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【つながる旅行記#246】金ヶ崎の退き口とコンビナートのスケール感
前回は敦賀ムゼウムで杉原千畝について学んだ。
では頭を使ったところで今回は体を動かそう。
なにせこの近くには金ヶ崎城跡があるのだ。
城といえば基本は山登りなので、例によって軽めな登山となる。
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それと、ここからチラっと見えている緑色の塔も気になるのだ。
あそこにも行ってみよう。
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そんなわけで、金ヶ崎城跡へ。
新緑の5月である。
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さて、なにやらキャンディか提灯みたいな謎の絵馬がある。
これは一体なんだろう?
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この絵馬は、信長の妹であるお市の方が「もう兄上は袋の鼠ですよ!」ということを信長に教えるために送り届けたという、『両端を結んだ小豆袋』をモチーフにしているようだ。
そう、ここは信長にとってかなり人生終了の危機だった金ヶ崎の退き口の舞台なのである。
では金ヶ崎の退き口について簡単に書いていこう。
色々あって朝倉義景を攻めるために敦賀までやってきた織田信長は、金ヶ崎城とさっきの緑の塔があった天筒山城を2日という超スピードで落とし、いよいよ越前へ攻めこもうとしていた。
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しかしここで信長の妹であるお市の方から小豆袋が届いた……のかどうかはともかくとして、浅井長政が裏切ったという情報が伝わってくる。
妹であるお市の方を嫁がせた浅井長政が裏切るわけないだろうと思っていた信長だったが、情報は続々と寄せられてくる。
こりゃマジっぽいと理解した信長だが、この裏切りは非常にまずい。
それがもし本当だったら、越前に攻め込んだ際に南の浅井と北の朝倉とで完全に挟み撃ちにされてしまうからである。
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なのでもう逃げるの一手しかないわけだが、信長軍が敦賀までやってくるのに使用した琵琶湖西岸ルートは、浅井の領地なのでもう使えないのだ。
ゆえに、信長は若狭方面から京へと抜け、どうにかして岐阜に戻るという超困難なルートを取らざるを得なくなった。
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(#237で歩いたルートは信長の逃走経路沿い)
そして京へ行くには#236の鯖街道のごときえげつない山道を行くわけだが、なにやらその過程で松永久秀がとても良い働きをして、無事に京に辿り着くことができた。(朽木越え)
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京に着いたときには信長の手勢は10人程だったらしいので、もし敵に襲われていたら日本の歴史は大きく変わっていたことだろう。
(松永久秀が信長に許されてたのって、これがあったからなのかな……)
で、一方で信長が逃げるための時間稼ぎ(殿軍)をしたのが木下藤吉郎(秀吉)や徳川家康、明智光秀などの武将だったという。
金ヶ崎城に残った秀吉は700人程の手勢だったのでかなり厳しく、家康に助けを求めたりしてお互い協力して必死に戦ったそうだ。
そして家康の助けを秀吉はとても感謝し、のちの関係性に大きな影響を与えたとかなんとか。
……まあここらへんは後の天下人同士の話になるので、なんだかちょっと盛ってる感のある描写があったりと、資料的に疑わしい面もあるようだ。
だがいずれにせよ、死ぬかもしれないレベルの大ピンチだったのは間違いない。
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そんな歴史を感じつつ、展望台があったので海でも見よう。
高いところから見る海もまた良いのだ。
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いや海もいいのだが、このすごい量の……何?
横の道を走るトラック何台分になるのか想像もつかない量の黒い何かがある。
実はここは日本でも珍しい、石炭火力発電所とセメント工場のコンビナートなのだ。
【コンビナート】
生産工程の一貫化・多角化によって生産を効率的に行うために、ある特定の生産技術体系に基づいて一定地域に計画的に結合された企業・工場の集団。元来は、旧ソ連で鉄・石炭を中心に結合された企業集団をさす。
(コンビナートってそういう意味なんだ……)
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石炭火力発電所で発生する石炭灰は専用パイプラインで当社敷地内のサイ ロに圧送されます。
当社からは排煙脱硫用 にタンカル(石灰石粉)を供給し、脱硫による副産物 である排脱石こうを受入れ、セメント製造用に使用しています!
……とのことである。
なんだかわからないが技術者はすごい。
つまり黒いのは石炭ということなのだろう。
ということは、あの凄まじい量をどこかの鉱山から持ってきたということ……?
人間はすげぇや……!
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そんなわけで、金ヶ崎城跡だった。
歴史目当てで来たら、近代の凄まじさも見せつけられてしまうとは。
それではこのまま更に登って天筒山城跡(緑色の塔)も見に行くとしよう。
次回へ続く……!
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