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【つながる旅行記#60】宇和島城を登る…はずだったけど、児島惟謙と『大津事件』を紹介。

前回、伊達氏と宇和島とロイズの関係について知ることができた。

今回は城へ行く。宇和島といえば宇和島城だ。

宇和島城 登山口

城巡りは基本登山。
松山城のように、また登っていかなければならない。

ところでスタート地点の門の近くに、なにやら銅像がある。
服装を見るに、城主という感じでもなさそうだが……?

児島惟謙(こじまこれかた)先生

この銅像は児島惟謙(こじまこれかた)先生というらしい。

城に関係するのかと思いきや、どうやら法律的なことに関わった人のようだ。最終的に議員やら銀行の頭取やら、まさに権力の最終地点にたどり着いた感のある人だが、ここに書いてある「大津事件」というものが気になる。調べよう。

ちなみに大津と聞くといじめ事件を思い出してしまう自分だが、この大津事件はそれとは別のものだ。

【大津事件】

大津事件は、1891年5月11日に日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ (後の皇帝ニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現・大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件である。湖南事件(こなんじけん)とも呼ばれる。

Wikipedia

……すごい事件だった。

まさか警備の警察官がロシアの皇太子を切りつける事件なんてものが過去に起きていたとは。

しかもこの当時の日本はまだまだ発展途上。
列強の一つであるロシアとの国力の差は歴然としていた。
日露戦争が起こった1904年ですら、まだまだ戦力差はすさまじいものがあったので、1891年なんてお察しである。

そんな中でロシア帝国の皇太子を切りつける大事件が起きてしまい、
しかも神戸港にはロシアの艦隊が居る状態。ヤバすぎる。

ロシアの報復を恐れた日本政府は、日本の皇族に危害を与えた場合に死刑も可能になる『大逆罪』をロシア皇太子の場合も適用しようと画策する。
「もう許してもらうには犯人を死刑にするしかねぇ!!」というわけだ。

児島惟謙先生はこうした日本政府の動きに対して、
法治国家として法は遵守されなければならない」とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発し、結果として無期徒刑(無期懲役)の判決が下った。
国の圧力に法が勝ったのだ。

その後、犯人の津田三蔵は北海道標茶町にあった釧路集治監に移送・収監されるが、急性肺炎を発病し獄死することになる。
判決から数か月後のことだった……。


宇和島に来なければまず知ることのなかった事件だったが、この事件によって、「日本の司法も先進国っぽくなってきたじゃん?」という海外の評価も得られたとかなんとか。

そして日本国内においても、三権分立の意識が高まったという。
考えてみれば政府が判決に圧力かけるとか、完全にアウト感があるな……。

しかしこれ、もしロシア皇太子が死んでたら、洒落にならないことになってそうではある。犯人曰く殺す気はなかったらしいが……。

まあとにかく、日本も最初から近代国家だったわけじゃない。
こうしたいろいろな流れがあって徐々に新しい国家が作られていったのだ。

はぁ……勉強になるなあ。




いや城に登るんだったわ。




まあ、こういうこともある。
これも一期一会の出会い。

宇和島城へ行くのは、次回!!


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