【つながる旅行記#209】愛媛県歴史文化博物館でジオラマを満喫する
前回は開明学校で明治の空気感とダブル二宮を感じた。
それではいよいよ愛媛県歴史文化博物館を目指すとしよう。
(寄り道しつつ)
流石は伝統的な建物の保存地区。
旅館に泊まった人のラインナップが半端じゃない。
いや自分は前島密と新渡戸稲造しか知らないけども、とにかく有名人が来るような場所だったということだ。
卯之町ってもしかしてすごいところなのか……?
歩いていてふらっと入った宇和先哲記念館には、愛媛を代表する凄い人たちの展示と、新渡戸稲造が書いたと言われる板が残っている。
「Tranquillity of Ocean Depth」……「深海の如き静けさ」。
ちなみにこれが飾られていたのは、卯之町にある教会の礼拝堂である。
なんというか、使うフォント間違えました感がすごいと思うのは自分が凡人だからなのだろうか。
静けさどころか確実にシャウトしてそうなフォントである。
しかし札幌時計台の回で見た新渡戸稲造のノートはめちゃくちゃ文字が綺麗だったのに、随分ワイルドになったものだ。
宇和高等学校の校庭を横目に、坂を登っていく。
平面で見てたから気づかなかったが、博物館は高いところにあったのだ。
開明学校から2kmほど歩き、愛媛県歴史文化博物館に到着。
なかなかに力の入った外観の建物だ。
早速中に入っていこう。
これはなかなか盛りだくさんの内容だ。
もう15時なわけだが、回りきれるのだろうか。
(町を巡る順番間違えたか…?)
入って早速ジオラマを発見。
狩猟シーンの再現ジオラマだ。
今では想像できないが、大昔の日本には様々な野生のゾウがいたのだ。
一匹捕れるだけで相当な量の肉が手に入ったことだろう。
その後のお祭り騒ぎが目に浮かぶ。
おお……!
この一つ一つが小さい区分けの田んぼ!
田舎館の垂柳遺跡が思い出される。
知識の蓄積が生きているぞ……!
素晴らしい……!!
このジオラマは古照遺跡における古墳時代前期の灌漑農業を表すものだ。
灌漑とは「農地に水を人工的に供給すること」だが、古墳時代にはもう、こんなふうに自然を人の知恵で利用しはじめていたらしい。
こちらは古代の山城である永納山城。
一気に時代が変わり、白村江の戦い(663年)辺りの朝鮮半島と緊張感が高まった頃の城らしい。
場所的には西条市の辺り。
663年辺りにはこんな山城が作られていたんだなあ。
古代を過ぎて、すっかり人同士の争いの時代になったことを感じる。
また一気に時代が変わって、こちらは松山城。
これはまた力の入ったジオラマだ……!
今の状態と見比べると、堀が一部埋められていることにも気づけて面白い。
現在の松山城は木々が生い茂ったことで城はちょこっと見えるだけだ。
しかし昔の松山城は禿山だったらしいので、こんなふうに城下町からは城の姿がしっかり見えていたのだろう。
それが体感できるジオラマ……素晴らしい。
自分が行った大洲城のジオラマもあるし……
まだ行ったことのない今治城のジオラマや……
宇和島城の天守もある。
城郭好きにはたまらないなこれ。
そして、ここにも卯之町のジオラマがある。
こんなに町並みを押し出されるとは思わなかった。
もっと伝統的な建物群を撮っておくべきだったなとちょっと後悔……。
いや~……
ジオラマって良いね!!
そんなわけで、ジオラマだらけで最高に楽しい愛媛県歴史文化博物館。
しかし展示はまだまだ終わらない!
次回へ続く……!
この記事が参加している募集
サポートには感謝のコメントをお返しします!