメラスタジオで働いている」
「そうなんですか」
「その店の定休日は、火曜日だ」
「へえ」
「桜井くん、知らないだろ?」
「いつもパンダの話しかしないので、個人的な事はほとんど知らないですよ」
「だと思った。年の功で俺が聞いてやったよ」
「年の功って」
「彼女、休みの火曜日にパンダ撮りに行って、帰りにはここに寄って飯食って行くんだよ。マキさんに会いたきゃ、火曜日の夕方おいで」
「会いたきゃって……」

確かに春翔は、マキの事は何も知らない。インスタでフォローして長いから、昔から知ってるような気はしたが、彼女本人の事は全く知らなかった事に気づく。

春翔は考えた。
来月は、日曜出勤が二回あるので平日に振り替えて休みを取ることが
出来る。
よし、第2と第4火曜日を休みしてみよう。

第2火曜日の夕方、おそるおそる『笹の葉』の戸を開ける。
カウンターにマキの長い髪を束ねる後ろ姿が見えた。
春翔はそっと店に入ると
「いらっしゃいませー!」と湯浅が、まな板で魚を切りながら言ったが
目を向けて春翔と判ると
「今日は一匹釣れたから、捌くとするかぁ」
そう言ってカウンターに座るマキの横におしぼりを置いた。

「あら、桜井さん」
マキも隣に座る春翔に驚いた。
「あ、こんにちは」
「こんな時間に来るなんて珍しいですね。私も今来たところです」
「え?」
「湯浅さんが『いつも桜井くんは仕事帰りに夕飯食べに来るから大体8時頃なんだよ』って聞いてたので」
「僕の話、してたんですか?」
「くしゃみしてなかった?あ、今時そんなこと言わないか。親父だよな俺も」湯浅もそう言い笑った。
「あ、その、以前動物園で初めてお会いしたときと同じで
日曜出勤したときは平日に休めるんで。今日は仕事休みでした」
「あ、そうなんですね。じゃあ、私と同じ?パンダ見た帰り?動物園では会えませんでしたね」
「いえ、今日は買い物帰りです」
湯浅は微笑みながら
「はい、じゃあ釣れた桜井くんに、こっちの魚の定食がオススメだな」
「湯浅さん、釣れた魚ってなに?美味しいなら私もオススメにします」
「はいよ!」湯浅はニヤニヤしながら答えた。

見事に湯浅の言った言葉に釣られて、春翔はマキに会いにやってきた。
でも、その日は湯浅もうまく話を引き出してくれて春翔はマキの事が知れたし、マキも春翔の事を知ることが出来た。

マキは春翔より5歳年上。元々は東京で生まれ育ったが、縁あって和歌山に来た。カメラスタジオは、東京で一緒に専門学校に行っていた友人が、実家の継いだスタジオを一緒にと声をかけてくれたと言う。

「じゃあ、桜井くんは次期社長の跡取りって事なんだね」呟く様にマキが言った。
「両親は後を継ぐとか考えなくてもいい。やりたい道に進めばいいと言ってくれたんですけど、僕やっぱり植物が好きだし、結局大学も
園芸学部を卒業しました」
「今はガーデンリバーで修行中ってことね」
「はい。別に園芸学部を卒業しても教職とか別会社に就職も考えたんですけど、祖父の仕事ぶりに憧れもあったし、会社を引き継ぎたいと思ったんです」
「大変だよ、親の仕事継ぐのは。でも頑張ってね」
「ありがとうございます」
「私ってどうも跡取りさんに、ご縁があるんだな」
「え?」
「私さ、バツイチなの。五十嵐って元夫の名字」
「そ、そうなんですか」
「幸司、あ、元夫ね。幸司は、奈良の建築関係の長男で実家は江戸時代の宮大工が初代ってくらい老舗でね。嵐山組っていうの」
「なんか耳にしたことある気がします」
「社長の透かし彫りが超絶技巧でね。写真をとる仕事で初めて行って、その技術と仕事ぶりに魅了されて、何度も写真を撮らせてもらいに
通ううちに、幸司のお義父さんに気に入られて、幸司の嫁にならないかって言われた。実は私も幸司に一目惚れしてた。
幸司も、一緒に居ると心地良い、ずっと一緒に居たいと言ってくれて」
春翔は、こんな個人的な話まで聞くとは思っていなかったので
つい箸も止まって聞き入ってしまった。

