見出し画像

日記121:「4年分の勉強ノートの処分」

あと本も。

前々から大掃除をしたいと思っていた。
昨年末はあんまり調子が芳しくなく、大掃除をする間もなければやってみようという気概すらもなく過ごしていたような記憶が薄らある。
しかしながら時はすでに4月、啓蟄もとうに過ぎ去り春の兆しも見え始めてきたところで、いい加減に気合を入れて片さなければ虫でも出てくるんじゃなかろうか、そんな恐れが日々あった。なので母に頭を下げ、手伝ってもらうことにした。

結果を先に書こう。
大掃除は終わらなかった。紙類の片付けだけで2時間以上がかかり、お開きとなった。

紙類というのはなにも書類だとかそんな仰々しいものではなく、手持ちの本と、それと溜まりに溜まった勉強ノートのことである。
本は50冊以上を段ボール3箱分、勉強ノートは大小もメーカーも様々なノートが驚きの4年分あり、リングをブチブチ切っては分別をして地道に袋へ詰めていくと、なんとスーパーのデカい袋が4袋、みっちりと埋まった。

本の方は然程大した作業ではなく、思い切った心持ちで勢いよく本棚から目的のそれを抜き取っていく。
なんだか本棚を削っているみたいだなあと初めは浮き浮き作業に取り組んでいたのだが、しばらく手を付けていない一角へ手を伸ばすと、だらしなく散乱した綿埃も同時に手前の方にやってくるのが嫌でも目に入り、だんだんと私は綿埃回収機となっていった。
それが終わり、母の指定したプラスチック・ケースの上部に堆く本の山が詰まれた4列あり、地震でもあれば、手前にある私の寝床に回収した綿埃ごと降り注いでくることは必至だった。それからノートの片付けに入った。

母がリングを外し、私がノートをまとめて袋にぶち込む。その作業で私が冷や冷やしていたのは、母に内容を見られないかということだった。勉強ノートの中には書きかけの日記帳、大昔の落書きの残骸がランダムに紛れていたからであった。
母は何度も「見ねーよ、そんなもん」と言うのだが、私もそれに負けず頻回に「目を瞑って!」と言う。なんなら私の方がダブル・スコアで勝っていた可能性すらある。
それだけの作業なのだけれど、このノートが、異常な数あるのである。
たかが4年分、されど4年分。たとえば去年で30冊は使ったと思うのだが、4年前となると私がまだ不調だったころが含まれ、つまり外出不可だった時期であるから、勉強時間も長かったと思われるのである。
しかも、しかもだ。机の下のケースに詰め込まれたノートにまず手を付けたあと、ふと奥の棚を見ると、また別の時期のノートが詰まっていることに気付く。それを片すと、また見つかる。このループが数回回され、私はぼそっと「永遠みたいだな」と言った。

ノートを見ていると、面白いこともいくつかあった。
英語の学び直しが一番多く、次に数学の学び直しが多い。それから、ちらちら書かれた問題を見ていると、これはあの問題集だったなとかいうことが思い出される。ノートの種類もどれもわりに鮮明な記憶があり、この時期はだいぶ昔だとか、こっちはこのノートよりあとに使っていたものだなとかがわかるのだ。

手を埃まみれにし、すっからかんになったノート収納跡地を見る。部屋の外には段ボール箱とスーパーの袋が運び出され、それは母が持って行ってくれた。私は階段恐怖みたいなものがあり、階段の上り下りが、とりわけ家の階段の上りが困難なのである。
ちなみに一般的な階段恐怖では家の上りの階段が一番問題がないことが多く、反対に、外の下りの階段が一番問題であることが多いらしい。私は逆である。

紙類を片しただけでだいぶすっきりした部屋を見て、一番紙類が多いのは私の部屋なんじゃなかろうかとか、処分したのは果たしてどれくらいの重量なんだろうかとかと私が言っていると、母は先の私みたいな遠い目でぼそっと言った。
「いつかね、この部屋の床が抜けるんじゃないかって、心配だったんだよ」
私は言った。「いやあ、さすがにそんなことはないでしょ」
母は言った。「まあ、お前はそりゃあそう言うよな」


本の山。何冊くらいあるんだろうか
ノートの山。その後もう一山ここに追加された

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?