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【つながる旅行記#49】いざゆかん松山城へ Part.1(登山)

前回、愛媛県美術館で生命の神秘を存分に味わった。
頭を使ったあとは体を動かす番だ。

次に行くところは決まっている。

松山城だ。

松山城入り口
二の丸は庭園として生まれ変わったらしい

さあ山登りの始まりだ。
遠くから見た松山城は結構な高さにあった。
あそこまで行くにはかなりの道のりだろう。

二の丸庭園入り口

天守を目指す前に二の丸庭園の中に入ってみると、とても水の流れが綺麗なところだった。
なんか想像してたのと良い意味で違う。

もちろん日本庭園っぽい要素もちゃんとある。

鯉もいる
柑橘
大井戸

発掘調査の結果、上の画像の大井戸からはロシアの10ルーブル金貨が発見されている。
なんでルーブルなのかというと、日露戦争時の松山には捕虜収容所が設けられており、多数のロシア人捕虜が陸軍病院に入院していたからだ。

そして見つかった金貨には、ロシア人捕虜と日本人看護師の名前が刻まれていたという。

……つまり、二人はなかよしだったということである。

まさかさっきから無駄に多く目に入ってくる『恋人の聖地』は、
この一件によるものなのか……!?

思えば、敷地内の建物内にあったオブジェの真ん中にはまってるのは、
大井戸で見つかった金貨だった。

完全にそういうことだわこれ……。

よく見たら入り口の旗にも恋人の聖地あったわ

精神的な攻撃を受けたところで、松山城の天守を目指して再び歩行を開始。

二の丸庭園を覗ける

城ってなんだっけ?と思ってしまうくらいの林が眼前に広がる。
いやもうこれは森か。
いやそもそもか。

きっと城を作るときには、まずこの大量の木を切らなきゃいけなくて大変だったんだろうなあ……とかそんな事を考えていたら、近くの看板から驚愕の事実が発覚。

なんと築城を始めた1602年当時は、この山は禿げ山だったのだ。
松山城ができたその後にアカマツが植林され、その後色々な植物同士の争いの果てに今の多様な植物が生い茂る山に変化したらしい。

時の流れというのはすごいものだ。

この写真の山感がすごい

少し行くとコンクリートで整備された道になってきた。
躓かないよう足をしっかり上げて登っていく。

きっつい…

延々と登山を続け、やっと城っぽい領域に入った。
写真だとあっという間だが、実際には相当な時間がかかって……いや、写真の時間データを見ると二の丸庭園からここまで10分くらいだった。

人間の感覚はあてにならないものだ。

ホース納め石

とはいえまだ天守についたわけではない。

実際に戦争になったときのことを思えば、山登りを終えてヒイヒイ言ってる状態だろうに、まだまだ天守は先なのだ。
ここまでにもかなりの攻撃を城側から加えられていることだろう。
攻城戦は攻め手側に3倍の兵力が必要というが、兵士がもし全部自分だったとしたら、兵力が10倍あっても余裕で負けそうである。

いい景色だ

こうしてみるとやっぱり松山市は都会だなと思う。
自分の実家の100倍ビルが建っている。

(いや、0に何を掛けても0だから違うか……)

くずれてる?
女性も手伝って築城したらしい

この太鼓門を抜ければ、いよいよ松山城の天守が見えるはず。

しかしこの木、なかなかの存在感だな……。
苔も良い感じだ。
ちょっと邪魔だけど。

太鼓門を抜けると、奥に松山城の天守が見えた。

というか、天守がある広場めちゃくちゃ広いな!!(本丸というらしい)

井戸もある
ソメイヨシノ

看板を読むと、やはりここまで広い本丸はそうそうないらしい。
さすがは松山が誇る城である。

それでは、天守の中に入っていこう。

こりゃあ大洲城との違いも相当ありそうだ。
城に目覚めてしまうかもしれないな。


~次回へ続く~


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