「お義父さんも気に入ってくれて、結構早くに結婚も決まってうれしかった。でも、結婚してまもなくお義父さんが亡くなってしまって……」
コップの水を一口飲んだマキは
「長男の幸司が嵐山組を継ぐことになるんだけど、嵐山組の彫りの技術は代々【一子相伝】と言われていて、嫁いだからには男子を産まないといけなかったの。結婚前にそのことは少し不安だったけど幸司も
『今の時代にどうかと思うよ。男子が生まれなくてもいい、女の子が継いだって良いんだから』って言ってくれた」
「一子相伝。今もあるんだ」春翔はつぶやいた。
「時代遅れだと思うよね。でも、私たちにはなかなか子供が授からなくて、不妊治療もしたの。二度妊娠は出来たけど、流れてしまって」
春翔は黙って聞いていた。
「あ、こんな話重い?辞めよう」マキはそう言いながら、春翔の顔を見た。
「マキさん、話してくれてありがとう。話したいと思ってくれたなら、心ゆくまで話しても良いですよ。僕も聞きますから」春翔は答えた。
「ありがとう。ここまで話したから今更だよね。あ、箸は止めなくていいから、冷めちゃうし、食べよ。食べながら聞いてくれたら良いから」
そう促して二人とも箸を持った。湯浅もカウンター向こうから黙って
調理を続けた。
マキはその後も話を続けた。

「3回目の治療を始める頃には、お義母さんも親族も、私には直接言う人は居なくてもなんとなく『あの嫁では、跡取りはのぞめない』って空気が伝わってきたわ。
それでも私は、また治療をしようと幸司に言ったけど『もうやめよう、俺たちの相性は合わないのかも知れない。何度治療に臨んでも赤ん坊は、育たないんだと思う』と彼は言ったの。それでも私は彼が好きだし、別れる選択肢は無かった。跡取りとか別に、彼との子供も欲しかった。
でも幸司は『マキの事は愛してる。でも現実この嵐山組を潰すわけにもいかない。伝統はそう簡単に変えられないんだ。跡取りを産めないからって、時代遅れだけど、ここに居ることが返ってマキを苦しめる事になる。だから……』私も彼の言葉をそれ以上聞きたくなかったから……」

「マキさん、つらかったらそれ以上話さなくていいよ」
湯浅が口を開いた。
「ありがとう湯浅さん、大丈夫」
「そうかい?」
「うん。でね、『愛しているのに別れる』ってどういうこと?って思いながら、その夜私は、五十嵐の家を出たわ。しばらくは実家に居たけど、幸司から連絡は来たけど、もう、帰る気にもならなくて。
離婚届だけ書くため、一度だけ会ったけど、お互いかける言葉も見つからないし、書類を提出して別れたの」

しばらくの沈黙のあと、
「話してくれてありがとう」春翔はマキの横顔を見つめながら言った。
「ううん、逆に聞いていくれてありがとう。なんか少しすっきりした」
「だったら良いけど」
「今だから分かったけど、あの超絶技巧の彫りの技は、一子相伝として
親子と言うより師弟として真剣勝負、その伝統を守りきるための努力と決意が無ければ出来ないこと。それを一子相伝にすることで守られた技や伝統だと思ったの。誰でも学べるとなればそこまでの強い意志はもてないよね」
「なるほどね」湯浅もうなずいた。
「だから今はもう、納得してるんだ」
マキはさみしい笑顔を見せ、そう言った。

マキはなぜこんな風に、出会ってそんなに時間も経っていない春翔に話す気になったか、自分でも分からなかった。
でも、出会ったときから春翔と居ると、心が素直でいられる不思議な感覚があった。
幸司の時は、大好きだったが故に嫌われたくない為に一生懸命だった自分がいた。今思えばいつも気を使い続けていたと思う。
春翔は、その正反対の人だと気がついたのだ。




ある日一人、笹の葉でランチをしていたマキが
「湯浅さんもだけど、桜井くんとかこんなに気を遣わないでいられる人が出来て、なんだかうれしいなって、最近思っているんです」
「俺と桜井くんは癒やしキャラだろ?」
「癒やしキャラ?ふふふ。今まで生きてきて私、いつも肩肘張って生きてきたって、今更だけど気がつきました」
「確かにね、マキちゃん、初めて会った頃より表情が穏やかだよね」
「え?そうなの?きつい顔?」
「うん、パンダを撮る時はあんなにいい顔するのに、それ以外の時は
きつめの顔だった。【マキッ!!】って感じの」
「はっきり言われちゃった」笑いながらおかずを口に入れた。
その時、マキの携帯が鳴る。見ると春翔だった。
「あ、癒やし君からだ」湯浅に目配せして電話に出た。

