【つながる旅行記#61】緑がたまらん宇和島城
前回は盛大に話が逸れてしまい、児島惟謙(こじまこれかた)先生の話をして終わってしまったが、今回は本当に宇和島城へ向けて登っていく。
しかしなんというか、スタート地点からもうなんだか雰囲気が城じゃないというか、南国感を感じる。駅でも思ったがなんなのだろう。
主に右側の植物の影響だろうか?
ところで、道端を見ると彼岸花があった。学名リコリス・ラジアータ。
(彼岸花は別に南国でもなんでもないのだが)
しかしこれ、どう見ても草だ。
彼岸花って下の画像みたいな感じじゃないの……?
実は彼岸花は、春先にはこのようなニラっぽい姿になるらしい。
もともと全ての部分が有毒な植物なので、誤食してしまうと普通に危ない。
しかし飢餓の際はこの彼岸花を毒抜きをしてでも食べていた歴史があり、そもそも彼岸花は三倍体で種子を作らないので……まずいまずい。解説してたらまた城に登らずに終わるぞ。
彼岸花についてはまた今度機会があったら語ろう。
この宇和島城、松山城とはまた違った山感がある。
写真によっては「どこのジャングル行ってきたんですか?」とか言われそうな雰囲気を醸し出している。
ものの10分で開けた場所に出た。
広場には公園があり、子供たちの遊び場になっている。
いやしかし苔や植物の緑がすごいな。
今までの城はこういった感じの緑に包まれてはいなかったように思うが、宇和島城はもはや緑のじゅうたんのように苔や植物が広がっている。
海に近い環境がそうさせるのだろうか。
確かに水分マシマシで植物が喜びそうな気はするけど。
実は宇和島城は、今でこそ埋立地が増えたことで海から距離があるように見えるが、昔は普通に海に接していたらしい。
そう、宇和島城は海城なのだ。
そして今は埋められてしまったが、宇和島城は五角形の堀を採用していた。
これは築城の名手として知られる藤堂高虎の発案らしく、「敵は四角い城だと思って攻め込んでくるので、1辺だけ死角の状態をつくりだせる。そこから兵を出したり物資輸送が可能」という凄いものらしい。
さあ天守に入ろう。
……いや、率直な意見を言うと「ちっちゃくね?」とちょっと思ったが、
自分は城ビギナーである。城とはこういうものなのかもしれない。
大洲城(#44)もこんな感じではあったし。
一応調べてみた。
こうしてみると、わりとこのサイズで普通かもしれない。
姫路城のように天守自体が大きい例もあるが、宇和島城よりも小さい天守は普通にたくさんあるようだ。
天守は城を構成する一要素。
これだけ見て判断するものではないということなのかもしれない。
そして時間がヤバい。
現在時刻は15時30分である。
今は3月なので普通にあと30分しか見れない。
これは天守が小さくてよかったかもだ。
中に入ると宇和島城の模型があった。
実際の設計図や写真データなどを参考に、石垣の形まで再現した力作だ。ジオラマもそうだが、こういうものを生み出せる人は本当にすごいなと思う。
そして上へ向かっていくと、唐突に凄いものが置いてあった。
『宇和島要素てんこ盛り屏風』である。
このスタイリッシュな絵を手掛けたのは茂本ヒデキチ氏。
墨絵でド迫力の作品を作るアーティストだ。
伊達親子の並びは、経緯を知ったうえで見るとなんだか色々こみ上げるものがある。事前に伊達関係を巡っといてよかった。(#59参照)
しかしカラフルな絵ばかりじゃなく、墨絵も良いな……。
では天守からの展望タイムといこう。
素晴らしい展望だ。
今の自分は城巡りの楽しさの多くがこの天守からの展望にある。
要するにこれは、山と同じ楽しさを感じているのかもしれない。
そこに歴史要素も加わって最強なのが城巡りということか。
これはもう、旅先にあった城に行くのは既定路線になりそうだ。
宇和島城、満喫できた。
城巡りは自然も歴史も景色も楽しめて素晴らしいことを再確認。
今日は多賀神社に始まり、伊達博物館、道の駅、宇和島城と、
かなりの宇和島フルコースを楽しんだことになる。
しかしまだ時刻は16時。
あともう一つくらいどこかへ行けないものか。
そういえば駅前にあった闘牛の像……。
調べてみるといまは闘牛は開催されてはいないが、闘牛場の建物だけを外から見といても損はないだろう。今後また宇和島に来れるかはわからないのだ。
せっかく天守からも見えたんだし、行ってみよう。
(いや、あそこまで歩くのか……?)
次回へ続く!
サポートには感謝のコメントをお返しします!