もも

21歳、さとのば大学2年生。 夢見る私たちのままで。 自分を模索しながら生きてます。…

もも

21歳、さとのば大学2年生。 夢見る私たちのままで。 自分を模索しながら生きてます。 ご縁の糸と、言葉を紡ぎます。 ここはまだ夜明け前。だけどもうすぐ夜が明ける。

最近の記事

朝ごはん、牛乳をのむたびに

朝ごはん、牛乳をのむたびに思うことがある。というか、つい意識してしまうこと。 『星やどりの声』という小説があって、その冒頭の一文のことを、牛乳をのむときに思います。 わたしの朝ごはんはたいてい食パンで、たまにホットケーキを食べる。でも、和食になることはほとんどない。 そして、朝ごはんのおともにのむのは決まって冷たく冷えた牛乳だ。 まだ、覚醒しきらない気だるさの残るぬるい身体に、冷蔵庫で冷やされた牛乳は、すーっと身体のあつい部分を通って、ばらばらに散らばってしまった体内

    • なにもかもが抜け落ちていくみたいなの

      感情だとか、記憶だとか、思い出だとか痛みとか、そういったなにもかもが抜け落ちていくみたいなの。 何も感じないわけじゃないんだよ。 「素敵だな」とか「わくわくする!」とか、感情が揺れ動くことはもちろんある。憶えておきたいこと。古い写真、昔好きだった漫画、懐かしい記憶にふれることも。 ちゃんと、揺れ動いて、感じてる。 その場ではね。 今までなら、それらが地層みたいに蓄積されていた。少しずつ、質も色味も粒度も違って。 それが、今は、なぜだろうか。 底なしに、掬い上げた手か

      • 英雄症候群

        人って英雄症候群だよね、 って、わたし思っているんです。 そうじゃないですか? 英雄、もといヒーローの存在を望み、 ヒーローでありたいと願い。 本当は、英雄なんて、 ヒーローなんていない世界の方が、 よっぽど健全な気がするのだけれど。 誰かのヒーローでありたいと望むことが悪いことなわけではなくて。 誰だって誰かの支えになりたいとは思うでしょう。 誰か、好きな人のためにどうにかなりたいと望むことも。 でも、言いたいのはそういうことではなくて。 自分を殺し

        • メリットのシャンプー

          懐かしい匂いがした。 昔の、洗い立てのかおり。 それは、誰かと一緒に暮らしていたころ。 大好きな、家族と暮らしていたころの話。 慣れたはずの一人暮らしが滲みる。 昔、と言っても私が5歳とか幼稚園生までの話。 私の家のシャンプーはメリットのリンスインシャンプーだった。 私の下には2歳下の弟と、5歳下の妹がいる。キッズが多かったからだろう。 シャンプーは苦手だった。 あの泡がシュワシュワする感じだとか、水に溶けた泡が丸い顔を伝って目に入るから。 でも、あのお風呂上がりのさっぱり

        朝ごはん、牛乳をのむたびに

          絵描きの翼は潰えたけれど

          昔から絵を描くことが好きだった。 ひとたび絵を描けば、わたしにしか視えない世界が生まれる。 白い紙に、クレヨンを、鉛筆を、筆を走らせれば、そこは私だけの王国だった。 特別うまいわけじゃないという自覚はあった。 それでも、わたしはずっと絵を描いて生きていくんだと思っていた。 どうにか『好き』をいつまでもいちばん大切にしたくて、それを仕事にできたらいいなと思っていた。 わたしにはこれなんだって、信じていた。 そう、だから… 好きなことに没頭して、学んでいられることは

          絵描きの翼は潰えたけれど

          夜明けを目指して歩いていくよ。

          おはようございます。 夜明け前の羊、今日も生きています。 私は今、地元・北海道を飛び出して、秋田県・五城目町で「地域留学」をしている大学1年生です。 この春20歳になって、もう子どもと呼ばれなくなった人生迷子でもあります。 去年まで、いろいろなことがあって、ゾンビだったけれど。 この春、3月にあの選択をしたから、わたしは今、ちゃんと生きています。 今のわたしは、結構自分のことを愛すことができるのです。 この3月に何があったのか。 それは、今通っている大学に入学すると決

          夜明けを目指して歩いていくよ。

          ご縁の糸は果てしなく。

          こんにちは、ももです。 この4月から、念願の大学生になりました。 1年の浪人生活を過ごし、やっと自分のやりたかった勉強をすることができて、何だか報われた思いで居るところ。 今回は、浪人していた1年と、今回さとのば大学に入学することになった経緯、そしてそこに絡みまくっていたご縁の糸についてお話ししたいと思います。 第1部 さとのば大学との出会いはじめに 私が初めてさとのば大学と出会ったのは、浪人していた昨年、2022年の夏。 私は公立の四年制美術大学を志望していた。そし

          ご縁の糸は果てしなく。