「はい、五十嵐です」
「あ、桜井です。今お電話大丈夫ですか?」
「はい、今笹の葉でご飯してました」
「あ、良かった。あの今日は現場から直帰なので、後20分位で笹の葉に着くと思うので、そのまま待ってもらって良いですか?」
「うん、良いけど」
「では、後ほど」

「どうした?」
「桜井くん、今来るって」
「早速癒しゆるキャラが、到着か」
「ゆるキャラとは言ってないけど」
「パンダ並みのタレ目の俺の方が、ゆるキャラか?」
湯浅とマキは大笑いした。

しばらくすると春翔が現れ
「こんにちは!あ、五十嵐さん
すみません、お待たせしました」
「いらっしゃい、はいこっちどうぞ」
湯浅が声をかける。
「桜井くんも、やっぱりゆるキャラじゃない?」目尻を指で下げながら小声でマキに言う。
「ふふふ、湯浅さんたら」
何のことか分からず、きょとんとする
春翔に向かってマキは笑いながら
「で、なんのご用事?」
「五十嵐さんにお願いありまして、僕もカメラでパンダ撮りたいなって思うんですけど。プロに頼むのはおこがましいですが、一度一緒に初心者にもオススメのカメラとか見に行ってもらえるお時間頂けないですか?」
「え?そんな事。なんかもっと重大なお願い事とかあるのかと思った」
マキは春翔に微笑みかけた。
(いや、十分僕にとっては緊張して誘ってるんだけど)心で春翔は思った。

一緒にカメラを買いに行き、使い方を教えてもらうようになり、お互い、時間が合うと笹の葉は、2人のカメラ教室になっていた。

「桜井くん、今度は私のお願い事しても良い?」
「え?もちろんです!なんですか?」
「今の部屋にね、何かグリーンを置きたいの。と言ってもあんまり世話はうまく出来ないかもしれないけど、おすすめの植物あったら教えてほしいなって思って」
「あ、それならお任せください。でもどうしてもグリーン置こうと思ったんですか?」
「なんかね、以前湯浅さんにも言われたけど肩肘張って生きてるなって自覚し始めて、部屋にグリーン置けば少しは和めるかな?とか」
「なるほど。植物は良いです。体にも脳にも効きますよ」
「そうなんだ。うん、お願いします」
「じゃあ今度、うちの職場来てください。色々取り寄せておきますから」
「ありがとう!」

リバーガーデンを訪ねたマキは、2人でグリーン選びをしながら屈託なく話をする。お互いが心地よい時間を送れるのは、たくさんのグリーンに囲まれているからだけではないだろう。
「あ、これ良いな?」
「フランスゴムの木ですね」
「名前、そうなんだ」
「はい。これも育てやすいですよ」
「じゃあこれにしようかな?」
「分かりました。ちょっと大型なので、もし迷惑じゃなければ僕が車で運びますけど」
「え?良いんですか?」
「はい。玄関前までお持ちしますよ」
「助かります。ありがとうございます」

春翔は何気なく言ってみたものの、初めてプライベートな場所に行く事に、マキからの抵抗がなかった事にホッとした。

2人でガーデンリバーの軽トラに乗り込み、道案内をしてもらいながら短いドライブになった。
マキの部屋の前で鉢植えをおろした春翔に
「桜井くん、もし良かったら部屋の中に設置、頼めたりする?」
「え?」
「だって重いし。桜井くんの人柄わかってるから、部屋に入れても大丈夫だよ」
笑いながらマキは言った。
だが、春翔にしてみれば、警戒されていない自分は、男と見てもらってない証拠なんだと思うと少し複雑だった。

無事部屋の中に運び込み、春翔は洗面台で手を洗っていると、コーヒーの香りがしてきた。
「桜井くん、コーヒー淹れたから飲んでかない?」
「ありがとうございます!いただきます」

2人の静かな時間が流れる。
遠くから聞こえる電車の音。

「桜井くん、あれからカメラはどう?」
「あ、少しずつ扱い覚えてます。この前も動物園行って、色々写してきました」
「そう」
「スマホにいくつか入れてきたので見ますか?」
「うん、見せて見せて」

