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【つながる旅行記#186】大阪にもあった豊國神社で秀吉に会う

前回は海遊館でまさかのシーラカンスを見ることが出来た。

普段はいないようなので、本当にいいタイミングに行ったものだ。

(もしやそのせいであんなに混んでたのか……?)


さて、日が変わって今日も大阪観光をしていく。

実は行きたかった場所があるのだ。

そう、自分が大阪観光で行きたかったのは大阪城である。

歴史の授業やゲームで出てきたりとかなりの知名度のある城であり、是非とも人生で一度は行ってみたいと思っていた。


とはいえ陰キャな自分が大阪に近づくイメージが湧かなかったので、きっと遠い話だろうなぁと感じていたのだが、意外にも早く来れてしまった。

(そもそも大阪にだって陰キャくらい居るだろうけど……)

大阪城のあたりはとてつもなく広い敷地のようで、人も大勢集まっている。

かなり広い公園なので、観光以外にも市民の憩いの場になっているようだ。

謎の体操をする集団
ホシハジロ(オス)

いやしかし大阪城、めちゃくちゃ広く感じる。
やはりそこらの城とは次元が違う。

大阪という大都会にこんな広い敷地を確保できるとは……。

こんな移動手段もあるらしい

そしてたどり着いたのは『豊國神社』。

この旅行記では正月に京都の『豊国神社』に行ったが、大阪にも秀吉にまつわる神社があったらしい。(まあ秀吉といえば大阪だけど)


しかしまさか大阪城公園の中に神社があるとは……

!?


あ、あれはまさか……!!


豊臣秀吉!!


凄まじい逆光で申し訳ないが、それもまたよし。

底辺から日本の支配者まで成り上がるという偉業を達成した豊臣秀吉
銅像からは天下人の持つ堂々とした雰囲気がにじみ出ている。

こうやって銅像になった秀吉を見るのは始めてなので、なんだか感動だ。

しかしこの銅像、なんだか台座を見るとやけに綺麗なわけだが、それもそのはず。

実はこれが作られたのは平成19年(2007年)らしい。


いや、それまでに銅像が存在しなかったわけではない。

明治36年(1903年)には秀吉公の銅像が建立されており、市民は秀吉の姿を身近に感じながら生活していたのだから。

しかし、昭和18年(1943年)に戦局悪化による金属供出によって消滅!!

#22の盛岡偉人の銅像も供出されるという例は見てはいたが、秀吉レベルですら金属供出には抗えないのか……。

そんなわけで、この秀吉像は元の像を参考にしつつ学術調査も加味して、日本彫刻の第一人者である中村晋也氏によって新たに作られた銅像というわけである。

いやー、復活してよかったよかった!!


※そんな中村晋也氏(96歳)が10年かけて手掛けた釈迦八相像が奈良県の薬師寺で見れるぞ!



幸村桜

そして神社の傍らには、大坂の陣で活躍した真田信繁をきっかけに信州上田から贈られた『幸村桜』が……!

(どれだ……?)



そういえば京都の豊国神社は「秀吉は天皇を尊重したから」ということで明治天皇が再建したわけだが、この大阪の豊國神社はどうなのだろうか?

公式ホームページに載っている由緒を見ると、なかなか込み入った事情が多々あって、最終的にここに移転されたようだ。

そしてこの神社もまた、明治天皇が大阪に行幸した際の「国家のために大勤労のあった豊太閤を、この大阪の清浄な地に奉祀するように」という発言がきっかけになって作られたとのこと。

まさか明治天皇がこんなに秀吉に関わりがあったとは。

ゆるい

それでは京都と大阪の秀吉公ゆかりの神社を制覇したところで、いよいよ大阪城の天守閣に向けて出発しよう。

子供の頃に行きたいと思っていた場所に行ける……ありがたいことだ。


そんなこんなで次回へ続く…!


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