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辛い時に思い出すのは

   閉塞的で退廃的で
異質に飾られた小さな1号室で
私は育った。

   1部屋に1個のアロマが香る上品でくすぐったくなるような感覚。私の家は基本的に扉を閉めないルールだったから、色んな匂いが混ざりあっていた。その香りは激怒したい時や疲れている時に嗅ぐのがとっておきで、私はあれが普通の家庭だと思っていた。

   ヒューヒューと桔梗にでもなったのかと疑うような音が、息をする度に鳴る。45cm程上の白い天井を見上げる。
はっはっと横隔膜が勝手に大踊りし始めたので笑いそうになった。頭が痛くなって、おまけに嗚咽が漏れそうになる次第だ。涙が滲む感覚もない。
さっきまでついていたオレンジっぽいオシャレ電気が今では消灯されている。
頭は氾濫。心は脳死。私の家庭は最悪だ。
   外からの灯りも茜色から街灯の青白い光にうつり変わりそう。
手を伸ばして、白い天井に添えてみる。最近めっきり日光に触れることの無くなった私の手は、それでも健康的な色を保っている。過去は振り返りたくない。そう思ってる。16歳。

   痣ができた気がする。あの頃に。

   私が今辛い時に思い出すのは、
痛かった事、苦しかった事、辛かった事。
今の過呼吸も受け入れて、
そんな時はひたっすら泣く。


あとがき

   楽しい世界と苦しい世界を行き来していた16年間。母と共に過ごし、親族の手も借りながら母は私を育てました。ただ、その中でヤングケアラー、虐待サバイバーと俗に言われる私は、その苦悩に精神や思考がもたげる思いでした。
   打って変わって私は児童養護施設に入ることになり、私は私の人生を歩み始めました、2022年。
それから2年弱の時が流れ、私は今月大学に入学しました。

   今、何が大事か、何を大事にしたいかを考えた時に私は、人を頼る事だとはっきり思います。
人を信用して心が軽くなった経験、人を頼って居場所を作ってもらった経験。
もし、その経験がなかったら、今の私は生きてるかも分からないほどです。
だからこそ、感謝の気持ちも人の助けを借りてはじめて、芽生えました。私は、そこからやっと足りないものを補い始めました。

まだ18歳の私が人に大層な事は言えませんが、
私の経験を少しオブラートに包んで皆さんにお届けできたらと思ってこの文章を書きました。

辛い経験を書こうと思った理由について、
まずは私は、決して読者様の気分を害したい訳では無いことをご承知ください。
そして、私は被虐待やヤングケアラーという経験を生かせれば、トラウマも報われると思い、この文章を執筆しました。

読者の方に、何か理になる情報や感動(?)を提供できたら、私としてはとても幸いです。

これからも何卒どうぞよろしくお願いします。

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