向かい合わせに座っていたマキが
春翔の後ろに回って覗き込む。
顔が近くて少し焦る春翔だった。

「あ、これとか良いね」
マキが指差しスマホの画面にタッチする。少し慌てて春翔はスマホを落としてしまった。
「あっ」同時に2人で言って笑い合う。

「あのさ、桜井春翔っていい名前だよね。ほっこりする。五十嵐マキなんて
“嵐”だし、“マキー“ってキツイ音がするよね」
「そうですか?ありがとうございます」
「インスタの名前も、キツイ感じだから変えた方がいいのかな?五十嵐ってさ、元夫の名字じゃない?実家戻った時、親に『旧姓に戻すと出戻りって世間に教えてるみたいで嫌』って言われちゃったからって
みんなには言ってるんだけど。

……ほんとはね。まだね。
私さ、離婚したのにさ。
もう戻れないのに、旧姓に戻せない自分がいて、未練がましいって思うけど
やっぱり幸司が好きな気持ちは
自分に嘘つけないって言うか……」
コーヒーカップを包み込むマキの手が小さく震える。
春翔は、心のざわめきを落ち着かせる様にコーヒーを飲み干す。
「五十嵐さん、僕これからマキさんって呼んで良いですか?」
「え?あ、うん。あれ、何でこんな話してるんだろ、私」
「マキさん、心の内を正直に話してくれるのは嬉しいんです。僕」
「桜井くんと居ると、何だか勝手に
口から出ちゃう。心のフィルターが外れちゃうんだよね」
「良いですよ。僕も正直に話してしまうと、マキさんの心の中の“五十嵐さん“を僕が取り除く事出来ませんか?」

「え?」
大きめの瞳がより一層大きくなるマキだった。
「僕、マキさんに惹かれ始めています。マキさんは僕を、そう言う対象とは思っていないのかもしれないけど」
「あ、あの。櫻井くんとは私五つも年上だよ」
「大丈夫。僕もっと何倍も年上の人に結構本気で恋してましたから」
「バツイチだし」
「今時バツが、1つや2つどうってことないです」
「子供も産めない体質みたいだし」
「僕の会社、一子相伝でも何でもないですよ。って言うか、そこまで想像してくれてるんですか?」
「あ、やだ!」
「いや嬉しいです。嬉しいです!」
「何言ってんだろ、私」
「マキさん、今日運び込んだグリーン。花言葉は『永遠の幸せ』って言うんです。これを無意識でも選んでくれた時、僕がその幸せを作れたらいいなって思いました」
「さ、桜井くんって、いつもこんな風に女性を口説いてるの?」
「初めてですよ!こんな風に心の想いを口にしていることに、僕自身が1番驚いてます」


マキは部屋にグリーンが馴染むとともに
元夫への気持ちより、春翔の存在が大きくなった。
そして春翔の気持ちを受け入れようと思った。
その頃から『五十嵐マキ』から「さくらまき』とアカウント名を変更したのだった。

「やっぱりさ、印象って大事よね。さくらまきに変えたら、インスタのフォロワー増えたのよ。コメントに(心なしか写真が柔らかくなりました)って書かれてて」
「それは、名前のせいでは無くて
心の変化では無いですか?」
「うふふ。まあ、そこは否定しません」
「否定しないんだ。素直ですね、マキさん」
「はい、春翔くんの前ではすっぴんですので」
「僕もです。だから言いますけど
本名も桜井にしませんか?」
「あっ。え」
「もちろん今すぐってわけじゃありません。僕もこれからまた会社を継ぐとなれば、和歌山から東京に戻ることになるし、率直に自分の思いを出し合いながらこの先の未来を考えたい。だから、今の僕の思いはすぐ話すことにしますので、マキさんも言ってください」
「あ、うん。うん。……素直に嬉しかった。うん。嬉しかった。ありがとう。
本当の桜井マキって良いかもって思った」
「よかった。断られたらどうしようかと思った」
「私達はまだ始まったばかり。でもお互いが素直に肩肘張らずいられるって言うのは、同じなのがわかったから」
「そうです。どうぞ桜井春翔をよろしくお願いします」
「五十嵐、卒業に向けて進みたいと思います」

小さな部屋で2人の傍に
永遠の幸せの葉が、揺れていた。

それからしばらくして
春翔はマキの部屋に移り住むことになった。


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